連続投稿だよやったね!この記事はフリゲ関係ないよ!

えー、鬱展開について考えたこと改めて色々。

ブログにアップ済の感想文がしれっと未更新フォルダに紛れていることが最近多く、うっかり重複投稿していやしないかとはらはらする今日この頃。
というわけで、この文章、元々はかなり前に取り上げた「キナナキの森」(mblg.tv)のあとがきを読んで色々と考えたことでした。なのでこれまで感想文に追記で入れていたのですが、まったく作品と関係ない話になってしまってるなあと今さらながらに罪悪感が芽生えたので、別記事で晒します。ついでに元記事もちょこっと編集。





基本的に思考整理用の自分語りばっかりです。
鬱展開好きな理由って何だろうとか、なんでバッドエンドに惹かれるんだろうとかいうのを今さらながらに考えてみました。





なんだかなあ、なんで鬱展開好きなのかってことを考えて真っ先に思いつくのは、ハッピーエンドだと「そんな都合よくいくわけないじゃん!」って思うからなんですよねぇ。「ああこいつも裏切った……」「ああやっぱり失敗した……」って展開に、むしろ安心感を得られるよーな気がしてしまいます。
これって多分、先んじて悲劇を予想して覚悟しておくことで傷つけられるのを回避するという防御機構?が働くせいではと想像しているのですが。どうなんでしょうね。
最近名前がついたことで可視化されてき始めたメリーバッドエンドことメリバ展開なら、この辺の矛盾も解消するのかもしれません。



んでふと思いだしたのだけど。
鬱展開について、「現実世界がこんなにも辛いのに娯楽でまで暗いもの見たくない」とか、「鬱展開を好むのはその残虐さや心の辛さが理解しきれないくらい精神的に幼稚だから」といった意見をたまーに見ます。

まず前者について。私の場合、逆に現実世界が辛いからこそ明るい展開が信用できないという面倒くさい思考があります。鬱展開ものにリアルとか現実的とかいう感想がひっついてくるのは多分このせいじゃないかな。
といってもハッピーエンドが嫌いなわけじゃなくて、きちんと伏線とかそれまでの雰囲気世界観とかを通してその明るい展開を信頼できるだけの下積みがあったら、そりゃもう喜んで大団円拍手ぱちぱちしたくなるんです。いわゆるご都合主義ものにはこの下積みが無いからこそ引っ掛かりを覚えてしまうんだろうなあと思ってます。猜疑心が深くてごめんな。
あと単純に、リアルで凹んでる時に娯楽できゃっきゃわいわいしてる作品見るともっと心が沈むんですよね……。私の世界はこんなに暗いのに二次元は明るい向こうに行きたいでも行けない的な虚しさ……。なので、あの「現実世界がこんなにも辛いのに娯楽でまで暗いもの見たくない」って意見の方と私とでは真逆の思考をしてるんだろうなあと思います。
どちらが良いとかでは勿論無くて、この考え方の違いが鬱展開好き嫌いを分ける決定的な理由のうちの一つなのかなと。


続いて後者「鬱展開を好むのはその残虐さや心の辛さが理解しきれないくらい精神的に幼稚だから」について。
私自身自分のことクソガキだなあと思っているのでまあ確信持って否定はしきれないんですが。むしろ鬱展開は心抉られてこそなのでは、と思ったりもするので、申し訳ないながらこのタイプのご意見見る度にもにょもにょします。
好きなものを見るとそりゃ興奮するのでね、叫びますしテンション上がりますが、それはあくまで「好みのものに出会えた喜び」の表現なのです。このブログでも興奮したテンション上がった云々しょっちゅう書いてますけども。
で、肝心の鬱展開を楽しむ時の感情はむしろ私の場合は逆です。沈んでます。辛いし苦しいです。もっとどうにかできたのではとIFを考えて、どうにかできなかったのかという悔しさを噛み締めたりこうにしかならないよなあという悲しみの余韻に浸ったりしてます。それが好きなんです。エンドロールが一生続いて欲しいと思えるくらい余韻大好きです。
こんな長ったらしく書かなくても一部の人には「怖いもの見たさ」で全てが通じる気もします。本気で怖がりじゃないとお化け屋敷楽しめない論です。泣ける○○ってアオリのついた本を泣くために買う論でも代用可です。
ともあれこういったダウナーな鑑賞を「楽しんでる」というアッパーな表現で書くから齟齬が生まれるのかなあと思いつつ、好きは好きなので楽しむとしか書けないし誤解を避けるために文字数を割くのは面倒くさいという結論に至ってしまいます。すまんな。

話があっちこっち行った。
うだうだと書きましたが、嫌いと公言している人に「違うんだよ私はこういう楽しみ方をしていてこういう考えの元で進んで選んでいるんだよ」と説明する行為は、向こうからすればハタ迷惑でしかありません。存じております。なので結局のところあなたはあなた私は私で割り切るべきです。
が、「ちゃうんや!」という想いが抑え切れなかったので書きました。めっちゃすっきりしました。よっしゃ。





結局私が鬱展開好きな理由は「悲観的だから」「疑い深いから」「怖いもの見たさ」の3つにまとまるのかなあと思いました。なるほどそうだったのか。



私はとかく一か所に根を張ってのんべんだらりと暮らしたい派なので、希望や変化や成長ばっかりの話はどうしてもしんどいなーと思ってしまいます。なので、物語の終わりがはっきりしていて、これからの未来が停滞しているパターンの多いジャンルへと引っ張られていった結果、鬱展開好きになったという経緯もある気がしてきました。
本当どこでこんなこじらせたんだろう。意外と自分の原点ってわかりませんよね。私のヤンデレ・鬱展開萌えはどの辺りで開花したのか、過去の自分に尋ねてみたい所存です。

昔は逆にバッドエンド苦手だったはずなんですけどね。
また、時間が経ったら変わるのかもしれません。それもまたよきかな。



色々書いたら自分の中で突っかかってたところがすっきりしました。やったぜ。読んで下さった方お付き合いどうもありがとうございました。