やがて寂しき花火かな。


話題:花火


夏の太陽は、暑さだけを地上に残し西の地平に沈もうとしていた。

仕事を終えた帰りの道すがら。公園の横を通ると、花火をしている家族連れの姿があった。(夏の夜だな)などと思いながら、幾分歩調を緩めて歩く。すると、背中越しに誰かの話す声が聴こえて来た。

母親「この公園、花火やっても良かったんだね」

男の子「そうだよ。ちゃんと火の後始末してゴミを持ち帰れば花火していいんだって、ここの公園」

振り返ると母子連れが私の後ろを歩いていた。男の子は小学校の一年坊主ぐらいか。いがぐり頭が実に香ばしい。マルコメ味噌のCMを思い出す。

母子の会話は尚も私の背中で続いた。

母「じゃあ、今夜、ご飯食べたら花火やりに来よっか?」

花火をやる家族連れの姿をみて心に火がついたのか、母親は俄然やる気になったようだ。ところが……

男の子「うん、花火やりたい!」

一度は母親に同意するも、マルコメ坊やは、すぐにその言葉を翻したのだった。

男の子「うーん……やっぱり、明日の夜がいいな」

虚をつかれた母親が聞き返す。

母親「えっ?…家に花火セットあるし、今夜やろうよ。何で明日がいいの?」

やる気満々の母親は納得がいかないようだ。そんな母親にマルコメ坊やは、子供とは思えない落ち着き払った口調で言った。

男の子「だって…明日の夜にした方が、楽しみに待つ時間が長くなっていいと思う」

ほほう…理由はそれですか。やんちゃな見た目とは裏腹に、熟考を重ねて行動を決めるタイプか。私は妙なところに感心していた。

そして思った。

この男の子は、食事の献立で“一番好きな物は最後まで残しておいてゆっくりと食べる派”かも知れないな、と。逆に母親は、“一番好きな物を真っ先に食べる派”。

まあ、本当のところは判らないけれども。

夏の夜、家族だけの小さな花火大会。幼い頃は家の庭でよくやったものだ。父親や母親、弟は、花形の32連発ロケット花火を一番最後まで残して華やかに酉を飾るが好きで、そういう順番をとろうとした。勿論、私もそれに異存はなく、それに従った。

でも…ロケット花火で派手に最後を決めた後、一本だけ、線香花火に火を灯して静かな余韻を夜に残し、花火を終えるのが本当は一番好きだった。楽しい時間の最後には少しばかりの寂しさがよく似合う。そんな風に思えたからであった…。


【終わり】。





大人の怪談。


話題:ネタだろ…www


「肝だめしの招待状を貰ったのだけど、一緒に行かないかい?」

ある夏の午後、道でばったり遭遇した友人のA君が久しぶりの挨拶もそこそこに突然そう切り出してきた。A君は高校時代の級友、私とは同い年。という事はつまり、二人とももう良い歳である。

「肝だめしって、君…僕らはそういう歳でもないだろう?」

少しばかり飽きれ気味に私が云うと、A君は夏の空を見上げ、眩しそうに目を細めながら云い返してきた。

「そうは云うけどねトキノ君、今は夏の盛りだよ。肝だめしと云えば君、夏の風物詩ではないか」

確かに、それはその通りである。夜風にカタカタと揺れる卒塔婆、ぼんやりと無気味に辺りを照らす和提灯、白い三角巾を頭に巻いて幽霊に扮した大人たちが“うらめしや〜”と子供たちを怖がらせる。エアコンなど無い時代の夏の涼である。

