「イスラエル」/ビル・エヴァンス
夕食の時間は過ぎて、夜の入り口。
そのレストランは、これからはじまる夜を楽しもうという人々で賑わっている。
穏やかな笑い声。グラスとグラスの触れ合いが、転がる鈴のように心地よい音を立てる。
ウェイターは口元に楽しげな笑みを浮かべて、テーブルの間をゆっくりとすり抜けていく。片手に銀のトレイを淡く光らせながら。
端の目立たないテーブルで、男性がひとり軽い食事を採っている。
グラスひとつのシャンパンと、一皿の料理。
周りのにぎやかさに比べると、男性の周りはエア・ポケットのように静かな空気が流れている。
ウェイターが彼の傍を通り過ぎてから少し後、身なりの良い初老の男性が、残りわずかの液体を眺める彼に声をかける。
軽く挨拶のような言葉を交わした後、初老の男性は店の奥の薄い暗がりへ目を遣る。
そこには、使い込まれたピアノが一台。
彼はグラスの中身をそのままに、何も言わずに椅子を引いて、ピアノのほうへ歩いていく。
声をかけた男性はただ微笑んで、彼の背中を見送る。旧い知り合いなのだ。
彼はピアノふたを開けながら椅子に腰をおろす。
10本の指が薄い黄色の鍵盤の上に乗った。
その瞬間から、軽妙なフレーズが薄暗がりからこぼれだす。
音楽に気がついた何人かの人々が、ふと店の奥に顔を向ける。
ウェイターによって灯された硝子照明のあかりが、男性とピアノをわずかに照らし出している。
演奏が始まる前の張り詰めた空気も、ものものしさも、そこにはない。
ただ彼は、何かが「当たり前だ」とでも言うように、長い指でメロディーを紡続ける。
人前で演奏することに対する恐れや、一種の演奏家的押し付けがましさのようなものも、一切ない。
自分で自分のために弾いているような節さえある。
むしろ、音楽が誰かに聴かれることを心のどこかでは厭うてすらいるかのような。
始まりかけの夜への静かな興奮の隙間を、ピアノの音がすり抜けていく。
*
…というのが、ビル・エヴァンスの「イスラエル」から勝手に想像(妄想)する風景です。
ていうかこれ、前回の記事となんとなく出だしが被ってない?自分で書いておいてなんだけれど。
あとピアノ弾いてる男性は別にビル・エヴァンスじゃないです。
精密で緻密な技術の演奏を、妙な気負いなんかを一切感じさせずに恐ろしいまでの冷静さで聴かせるのが、ビル・エヴァンスの大好きな所なのですが、ここまで(多分)顔色一つ変えずにやってのけられると恐れおののいてしまうところが、無いでもなかったり。
とにかく緻密で繊細なタッチの演奏です。
メロディーの心地よさにふと気を奪われがちなのですが、とにかく要所要所に技術が詰まっていて、聴いているとかなり胸を揺さぶられます。
でも安易に難所で大げさに盛り上げたりしないで、さらりと処理してしまうところが非常ににくいのです。
「イスラエル」で一番好きな個所は曲の初め、出だしの部分なのですが、本当に何気ない感じですっと始まるところがとてもスマートだと思います。
細かい刻みのドラムがまたカッコいい。ベースのソロのうしろで静かに鳴っているシンバルがたまりません。基本は抑え気味に音を取りつつ、ソロは熱いところがまた良いのですよ。
もちろん流れるようなベースラインも聴きどころ。
深みのある音の、こまかいビートの連なりが堪りません。不思議なフレーズのソロが面白いです。
というかベースもドラムも、おとなしそうに見えてわりと自由奔放な感じがするような。
キメ場所をきちんと押さえているから綺麗にまとまって聞こえるけど、それぞれの楽器は結構好きなようにやっている気がします。
ベースは前半ラインからずらした感じの不思議メロディだし、ドラムはリズム取りながらも細かいネタを仕込んでくるし。
ピアノが一気に二人を引っ張り上げて中盤から以降、上手い具合にきれいにまとめていく。鮮やかです。
ジャズ独特の自由な面白さと、音楽としての美しさ、そのどちらも持っているのが、ビル・エヴァンスの「イスラエル」だと思います。
聴いて損は無い素敵な曲です。