パンケーキ


マエノスベテ10
2022.8.23 00:37
話題:創作小説


73


階段から上へ。
映画館のあるフロアを目指す。向かうにつれ、景色は薄暗くなりつつあった。
 こうして外を歩いていると、とても楽しくて、引きこもる人が信じられないような気がする。
ぼくも閉じ込もってしまおうと思うことは何度もあった。
この「けもみみ」が目立つことは多いし、ただでさえ好奇の目が向くのに、作家の後ろ楯までつきまとってきて、近所を出歩くのすら今は難しい。
 引きこもりを叩くのは嫉妬だなんて言う人が居るけれど、それは間違いだ。別に、大抵が妬くような対象でもない。
こんな風に、誰かから執拗に追われているなら当然だとも思える。
理由なんかないのだ。
そう、要は「生きる気がないなら死ね」ってこと。叩きたいから叩くってこと。そんなことを思いながらぼくは隣を見ていた。

「久々にあんなに巻いたよ。跳べたから、気分がいい」

なんて呟きながらも頭は別のことを思考する。
引きこもりは死ねばいい。
死ねばいいのに。

「みんな普段、どんな風に外の追っ手から逃れてるんだろうな?」
家に居たって、窓からラジオ流されたり、嫌がらせ目的の煩い音声を聞かせに毎日現れる人の出現はこばめない筈だ。
家に居ようと、通常はゆっくりアニメなんか頭に入りはしないし、ラノベなど読む暇など残されていない筈である。
窓をのぞけば「早く飛びおりろよ」と外にいる人から楽しそうにすれ違い様言われるのが当然のことで、学校の方がマシというものだし人が訪ねてきて、わざわざ嫌がらせの品を渡しに来たり、部屋を荒らされたりするだろう。
いじめやいやがらせは別に家も外も関係がないものであって、例えば学校でそうなっていた場合は、家まで来て石を投げつけることがあっても当然というものだ。

「あれ、自主監禁みたいな気分にしかならないのに世間は勘違いしている。

家も外も変わりはしないし、ぼくらには、どこに居たって逃げる場所なんかない。

まずテレビで見るような、絵に描いた暇人がいじめも受けずに部屋に存在する状況が、起こり得ないんだ。家と外どちらが快適なんて問題にはなりはしない」

彼は、しばらくなにやら携帯を操作していたがそんなぼくの独り言に、ふと、なるほどと言った。

「なるほど、メディアが作った、なまぬるい『引きこもり』が、普通現実に存在するわけがない、そういうことだね」

居たとしたら叩かれて当然だ。それは何ら不自由なく、
部屋にこもれる状況がある、数少ない、奇跡なのだから。
大衆に自ら地雷を踏むために手を挙げに行くようなものである。

「もしぼくが部屋にいたって部屋で遺書なんか書く暇、いや書く気力すらギリギリというところだよ。
実際、窓際に誰かが潜んでいないかとか、盗聴に合ってるんじゃないかの方が気になるし、わりと撮影されてるからね。常に。だから部屋にいようが「自由」の範囲は通常の人より狭い」

リスクは低くないのに、リターンは少ない。むしろ、ほとんど無い。





2019/06/12 09:00
パンフレットが並べてある壁際の区画で、すー、はー、とやけに深呼吸しているスカート姿の女性を見つけた。
具合でも悪いのかと近づいてみるとやはり『彼女』だった。

「少し、落ち着かないです……」
彼、が話しかけに行く。

「こんにちは。こられていて、よかった」

「はい……あの」

彼女はぼくの方をちらりと見たが、「彼は協力者だから気にしないでいいよ」と彼が言うと納得したように微笑んでいた。
しかし額にはうっすらと不安や恐怖がにじむ。
恋愛に対する甘い気持ちからでも彼に見惚れているからでもなく、感情を表す、自由な意思で動く、というものを求められるこういった状況はともすれば発狂してしまうようなものだった。
彼女は、少しだけ、ぼくと似ていた。
今考えていることも、きっと早く帰りたいということだろう。
意思や自我を許されない感情の檻から、少し出されたところで腸が煮えくり返るだろう。
中身のない自分の自我の脱け殻を褒められるという不気味。
自分にすら操り用のない、壮絶な嫌悪。
ここまで、来られて、本当に、よく頑張っている。

「先ほど」

と彼女は言った。

「実はなえさんが来られて……『今日は、一緒に居るといいよ』と、くま様がついて来てくださったのです」

やがて彼女の手にしている
ファスナー付きの、かご風のトートバッグから、ひょこっと、無表情な彼が現れ、こちらをじっと見ていた。

「……」

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