ここは一つ、童心に戻って肝だめし遊びに興じるのも悪くないかも知れない。私は少しばかり乗り気になっていた。ところが、ここにきてA君がまた奇妙な事を云い始めた。

「いや、むしろ逆にね…僕らはそろそろ肝だめしに行くべき年齢だという気がするよ」

何とも不可解な台詞である。肝だめしは基本的には子供の遊びであろう。困った私は、取り敢えず、A君のもとに届いたという招待状を見せて貰う事にした。

「君ゝ…これは“肝臓検査の通知書”ではないか」

するとA君は、この暑さだと云うのに極めて涼しい顔で云ったのだった。

「うん、肝臓検査…つまりは肝だめしだ」

暑さで脳が少々やられているせいだろうか、彼の云い分にも一理あるように思えてきた。

「でもA君、やはり肝だめしは怖くないと駄目だろう?単に病院に検査に行くだけでは“肝だめし”とは云えない気がするけどね」

「いや、酒飲みの僕としては肝臓の検査は十分恐ろしい。トキノ君、これは長年お酒を飲み続けてきた人間が味わえる大人の怪談だよ」

成る程。そう云われてしまうと私としては返す刀がない。どうか、お大事に…。


怪談とは怪しい談(話)の事である。そういう意味では、この話もぎりぎり怪談と云える気がするのであるが…どうだろうか、君?


【終わり】


この話は当然フィクションである。そして、肝だめしをレバー・トライアルと英訳してはいけない…。


振り返るも奴はいない。


話題:声


通路を歩いていて、横や背後から突然「キターーッ!」と声が飛んで来たら…恐らく殆んどの人は驚くと思います。

勿論、私も驚きました。という事は、つまり…そうです…そんな出来事が実際にあったのです。

場所は某スーパーマーケットの地下にある食品売場。私が冷凍食品コーナー横の通路を歩いていると、不意に斜め後ろから声がしたのです。

「キターーッ!」

音量自体は小さいものの、エネルギュッシュな低音。力強い声でこの台詞とくれば、もはや声の主はあの人以外には考えられません。

(織田裕二さん!?)

慌てて振り返る私。が、そこには織田裕二さんはおろか、石黒賢さんの姿すらありません。そう、振り返っても奴はいなかったのです。

――読解の手引き――

かつて『振り返れば奴がいる』というドラマがあり、その主演が織田裕二さんと石黒賢さんだったのです。

――手引き終了――

空耳か?

が、その直後またしても…「キターーッ!」。

空耳ではありません。ところが、声はすれども姿は見えず。しかも面妖な事に、どうやら声の出所は冷凍食品の棚の中らしい…。

何故、冷凍食品の中に織田裕二さんが?ひょっとして、私の知らない間に《冷凍ミニ織田裕二》がニチレイあたりから新発売になったのでしょうか?

相変わらず「キターーッ!」の声は、数十秒おきに定期的に繰り返されています。私は…いや、私の中の川口浩探険隊は…真相を確かめるべく更に音源に近づき耳をそばだてました。

すると、どうやら声の主は冷凍棚のモーターであるらしい事が判りました。冷気を出す機械の調子が悪いらしく、更には老朽化した棚の建てつけの悪さと相まってモーターの作動音が人間の声そっくりに変化したようです。

何とも絶妙な変化の仕方。人間の声にしか聴こえません。しかも滑舌がとても良い。完全に織田裕二さんを再現しています。

偶然の仕業とは言え、あまりにも絶妙な出来事。それが証拠に、その通路を歩く人はけっこうな確率で「キターーッ!」の声に驚いていました。

それにしても、単なる音が言語として認識された瞬間、そこに特定の意味が生じるというのは、考えてみれば面白い話だなと、そんな事を思ったのでした。

因みに、この冷凍食品コーナーは6月10日の記事『疑惑のチキンカツ』に登場したのと同じ場所。奇妙な事件が立て続けに二度…もしかしたら、この場所こそは隠れパワースポットなのかも知れません。


〜おしまい〜。




松阪牛は実は馬だった!

話題:どうでもいい報告


珍しく近所のスーパーに松阪牛が並んでいた。そして、並んでいた牛たちは開店と同時に店内にドドーっと突入し……という意味の“並んでいた”では無く、精肉売場の一角に“お肉として並べられていた”という事です。

松阪牛と言えば、言わずと知れた《世界四大マツザカ》の一つ。残りのスリーマツザカは、@野球の松坂大輔投手A百貨店の松坂屋B女優の松坂慶子さん(愛の水中花)となります。

こちらでは(店にもよりますが)松阪牛が店頭に並ぶ事はあまり無いので、ちょっと目を惹く存在なのです。

松阪牛サーロインステーキ。見事な霜降り。とても美味しそうです。ところが…一枚200瓦(グラム)少々で、お値段は約6000円也。やはり高い。6000円あれば竿竹が12本も買えます。

