卒業を1ヶ月後に控えた寒い日。自分の部屋から外を見ると、冬らしい乾いた青空が広がっていた。「もうすぐ終わり」。清々しい青さとは反対に、その事実が頭に胸に、重くのしかかってくるようだった。
このままじゃ、きっと本当に呆気なく終わってしまう。
私立大学を3つしか受けなかった私の受験は全て合格で幕を閉じた。そのうち2つは東京の大学で、そのうちの片方が第一志望の本命だ。どうしてもその大学に入りたくて必死で勉強した。今となっては結果的に目標は達成できたが、早い段階で推薦で既に進路が決まっていた花巻とは秋に大喧嘩して別れてしまった。最低だったな、私。私のことを気にかけてくれる花巻にたくさん酷いことを言った気がする。自分のことに必死で周りのことがなんにも見えていなかった。
バレンタインデーの今日、進路が決まっているバレー部たちが部活に顔を出していることは、岩泉から事前に聞き出してある。この時期に学校に来ている3年生は予備校に通っていない国公立志望の生徒ぐらいのもので、私はなるべく目立たないように体育館までの道をそろそろと歩いた。右手には2リットルのスポーツドリンク2本、左手には部員全員分の市販のチョコの詰め合わせと、1つだけ特別な包みを抱えながら。
体育館の入り口を抜けてこっそりとギャラリーに上がり荷物を降ろす。見回せばいつものように見学の女の子がずらっと並んでいて、黄色い声をあげている。引退した及川がいることが噂で回ったのか、私の後からも次から次へと女の子たちがギャラリーに腰を下ろしていく。及川はもちろん格好いいけれど、私が自然と目で追ってしまうのは花巻だ。いつ差し入れを渡しに行こうかと考えながらじっと見つめていると、不意に花巻がこちらを向いて私に気が付いたようだった。軽く手を上げて掌を向けられて、唇だけで微笑んで私も同じようにして返す。あの頃と同じように手を振るのは違うと思ったから。そして差し入れを両手に掲げてアピールすると、練習は一旦休憩に入ることになったようで私は荷物を持って下へ降りる。アリーナの入り口を目指していると、中から出てきた花巻がペットボトルが入った袋を私の手から引き取った。
「重かったろ、腕折れんじゃね」
「元マネージャー舐めないで」
秋の大喧嘩からまともに話したのは今日が初めてだ。花巻は何事もなかったかのように振る舞ってはいるけれど、2人の間に流れる空気はなんだか危うくて脆い、そんな感じがする。腫れ物に触るような、そんな。
花巻が後輩たちに声をかけると、「あざーす」といかにも体育会系な感謝の言葉を懐かしい気持ちで浴びた。スポーツドリンクは勝手に分けてもらうことにして、チョコの詰め合わせを一人ひとりに配って回る。
「お疲れさま。スポドリもよかったら飲んでね」
「チョコっすか!ありがとうございます!」
「今年の記録0個じゃなくなりました、あざす!」
同期の及川、岩泉、松川、それに花巻にもきちんと渡してから、唾を飲み込んで唇を開いた。
「今日練習終わったら…話したいことある。残れる?」
事の顛末をすべて知っている他の3人にこれでもかと凝視されているのを痛いほど感じるが、ここで逃げたらだめだ。速くなる心臓の音を感じながらそう念じて花巻の言葉を待つ。
「わかった」
花巻が一言だけ発した直後に練習再開の号令がかかって、4人は駆け足で後輩たちの方へ行ってしまった。
「遅くなった、ゴメン」
部室棟の壁に寄りかかりながら花巻を待っていると、感情が読み取れない顔をした本人が現れた。一歩一歩砂利を踏みしめる音がやけに響く。
「これ、お詫びのチョコ」
目的を一番に終えてしまいたくて包みを差し出したものの、なんだかふざけたような言い回しになってしまって少し焦る。きちんと謝らなきゃと思い直して口を開く。
「あの時はごめんね、私一杯一杯で…花巻は気遣ってくれてたんだよね、ほんとにごめん」
頭を下げて花巻の反応を窺うが、何も言葉が返ってこなくて絶望的な気持ちで姿勢を直す。とてもじゃないけど顔を見るなんてことはできなくて、俯いたまま続ける。
「許してほしいとは言わないけど、もうすぐ会えなくなるしちゃんと謝りたかったの」
疲れてるのに残らせてごめんね。そう言って見上げた花巻の顔は今まで見たことないくらい悲壮な表情をしていて思わず見つめてしまう。
「お詫びのチョコ、って謝って終わりなの」
「もう一回やり直そうってならないワケ」
「東京の行きたかった大学受かったんでしょ。お互い東京なんだからどうとでもなるべ」
矢継ぎ早に並べられる言葉に驚いて固まっていると、
「…なんで終わらせようしてんだよ」
最後に吐き捨てるようにそう言った。
普段言葉を荒げることが少なかった花巻がここまで感情的になったのを初めて見て、不謹慎な私の心臓は暖かくて心地の良い何かを感じ始めた。それはあっという間に手足の指の先まで伝わってびりびりと痺れる。なぁ、と両肩を掴まれて揺すられる。覗き込んできた花巻の目を見て自然と声が出る。
「好き」
頭をぐっと抱えられて案外厚い胸板に押し付けられる。
花巻が右手に持ったままの私からの贈り物が、カサカサと音を立てて笑っていた。
終
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