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「clover」



「clover」/Plus-Tech Squeeze Box



ゴールデンウィークも今日でおしまい。
最終日は家でのんびりしながら連休中にあったことを思い出したりしている人も多いのかな。

思い出が鮮やかによみがえる、なんて言葉がありますが、鮮やかな思い出の間と間の、薄くぼんやりとした記憶だってそれも思い出だと思います。


連休最後・企画最後の曲はPSBの「clover」。
好盤「FAKEVOX」の最後のほうに収録されている、ラインナップの中でもちょっと毛色の違う一曲です。

古いレコードに針を落としているような、かすかなオーディオの音が聞こえます。
フィルターをかけた音楽は、すりガラスの向こうから聞こえてくるようなくぐもったメロディ。不明瞭さが不思議とあたたたかく、遠く白昼夢を見ている気持ちになります。

午後の陽だまりに身体を寄せたときの、夢と現実のあわいを漂う感覚。
誰かの、あるいは自分の思い出を古いフィルムの映像で見ているような音楽です。夢のような余韻をもって響くエレキギターの音色と、少女のような、甘すぎないヴォーカルの声が雰囲気があって良いのですよ。

お休みの最後は目を閉じて、思い出を振り返るのも素敵ですね。





PSBの「FAKEVOX」は、初めてCDをアーティストの前情報なし・ジャケットの見た目のみで買った思い出の一枚です。
ようはジャケ買いというものですね。

お金がなかった学生のころ、CDはわりと高価な買い物でした。一枚のCDを長い間繰り返し繰り返しずっと聴いていたものです。
まあ今もお金ないけどな。金銭感覚だって大して変わってないけどな。

とにかく、CDを買う機会は貴重だったので、好きなアーティストのものだけをひたすら集めていました。
というか、ジャケ買いとかちょっと気になったから買ってみる、とか、そういう概念が自分の中にまだなかった。

でもある日、たまたま遊びに行ったヴィレッジヴァンガードで「FAKEVOX」のジャケット(解像度を荒くした感じの点描画像。黄色のバックに、青いウサギ)を見て、「かわいい!これ欲しい!」と名前も曲の説明も何も見ずに、反射的に買いました。

結果として、音楽はかなり好みだったです。ビギナーズラックというか、釣り糸垂らしたら鯛が釣れたというか、初打席ホームラン、みたいなものですよ。

それに味をしめ、定期的にジャケ買いをし続けて今に至ります。
落ちた沼は深かった。




こういった思い出も、夢と現をさ迷うあたたかい記憶のひとつですね。

「イスラエル」


「イスラエル」/ビル・エヴァンス



夕食の時間は過ぎて、夜の入り口。
そのレストランは、これからはじまる夜を楽しもうという人々で賑わっている。

穏やかな笑い声。グラスとグラスの触れ合いが、転がる鈴のように心地よい音を立てる。
ウェイターは口元に楽しげな笑みを浮かべて、テーブルの間をゆっくりとすり抜けていく。片手に銀のトレイを淡く光らせながら。


端の目立たないテーブルで、男性がひとり軽い食事を採っている。
グラスひとつのシャンパンと、一皿の料理。
周りのにぎやかさに比べると、男性の周りはエア・ポケットのように静かな空気が流れている。
ウェイターが彼の傍を通り過ぎてから少し後、身なりの良い初老の男性が、残りわずかの液体を眺める彼に声をかける。
軽く挨拶のような言葉を交わした後、初老の男性は店の奥の薄い暗がりへ目を遣る。

そこには、使い込まれたピアノが一台。

彼はグラスの中身をそのままに、何も言わずに椅子を引いて、ピアノのほうへ歩いていく。
声をかけた男性はただ微笑んで、彼の背中を見送る。旧い知り合いなのだ。


彼はピアノふたを開けながら椅子に腰をおろす。
10本の指が薄い黄色の鍵盤の上に乗った。
その瞬間から、軽妙なフレーズが薄暗がりからこぼれだす。


音楽に気がついた何人かの人々が、ふと店の奥に顔を向ける。
ウェイターによって灯された硝子照明のあかりが、男性とピアノをわずかに照らし出している。


演奏が始まる前の張り詰めた空気も、ものものしさも、そこにはない。
ただ彼は、何かが「当たり前だ」とでも言うように、長い指でメロディーを紡続ける。


人前で演奏することに対する恐れや、一種の演奏家的押し付けがましさのようなものも、一切ない。
自分で自分のために弾いているような節さえある。
むしろ、音楽が誰かに聴かれることを心のどこかでは厭うてすらいるかのような。



