何年か前の蒸し暑い夏の夜のこと。室外機の調子が悪かったのでクーラーを動かせず、仕方が無いのでベランダの窓を開けて寝付かれないまま本を読んでいたのです。
生ぬるいとはいえ夜の風が流れ込んできたし、少し離れた場所にある街道の騒音もそれほど気にはならなかったから。ただもう後数時間で夜が明けるという時刻もあって、赤信号が重なるのか数分に一度ふと静寂が訪れる瞬間があったのです。
「チリン」という鈴の音が風に乗って聞こえたような気がしたのも、そんなぽっかり空いた隙間のような静けさの中でした。
車の音があれば気がつかないようなかすかな音で、風に運ばれてきたどこか遠くの音のように聞こえました。
最初はどこかの風鈴か何かだろうと思って読みかけの本に目を落としたのですが、なにか気になってふと静けさが訪れると無意識に耳を澄ますようになっていました。
すると、やはり気のせいではなく鈴の音が聞こえるのです。
しかもその音がゆっくりと近づいてくるのがわかったときには、ぞわっと背筋に寒いものが走りました。
というのもこの部屋はマンションの12階なのです。鈴を鳴らしている何かは、どうやってこちらに近づいているのでしょうか?
実はこのマンション、というかマンション群は郊外のこの辺りでは目立つせいなのか、は飛び降り自殺が多いので地元では有名でした。
その年もすでに二件飛び降りがあって、一人は住人の中年男性、もう一人は同じ沿線に住む若い女性だったとか。
そして、年に数回ある飛び降りのほとんどが夜というのも奇妙な感じで、近所の方とも「やはり昼は下が見えるから怖いのかしら」など話していたのを覚えています。
もっとも、それまで霊体験などなかった私は、あまり気持ち良いものではありませんでしたが、それほど深く気にしていたわけではなかったのです。
「チリン」鈴の音はずいぶん近くで聞こえるようになりました。ちょうど2、3階下の辺りで鳴っているような感じです。