話題:再放送

いやあ、最近のテレビは再放送が多いですね。

『そんな事言ったってしょうがないじゃないか』byEなりKずき。


新型コロナ感染拡大の影響により、新たなロケやスタジオ収録が行えず、従って最近のテレビは過去放送回の特別編集版や再放送が多い。

そこで、どうせ再放送をするのであれば、なかなかお目にかかれないレアな作品を流すのも面白いのでは?、などと考えるのは恐らく私だけではないだろう。

レアな作品というのは大雑把に考えて三つに分けられると思う。まず一つめは本放送からかなり月日の経過した大昔の作品。二つめは本放送がローカル限定だったり深夜だったり、或いは人気がなく打ち切られたり等、視聴者数がもともと少なかったマイナーな番組。そして最後の三つめは、何らかの理由でお蔵入りし、現在も放送不可となっているタブー的存在の番組。

この中で一番レア度が高いのは、やはり三つめの[お蔵入り作品群]ではないだろうか。この機会に出来れば観てみたいところではあるけれども、コンプライアンス的に無理なものや原版が失われているものは事実上放送不可能。となれば、それ以外で探すしかないのであるが、実はそれらの中に「もしかしたら、これは放送可能なのでは?」と思えるお蔵入り作品が存在する。それは何か?

ズバリ!幻のアニメ【日テレ版ドラえもん】!

だ。

このアニメ、今でこそ、ネットの普及により、検索すれば多くの情報を手に入れる事が出来るが、一昔前までは殆ど情報がなく正に幻と呼べる作品だった。否、と言うよりも明らかに情報がシャットアウトされた“わけあり作品”と言った方がより正確かも知れない。

実際、ネット普及以前に組まれたテレビ放送や雑誌における[ドラえもん特集]の年表では『ドラえもんのアニメ化は1979年のテレビ朝日が最初』とされていて、日テレ版ドラえもんの姿は影も形もなかった記憶がある。あまりにも情報がないので、もしかしたら全ては私の妄想で、[日テレ版ドラえもん等]というものは存在しなかったのではないか、と真剣に悩んでしまった程だ。同年代の友人や知り合いに訊いても「ああ、なんか、在ったような無かったような……」とまるでアテにならない。ニワトリではあるまいし、一人くらい記憶のしゃんとしてる人間が居てもよさそうなものだが。

まあ、それはそれとして、確証が得られない以上、やはりここは妄想と考えるべきだろうか。しかし、だとすると、主題歌まではっきり覚えているというのは明らかにおかしい。

――♪だけどドラえもん、いい男〜♪困った時のドラ頼み♪頼んだよ♪任せたよ♪ヤッショ〜マカショッ♪ホイキタサッサのドラえ〜もん〜♪

――妄想の一言で片付けるにはあまりにもディテールまで記憶され過ぎている。もしも、妄想でこの歌詞を私自身がこさえたのだとしたら、この先、自分のセンスに自信が持てなくなってしまう。大問題だ。そんな事は決してあってはならない。

ところが、そうこうする内にネットが普及、私の葛藤も終わる事となる。結果、『幻のアニメ・日テレ版ドラえもんは間違いなく存在していた!』

ところが、そうなったらそうなったで、また新たな疑問が浮かび上がる。国民的漫画であるドラえもんの記念碑的な初アニメ化作品を、民放やメジャーな雑誌が寄ってたかってその存在をひた隠しにし、“何もなかった事”にしようとするのは何故か、という事だ。ここは是非とも理由を知りたい。

という事で、種々の情報を総合的に判断した結果、お蔵入りの理由として幾つかのポイントが浮かび上がった……。

@肝いりでの放映にも関わらず視聴率がまるで伸びず、局にとって忘れてしまいたい負の記憶となった。

A番組制作会社がその後倒産、代表も〇銃不法所持で逮捕されるなど暗い影がつきまとい、社会通念上の問題でお蔵入りとなった。

B制作サイドが勝手に内容に手を加えた事で、原作者である藤子F先生のひんしゅくを買い、「これは僕のドラえもんじゃない」と言わせてしまった(らしい)。

以上、三つともそれなりの理由ではあるが、その中で最も大きかったのは、どうやらBのようだ。思い出すのは、森進一さんの曲[おふくろさん]での騒動だ。勝手に歌詞を変えて唄った森さんに作詞家の川内康範先生が激怒――いや、月光(ゲッコウ)仮面の作者らしく激昂(ゲキコウ)したと言うべきか――以降、森さんに[おふくろさん]の歌唱を禁じた、というのが騒動の内容。作者を怒らせてお蔵入りになるケースだ。では、日テレ版ドラえもんの場合、いったい何が作者を怒らせてしまったのか?

どうやらこういう事らしい……。

アニメ化にあたり原作を読んだスタッフが「のび太くんがあまりにもドラえもんを頼りすぎる」のが“教育上よろしくない”のではないかと考えて話し合った結果、『のび太くんを視聴者の子供たちの模範となるような自立した大人の少年として描く』方向でまとまった。

ドラえもんの根幹を揺るがす大胆不敵なアレンジである。藤子F先生が『これは僕のドラえもんじゃない』と言った(らしい)のも頷ける。ただ、私個人の朧気な記憶ではそこまでの違いはなかったような気がする。

ともあれ、これはあくまでも原作者と制作サイドの方向性の違いであって、社会的倫理的には特に問題ないと思われる。であるならば再放送も可能ではないだろうか。

あとはテレビ局の肚一つ。どこぞの気骨のあるプロデューサーの方、何とかスポンサーを見つけて[幻のアニメ・日テレ版ドラえもん]再放送を実現して欲しい。デジタルリマスター等の処理を施すにしても新たな制作費は掛からないので予算的にもイケるはず。健闘を祈る。


〜おしまひ〜。