始まりかけの夜への静かな興奮の隙間を、ピアノの音がすり抜けていく。














…というのが、ビル・エヴァンスの「イスラエル」から勝手に想像(妄想)する風景です。

ていうかこれ、前回の記事となんとなく出だしが被ってない?自分で書いておいてなんだけれど。
あとピアノ弾いてる男性は別にビル・エヴァンスじゃないです。



精密で緻密な技術の演奏を、妙な気負いなんかを一切感じさせずに恐ろしいまでの冷静さで聴かせるのが、ビル・エヴァンスの大好きな所なのですが、ここまで(多分)顔色一つ変えずにやってのけられると恐れおののいてしまうところが、無いでもなかったり。

とにかく緻密で繊細なタッチの演奏です。

メロディーの心地よさにふと気を奪われがちなのですが、とにかく要所要所に技術が詰まっていて、聴いているとかなり胸を揺さぶられます。
でも安易に難所で大げさに盛り上げたりしないで、さらりと処理してしまうところが非常ににくいのです。

「イスラエル」で一番好きな個所は曲の初め、出だしの部分なのですが、本当に何気ない感じですっと始まるところがとてもスマートだと思います。


細かい刻みのドラムがまたカッコいい。ベースのソロのうしろで静かに鳴っているシンバルがたまりません。基本は抑え気味に音を取りつつ、ソロは熱いところがまた良いのですよ。

もちろん流れるようなベースラインも聴きどころ。
深みのある音の、こまかいビートの連なりが堪りません。不思議なフレーズのソロが面白いです。


というかベースもドラムも、おとなしそうに見えてわりと自由奔放な感じがするような。
キメ場所をきちんと押さえているから綺麗にまとまって聞こえるけど、それぞれの楽器は結構好きなようにやっている気がします。
ベースは前半ラインからずらした感じの不思議メロディだし、ドラムはリズム取りながらも細かいネタを仕込んでくるし。
ピアノが一気に二人を引っ張り上げて中盤から以降、上手い具合にきれいにまとめていく。鮮やかです。




ジャズ独特の自由な面白さと、音楽としての美しさ、そのどちらも持っているのが、ビル・エヴァンスの「イスラエル」だと思います。
聴いて損は無い素敵な曲です。

「今だから」



「今だから」/松任谷由実 小田和正 財津和夫






お寿司屋さんに行って、カウンターに座ります。
他にお客さんはいない。おかみさんが熱いお絞りと濃いめに淹れた玉露を持ってきてくれる。

熱いお茶にふうふう息を吹きかけながら、目の前のケースを眺めます。中には、今市場から持ってきたばかりというようにいかにも新鮮な魚介類が並んでいる。
どうしたものかなと考えていると、静かに何かの作業をしていた大将が手を止めて「何握ります?」と声をかけてくれます。

言葉少なな所に好感が持てる大将に、優柔不断も相まって、結局こう返す。
「なにか、おすすめのものをお願いします。」
承知しました、という言葉の後、しばしして目の前に置かれたものはーーー



大トロ・鮑・うに。




おどろいて思わず顔を上げる。
改めてケースの中を眺めると、さっきは気がつかなかったけれど、そこに並んでいる魚介たちは誰がどう見ても、一級品のネタになるものばかり。
右から左、端から端まで高価な、しかも海から上がったばかりのぴちぴちとしたネタだけしかありません。



なんだこの店。


思わず財布の中身を確認したくなります。うまいうまいと食べておきながら、まさか食い逃げはできない。
でもさすがに店の人の目の前でそんなことをするわけにもいきません。

背中を冷や汗が流れます。

せめてものあがきに、大将の後ろに見える、立派な筆文字でネタが書き連ねられた板をこっそり見上げる。
その板のそばには小さく張り紙が。


「どのネタもすべて×××円」


そこに書かれているのは、他の普通の寿司屋となんら変わらない金額で。
置いてあるネタから考えると、どう考えてもその金額で食べれるものではないの筈なのですが。



そこで改めて思います。

なんだこの店ーーー












…と言った感じの曲です。長いイントロでございました。


アーティストの名前を見ていただければわかるように、豪華絢爛な顔ぶれです。
しかもこの3人に加えて、編曲はかの坂本龍一氏、演奏メンバーにはサディスティック・ミカバンドの方々が参加されています。
どういった経緯でこのメンバーによるコラボが実現したのかはわからないけれど、どこからどう食べてもそりゃ美味しいわ、という感じですよね。
レコード発売当時の世間の熱狂ぶりは、想像に難くないです。


