流れに任せて
なるようになるのを
待つより

失敗したとしても
自分から
アクションを
起こしていけるような
生き方に
魅力を感じる。

ワン アクション
ワン リスク
だけど、
振り返ればそこには
きっと
後悔はないと思う。


何だってそうだ
流れに任せるも
悪いとは思わないけど
自分でしっかり
道を進んでいきたい。
踏みしめていきたい。
すごく、最近思うこと。


これでいいのかな、
悩むけど
ま、いっか、と
目をそらしたり
周りに任せたり
そんなふうに
ただ流され流れるのは
嫌だなと。

誰とでも
ちゃんと
ぶつかっていきたい。

そりゃ
この世の中。
みんな違う人が
沢山いる世の中で
当たり前なんて
人の数ほどある中で
同じ世界を共有して
生きていれば。

合う 合わないは
つきものだとおもうけど、

嫌うは
また別だと私は思う。


話しても 理解できない
そんな事もあると思う。
でも
話すことで
こんな考えもあるんだ、と
心の隅に留められるくらいの
努力はしたい。
理解できないを
押し付けるでなく
理解出来るように
努力していきたい。


見ているだけ、は
もう嫌だ。
ちゃんと向き合って
ぶつかっていきたい。

それで
批判を買うことになろうと。
この先幾年先で
分かり合えたら
それでもいいと思えるから。



1人になるのは
辛いことです。
社会の輪の中には
自分の居場所が出来れば
孤独からは
解放されるかもしれない。

家族の輪の中に
自分の居場所があれば
マイナスな気持ちを感じずに
いられるのかもしれない。


でも、
ふと思い立つ時はあるはず。
独りがどれほど辛いことか。

1人でいる、人なんていない
1人がすき、な人も
きっといないと思う
楽なのはあるかも?
でも好んで1人になった人は
いないと思う…思いたい。
1人になったのは
何かすらの
エピソードがあったからだと。



小学生の頃
いじめにあって
中学の頃には
同じく上がることの無かった
同学年の女の子。

最近久しぶりに見かけて
やっぱり纏う雰囲気は
変わらないもので。
私も
あの子も気づいて。
瞬間、
店先で泣かれました。

入口なのに、
ありがとうと
泣かれました。

私は全く覚えのない
話だったのですが、
私は確かに
小1の時に口喧嘩で
小6の男の子を泣かせ
先生と話したことが
1度ありました。

経緯は詳しくは覚えてなくて…
ただ淡々と自分の考えを
幼いながら
素直に話した記憶があります。

その時も
だったらしいですが、
私に助けて貰ったんだと。

また
同じクラスでいじめを受けて
いた時も
私は周りのこと気にせず
対等に接してくれて
同じ班になった時とかは
学校行こうかな、という
気になれていたんだとか。


私は特に彼女に対して
特別
何かしてあげていた訳ではないし、
だからといって
何かを起こす勇気もなくて。
ただ流れるままに
過ごしていただけなのに。

それでも彼女はこんなにも
感謝してくれていたことを
知って
恥ずかしかった。
私は忘れてしまうくらい
些細なことだったり。
感謝されるほどの事
何もしてないのに。

それから少し
話してばいばいしましたが

私もちゃんと
変わらなきゃ、って思いました。


人は弱い生き物だから
群れると勘違いして
強くなった気がしたり
優位に立った気がしたり。

そんな貴女自身は全く
変わっていない


1人になるのは寂しいこと
分かり合える人
支え合える人
人それぞれに
必要な人

誰かが
1人になろうとしていたら
そうならないように
周りに目を向けて
声を聞いていけたらいい。

気づいて、何もしないは
自分で自分が許せないから
それだけ
やっぱりただの自己満足


でも やっぱり
ひとりは いけないこと
ひとりは 許せない