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介護従事者のストレス


介護従事者は精神的なストレスを抱えます。
そのストレスは、決して要介護者に向けて吐き出してはならないのです。
要介護者に対して家族・身内の様に親しく接するのは他人である介護従事者にとっては欠かせないものではありますが、相手はお客様であり、まして弱い存在なのですから、常に心に一線を引いて、折り目正しく、かつ親しく接して介助しなければなりません。
では、それにより抱え込んだストレスは、どう発散したらよいのでしょうか。
それにはまず、上司の的確なフォローが求められますが、自己に於いても健全な方法で発散することに努めねばなりません。
一から十まで他人任せ、上司任せでは、人としてどうかと思いますから。
では、健全な方法とは、なんでしょう。
それは人により様々ですが、決して翌日の業務に支障をきたす深酒や、身を持ち崩すギャンブルや、性欲を満たすことではないと思います。
スポーツで汗をかいたり、気ままにドライブしたり等々いくらでもあると思います。
上手にストレスを解消出来る人間は、仕事も上手くやれるものだと思います。

要介護者と介護者について考える


要介護者と介護従事者との関係は脆く危ういものでしかありません。
要介護者の求めてるものを知ることは、並大抵の努力ではありません。
まして、要介護者にも人間としての尊厳、これまで生きてきた各々の生活スタイル、こだわりというものがあります。
介護従事者はそれらを上手く導き出して、要介護者の要求を満たさねばなりません。
更に大切なことは、『自分ならこうされたくない、こう言われたくない』ということを要介護者にしてはならないということではないでしょうか。
粗野な言動は要介護者を傷つけるだけです。
たとえ認知症が進んでいても介護従事者の不用意な言動には過敏に反応するのです。
まして、施設に於いては要介護者はお客様でもあります。
また、施設は高齢者を対象とする『命の現場』でもありますから、介護従事者は『命の現場』で接客業に従事していると認識しなければなりません。
それを忘れた時、巷で問題になっている、『高齢者虐待』が起きるのではないでしょうか?

敬老会


とある有料老人ホーム、ここに入居されてる方の大半は寝たきりの方で、日中ホールですごされる方はほんの数名です。
それでも敬老会は行われます。
寝たきりの方は出来るだけリクライニング車イスで参加させます。
料理は普段とさほどかわりはありませんが、温かく品数も若干増えてます。
家族はあえて呼びません。一応案内は出しますが、参加されても料理は出ません。また不参加の場合でも、あとで写真でご報告するのみです。
地域の幼稚園にお願いして、園児の歌や踊り、またボランティアにお願いして民謡が披露されますが、時間にしたら一時間あまりとなります。
寝たきりの利用者を無理くり起こしてる都合があるからです。
それよりも、ここでは敬老会終了後の職員の慰労会が賑やかに町中の居酒屋で行われます。
そう、ここでは、各種イベント事は職員のナンパ慰労会の口実でしかないのでした。

敬老会


サービス付き高齢者住宅に入居されてる利用者は高額所得者の家族が大半を占めておりますから、敬老会ともなりますと、施設側の対応は豪華過ぎるほど豪華になります。
まずは料理、食堂を構え外部の業者が参入してますから、ご馳走が用意されます。
もちろん利用者の一部の方々には、その方の食事制限に合わせたギリギリ豪華なものが用意されます。
そしてローカルとはいえ有名な歌手のミニコンサート、ひと月前から練習に励んできた職員によるミニ芝居、やはり地域では有名な踊りの一座による民謡踊り。
介護度の低い利用者さんばかりですから、その宴は3時間から4時間に及びます。
途中、和菓子やお茶も提供されました。
閉会は施設側の挨拶、家族会代表の感謝の言葉。
そして利用者全員に粗品がプレゼントされます。
なにもかも豪華ですが、その費用はどこから?
月額40万を越える入居費、介護費を得てるのですから、施設からすれば大した出費ではないのです。
入居者を繋ぎ止めるには安いくらいなのです。
ここも欺瞞に満ちた敬老会なのでした。

敬老会


とあるグループホームの敬老会は、家族が参加するかどうかは当日まで不明なままで行われました。
当然家族への食事は注文を出しておりますが、不参加の場合でも料金は月末の請求書に加算されます。
さて、肝心の敬老会の方は、地域のボランティアによる踊り、幼稚園児によるダンスと歌で一時間ほどで閉会。
利用者に提供された昼食は、カロリー制限もされ、また食べやすい形態になっておりますが、唯一の欠点は冷えたままであること。
そして、家族を見送ったあとは、利用者を共同ホールのテレビの前に座らせたままにして、後片付けにとりかかるわけです。
ここでも敬老会は家族に対しての欺瞞に満ちたものでしかないのでした。
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