メンバーがメンバーなのでツッコミの入れようもないんだけど、曲自体もとっても良い曲です。
そりゃだって件の三人が作曲してて、坂本教授が編曲してるんだもん…ていうかこれどうしても話がループしてしまうな。
「王子様が王子様の恰好してたらただの王子様だ」という名言があってかなり好きな言葉なのですが、良いアーティストが集まって曲作って詩を書いて編曲して歌って演奏すれば、そりゃ良い曲になるよ…。


歌詞は良い感じに当時のニューフォーク。そこにYMO的な電気の編曲が合わさって、一見不思議な取り合わせっぽいんだけど、良く合ってるんですよね。
同じ1985年の曲と言えば「Romanticが止まらない」がありますが、ああいった系統の曲の、電機系編曲特有の透明感と、楽器演奏の熱いバンド感に甘酸っぱい歌詞というのがたまらなく好きです。

デジロックともまた違うんだよなー。なんなんだろう、ああいう感じ。






ところで「イ」のつく曲と言うことでわりとほかにも候補はあったのですが、なぜ「今だから」を選んだのかと言えば。
実はこの曲、CDになっていないんですよね。権利がごちゃごちゃしているからなのかなんなのか、音源は未だレコードのみ。ラジオとかでしか聴いたことが無いのです。

ということで、インターネットの片隅で叫んでいれば、誰かがうっかり目にとめてくれるかも知れないので、今回のテーマにした次第です。


だれかーーーー!!!!
今年で発売から30周年だぞーーーーーー!!!!!
アニバーサリーでCD化してくれーーーーーーーー!!!!
だーれーーかーーー!!!!

「Uchu Ryokou」



「Uchu Ryokou」/Dalminjo feat.Piya




ゴールデンウィークもそろそろ折り返し。
まだどこにも出かけてないんだけどなんだかぱっと行きたいところが思い浮かばないし、という方。
思い切って、宇宙旅行なんかどうですか?




「TO THE SKY」という空の旅をテーマにしたコンピレーションのなかの一曲。空って言うかもう宇宙だ。

空間を漂うようなふわふわとしたシンセサイザーの音を下地に、心地の良いベースがお洒落な落ち着きをプラスしています。
その上を、女性のごくゆるい感じのスキャットが滑るように流れる。
不思議なゆらぎに身体をあずけていると、淡く震えるような声が、言葉を語るように、切ないメロディーに乗せているのが聞こえてくる。
こそばゆいような、水滴をこぼした水に広がる波紋のような、不思議な甘さの声。
この女性の声自体がひとつのエフェクトになって、曲にキラキラした印象を与えています。
まるで、宇宙船から無数の星の小さな瞬きを眺めているような、そんな感じ。

かと思えば打ちこみがラテンっぽいなかなか面白いリズムだったりして、適度に甘さを調節しつつ、何気にわりとダンサブルだったりします。面白い曲だなあ。


目を閉じて聴いていると、本当に宇宙まで旅に出れちゃうんじゃなかろうかと錯覚しそうになります。
眠れない夜にはこの曲を聴いて、さあ宇宙旅行へ。








曲を作っているDalminjoさんというアーティストはノルウェーはオスロのご出身だそうで。

個人的な偏見のなかで、電子系の音楽界隈に於いてノルウェー出身というのは、ひとつのあるステータスを確立しているのです。
それは「聴いていて変な音楽だなと思ったら、それはだいたいノルウェーのアーティストの作品である」ということ。むしろ教訓ともいえる。
もちろん「変な」ってあれです、かなり褒めております。言い換えるならば「かなり個性的な」と言ったところでしょうか。


なんでだかはわかりませんが、CDを聴いていてなんじゃこら、とか思ってブックレットを見ると、だいたいノルウェーの人の曲なんですよね。
同じ北欧のグループの中でも、明らかに個性がとんがっている気がします。近いと言えば、アイスランドがそれに近いだろうか…。でもやっぱりノルウェーの変加減は突出してるな。
なので、帯やジャケットのこまこました説明書き(日本語訳されていればまだ良いけど、輸入版や現地買い付けで外国語そのまんまのやつはほんとに読みにくい…)の中に「ノルウェー」の単語を見つけたら問答無用でだいたい買うようにしております。面白いんだよー。
今回の「Uchu Ryokou」もそうですが、コンピの中でも明らかに異彩を放っているあたりがすごくすごいのです。




しかしあの強烈な味わい深い個性はノルウェーという国のどこから出てくるんだろう…。
やはりサーモンですかね。






ゴールデンウィークは、ベッドの上を経由して瞼を閉じて宇宙の旅へ!