しかしながら、当面竿竹を買う必要はないので、ここは一つ、清水の舞台をよじ登るつもりで松阪牛を買うという手もあります。

さて、どうしたものか…。

松阪牛サーロインステーキの数は4パックのみ。うかうかしていると先に買われてしまいます。

そんな風にしばし売場の前で思案に暮れていた私。そうこうする間にも多くの人間が松阪牛の前を通り過ぎて行きます。「月日は百代の過客にして、行き交う年もまた旅人なり」。そんな言葉が想い起こされます。

天下に名だたる松阪牛。誰もが目を留め、手に取ります。そして、夫婦連れや親子連れなどグループで来ている人は、かなりの確率でこんな会話を交わします。

『美味しそうだね』

そして、手に取ったパックを再び棚に戻します。優しい手つきで。釣りで言うところのキャッチ&リリースです。

誰もが一度は着目し、或いは手に取って眺める。しかし、その誰もが決して買おうとはしない。アンタッチャブルな存在。

果たして、このアンタッチャブルな価格の松阪ビーフを買う人間は存在するのだろうか?

ふと、そんな事が気になったので、少しの間近くで様子を見ていると…五分くらい経った頃でしょうか…仕立ての良いダークグレーの背広に身を包んだ恰幅の良い口髭の老紳士が、松阪牛に目を留めるや否や、当然といった風情で買い物カゴの中に入れたのです。

それは、一枚6000円のステーキ肉が売れた決定的瞬間でした。めでたしめでたし…。


〜おしまい〜。


…と言いたいところですが、実は続きがあるのです。

その数分後。他の売場を回り、再び松阪牛ゾーンに戻って来た私が目にしたたのは、棚に並ぶ4パックの松阪牛サーロインステーキでした。

あれ?先ほど老紳士が1パック買って行ったので、残りは3パックのはず。私が持ち場を離れた数分の間に店員が1パック補充したのだろうか?いや…持ち場では無いけれども。

そんな事を思いながら、4つのパックを確認してみると…並んでいるのは最初に見た4パックと同じ物である事が判明しました。という事は…例の老紳士は一度は買い物カゴに入れた松阪牛を時間差攻撃で棚に戻した…恐らくはそういう事なのでしょう。

観賞用のお肉。どうやら、人と松阪牛の間には見えない高い壁が存在するようです…。

或いは、店側の狙いとして…

松阪牛を見て牛肉が食べたくなる→高いので諦めて他の牛肉を見る→松阪牛の値段を見た後なので安く感じて思わず買ってしまう。

結果、松阪牛は売れないが他の牛肉が売れる。そのような効果を狙っているのかも知れません。

松阪牛は他の牛肉を買わせる為のアテ馬。牛なのに…馬。どうりでウマそうに見える訳です。と、軽くオチが着いたところで本日はこの辺で…。


〜おしまい〜。



それはカクテルパーティー効果ではなく。


話題:心に響いた言葉


《カクテルパーティー効果》という言葉がある。これは、特定の音声を拾う事が困難と思える多人数の会話が入り雑じるような喧騒の中でも、自分に関係する事柄や興味のある事柄は選択的に聞き取る事が出来るという、音響学と心理学に跨がった言葉である。

さて、先日の事。

都会の喧騒かくあるべし、といった感じの典型的な街の雑踏の中を歩いていた折り、ある一つの会話音声を耳が拾った。

『どのみち最後は絶対ハゲるんだから諦めればいいのにね…』

……。

何という事だ。無数の会話が飛び交う中、何故、私はその音声だけを認識出来た…いや、聞き取ってしまったのだろうか。もし、これがカクテルパーティー効果によるものだとしたならば、私と“ハゲちゃびん”は密接な関係がある、もしくは私が“ハゲちゃびん”に関心がある事になってしまう。

故に、今回の出来事は「たまたま相手がよく通る声をしていた」という事にしておこうと思う。

余談ではあるが、私の前髪の生え際の形は、若かりし頃のショーン・コネリーにそっくりなのである……。


〜おしまひ〜。




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