レフティースナイポー。

さすが!さすが!さすが!!
中村ちゃん!

則本頑張れ超頑張れ。

非常に興味深い。

ふと怒り新党見てて知った事があってネットで調べる調べる。

事実か否かとか真相はどうでもいいんだ。
ただ、元来私が受け入れがたい事象に対する疑問は増すばかり。
日本に生まれてこれからも出ていかないなら、日本で平和にやっていこうって思考にはならないもんかね??
ルーツがどうあれ、生きてきた社会を憎みながらよく居座れるなと思う。
バックグラウンドは様々だと思うし、もはや私には全く理解できない範疇。
でもさ、そのそれぞれの理屈に打開策ってあるわけ?
日本が沈んだら満足?日本人が滅亡したら幸せ?
ほんとにそうなのかな。
日本人として生きることを強制したい訳じゃないんだけど、私からしたら『…じゃあ何でいるの?』としか思えない。
むしろ、積極的に攻撃の機会をうかがっている、紛れ込んで侵略するのが目的って言ってくれた方がずっとすっきりする。
だって普通ヘドが出るほど嫌な空間に居続けたくないものでしょ。
他の国にやむなく行くことになって、でも地元の人の不幸を望むほどの思考に落ちぶれたら仕事も生活も捨てて日本に帰りたいよ。
境遇を理解したいけど、生まれ育った地を客観視できないなんて、意味が全然わからない。
フランスとかの移民もそういう要素がある。と感じる。
全てを一括りにするわけじゃないけど、自分自身の非を100%境遇のせいにする人っている。
受け入れられたいなら溶け込む努力も必要。
なのに何故かやたらその国を憎んでる奴がいる。
好きで来たんじゃない、とか色々あると思う。
私が云いたいのは百歩譲って今いる場所が嫌いまではまぁいい。
私だって日本の嫌いなとこたくさんある。
でもそこから先無差別に攻撃したり過激化したり、何を生み出すのかって話。
憎しみは恥ずべき感情なんだよ。
憎しみを持ったら、それは相手に対して向けるんじゃなく自分で処理すべきなんだよ。
国家間の政治的な話じゃない。
ある国に住む、アイデンティティを感じられない・またはそぐわないと感じている個人の思考の話。

つくづく思う。
まさに私はそんな状況。
醜い考えが浮かぶ度に自分を恥じてる。
ある対象がいて、とてつもない嫌悪感で姿を見るのもイヤだとする。
それが自分にとって『間違った』存在であるのは確かで、それが他の目から見ても受け入れがたいものだとする。
でも。それでも。
それを批判して暴言を吐き、ひたすら存在を否定するのは、やはり気分が良いものではない。私はね。
ましてや逃げ出すわけにもいかず、同じ空気を共有しなきゃならないのであれば、その存在と対峙し続けなくてはならないわけで。
相手を傷付ければ自分の立場も悪くなり、情けは人の為ならずってほんとよく言ったもので、その感情を丸め込んで上手くやっていくしかないじゃん。

でもそういえば私も関西暮らしの方が長いくせに関西人嫌いだし、私は関西人じゃないって言ってる。
関西人に対しても堂々と言ってる。
関西で、だからこそ恩恵を受けた点もあるだろうに大部分を否定して自分の歴史から関西を封印しながら生きてる。
これからも住み続けるのに、だ。
私が感じてるのと同じような不条理を、周りの人は感じているんだろう。
今までの理論から行くと、私が関西嫌いなのは自由だとしても、それを主張することは極めて無礼であり、矛盾してるといえる。
何故なら私は関西に住んでるから。
関西に住んでるから関西人とはいえないのと同じで、日本にいながら日本を愛せない人もいるわけか。

あれ、納得しちゃった。
自己完結。笑
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