「田園」


「田園」/玉置浩二




岩手県の県営球場は市内の外れのほうにあります。

その昔沿岸の高校生だった頃、高総体だかなんだったかの野球の試合が県営野球場で行われると言うことで学年で応援に行きました。
野球の応援と言えば宮古市や花巻市や雫石町にある球場にしか行ったことが無かったので、はじめて行く盛岡の球場に「きっとすごく広くて、すごく立派なんだろうな!県営だし、すごいんだろうな!」とひそかに心躍らせていたのです。

で、試合当日。わくわくしながらゲートをくぐってみると…あの、けっこう古いんすよね。わりに、なんていうか、こぢんまりとしておりましてね。
津軽石(宮古)の球場のんが立派だぁがすか…と心でつぶやいたのが、岩手県営球場とのファースト・コンタクトでした。


しかもたしかその試合負けた。




しかしその後盛岡市民になり、何年となく暮らしていると、そんなレトロな(という表現を使いたい)それなりに愛着がわいてきて、今では「この古さと狭さがいーーーーんだよ」という感じに染まっております。

別に狭くったって良いだろー。ホームランが入り易いんだから良いだろー。楽天時代の山崎(元選手)のホームランだって入ったじゃねーか。




えーと、まあ、それはそうとして。
夏場なんかに、球場のすぐ隣にあるスーパーの二階駐車場に車を入れてエンジンを切ると、アナウンス嬢の「ピッチャー××くん」みたいな放送が聞こえてきたりして、なかなか趣深いです。
若い子たちが(くんがつくので学生野球と分かる)暑いなか頑張ってるなあ、野球かあ、ああ夏だなあ、と思います。






と言うあたりで、今回の曲は「田園」。


この曲を聴くと、真っ先にやぼったいゼッケンのついた白い野球のユニフォームと、土ぼこりが舞う乾いたグラウンドの風景が頭に浮かびます。
これは玉置浩二氏本人主演のドラマ「コーチ」の影響ですね。でもこの曲と言えば野球!と言う人はやっぱり多いのではなかろうか。

小さいころに見たので内容がかなりおぼろげなのですが、わりに熱い内容のドラマだったように思います。
「田園」が発売されて「コーチ」が放送されたのは、1996年のこと。消費税が5%に上がる前年のことですね。

子供だったから当時のことなんて、それこそ家族で毎週「コーチ」を見ていたことしか覚えていないけれど、多分世間的には景気に若干陰りが見え始めたりで、ざわついていたころなんだろうな。去年消費税が上がったときみたいに。
この「田園」も雰囲気は熱いしメロディーもかっこいいんだけど、歌詞を見ると熱いだけじゃなくって、わりと暗いんですよね。でも結局その暗さがあるぶん、後に書かれた言葉がいっそう熱く、まぶしく感じる。


人間が作り出す/作り出せる熱みたいなものに、大きな可能性と夢を見て、辛抱強く信じていた時代だったんだろうなと思います。
歌は時代を映す鏡だと言う言葉がありますが、この「田園」が大ヒットを記録したのは、きっと当時の人たちの心を強く揺さぶるものがあったから。

2015年の現在、この曲はすっかり昔の曲になってしまった。
「なにかに熱くなることはちょっとダサい」みたいなちょっと前の風潮こそおとなしくなってきたけれど、その代わりに、「熱」自体に対してわりと懐疑的になっている気がします。珍しい種類の植物のような。「図鑑には載っているし写真だって雑誌でよく見るけれど、これってほんとうに存在しているのかな?」みたいなね。


もちろんそれが良いとか悪いとか、そんなことは言いきれません。なぜならそれは、時代の流れだから。
時代の流れに優劣なんてない。
もしあったとしても、そんなん、100年後とかじゃないと、わかんないですよね。






でも個人的には、いつもいつまでも、人間の熱を信じていたかったり。

だってそうじゃなきゃ、最終回裏逆転さよならホームランなんて、都合よすぎるじゃないですか。


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