やばー。

グリーンデイって何でこんないい曲作るんだろう(´;ω;`)

夏になると聴きたくなる曲、Wake Me Up〜。

考えを改める。

確かに私はその神話に支えられていたところがあった。
“日本人なら大丈夫。”
憲法9条は長らく私が日本人としての誇りを持つ最大の動機づけとなり、世界中に高らかに唱えることのできるおまじないだった。
戦争をしないこと。
不戦の誓いが、非核の原則が、日本人を表現する最も美しいアイデンティティである。
と、思っていた。
平和な国日本の穏やかな民でさえいれば、想像しがたいような惨劇に巻き込まれるはずがないと。
おまじないを唱えれば誰もがわかってくれると。
でもよく考えてみたら、それは本当におまじないでしかなかったってこと。
よく考えてみたら、いままでに既に色んなことが起こった。
確かに日本人だからこそ信頼される場面や、チェックが甘い部分や、逆に舐められこともある。
それは確かにあるとしても、この混沌とした世界で、おまじないが通用した時としない時が必ずあっただろうということ。
今に始まったことじゃないんじゃないかってことが言いたい。
だから殊更にもうおまじないが通用しなくなった!って強調する流れには違和感を覚える。

おまじないはおまじない。
恐ろしくて恐ろしくてまた私の頭の中は恐怖でいっぱいになっている。
だけどさ、希望は持ちたいよ。やっぱり。
甘いって言われるかもしれないけど、何をしていてもどこにいても、何が起こるかまーったくわからない。
うんざりするようなひどい事件が日本でもたくさんあるでしょ。
地震に苦しむ地域もあって、私だっていつ大地震に遭うか恐ろしくて仕方ない。
気が狂いそうなくらい、ギャンブルみたいな世の中でしょう。
最近は何でも自己責任自己責任と声高にみんな言ってるけど、それに対して元来超自己責任論者な私もいい加減辟易している。
どこに責任の所在があるか、我々が決めるべきではない局面であっても、個人が個人を自己責任の名の下に極限まで責め立てている。
時には事故に遭った人、亡くなった人。
確かに『敢えて言うなら』その人に責任があることもあるかもしれない。
でも事後にそういう論調が強くなるのって何の解決策にもなり得ないと思っている。
言葉の暴力だとも思う。
ネットで私も含め誰もが偉そうに語れる時代だけど、何でもかんでも『やった人が悪い』じゃなく、同情や慰めも必要かと思うんだけど。
例えば電車の人身事故に対する世の中の反応をたまたま見た時、まぁネットだけどね。
そこまで書かなくても…死んでるのに…とか思っちゃった。
そりゃ迷惑かかった人は腹立つだろうし現場を見ちゃってトラウマになっちゃう人もいるんだろうし、それで言ったら誰が悪いのかは明らかだよ。
でもさ、っていう。
私も去年の新幹線の焼身のニュースにあまりにも腹が立って
『死ぬなら1人で死ねよ!!』って書いちゃった気がするんだけど、
正当に裁ける段階ならともかく、私が故人を罵る資格は無いよね。
勿論あれは故意による犯罪だから非難されて当然と今でも思うけどね。
感想っていうかちょっとした意見に、慈しみが欠けてるっていうか。あるいは黙っとくのも間違ってないのかなと思ったわけです。
警報出てるのに逃げなかったんだから死んで当然、クマ出る言ってんのに山に入る奴死んで当然、津波来てるのにすぐ逃げなかったのが悪い。
いや、確かにそうかもしれんけどさ…ネットがメディアの一部である以上目にする人が傷つく事を書かないようにしたいとも思うわけです。
国民投票で自己責任の是非問われてるわけじゃないんだからさ。
私も相当発言は過激ですよ普段。
このブログでは相当気をつけているけど配慮に欠けてる部分は残念ながらあるかもしれない。
みんなお互いに生きていて、不可抗力もたくさんあるし悲しい事件や事故もたくさんあるし、何が起きるかわからない。
他者を批判できるほど生活を完璧にコントロールできてる人なんざいないでしょ。
強い意図を持って罪を犯す奴を非難するのと、結果的に周囲を騒がせることをしてしまった人を同列にはできない。

ギャンブルみたいな世の中でも、怯えて何もしないわけにはいかないから、あらゆる方角に警戒しつつも楽しく生きていきたいです。
それが、今日の結論。
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