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ハローハロー、世界の片隅から




何日か前、ウォークマンをシャッフル再生していたら、RADWINPSの「夢番地」が流れてきて、この春のことを思い出しました。


初めて聞いた時は特に何も感じなかったのだけど、春に、自分の境遇が辛くて、生まれ持ったものが重くて、そんな時にもう一度この曲を聴きました。
たぶんその時もシャッフルで偶然出てきたのですが。


何というか、この詞を書いた野田さん(でしたっけ?)は、本当に欲しくてたまらないものがあるのに、でもそれを自分は手に入れることが出来ない痛みを感じたことのある人なんだな、とその時思いました。
それに気付いたら切なくなってしまった。
何となく分かっているようなつもりでも、痛みなんて結局は自分が実際に経験しないと分からないものなんですね、やっぱり。


これだけじゃなくて、映画でも小説でも、人の感情でも、自分は分かったようなつもりでいても、ある時自分が同じ様な境遇に立たされた時にやっと本当にその痛みを知るという経験がいくつかあります。
そういう時って本当にはっとする。
あぁ、自分は分かったようなふりをしていて、本当は全然分かってなかったんだなぁって何だか泣きたくなります。

こういう経験って、高校生くらいの頃にはまだ無かった気がします。
少しは私も色々経験してきてるのかな。

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