母屋とは切り離され、敷地の北東の角、つまり鬼門にあたるところにその厠は建っていた。
今でこそ、田舎でも簡易水洗のおかげで明るく、清潔なトイレに変身したが、ほんの数十年前までは、薄暗く、不潔な汲取り式の便所が大半だった。
Kさん宅の厠も、壁はところどころ地肌が見えるほど痛み、苔むした屋根瓦の何枚かは今にも落ちそうだった。
申し訳程度の小さな窓しかない古い厠は昼間でも薄暗く、鼻をつく匂いが澱のように淀んでいる。日が暮れると、天井からぶら下がる、わずか10Wほどの明るさしかない裸電球が、弱々しく陰気な光で厠の内部をぼんやりと照らしているのだ。

どうして日本の便所は、こうも陰気くさいのだろう。不浄のものとして、人間が住む母屋とは一線を画しているのは理解できぬこともないが、これほどまでに物の怪の巣窟のごとき暗さ、無気味さを与えることはないと思うのだが…。
今回の不思議は、数十年前のO県の片田舎、典型的な農家で起こった。
O県は瀬戸内に面した温暖の地で、天変地異も少なく、米や野菜作りはもちろん、果樹栽培も盛んで農業県として穏やかに発展してきた。
Kさん一家は、この地で先祖代々お百姓として田畑を耕してきた。
来る日も来る日も、農家の暮らしは変化がない。
お爺ちゃんお婆ちゃんをはじめ、嫁いできた嫁や、家にいる手のあいた者は朝早くから畑に出かけて行く。
若い者は野良仕事より街に働きに出ることが多く、子供たちは学校へ通っているので、家は日が暮れるまではもぬけの殻になる。
一番早く家に帰ってくるのは小学校の子供だが、下校してもだれも家にいないことを幸いに、ランドセルを投げ込んだあとは近所の悪ガキたちと真っ暗になるまで鬼ごっこやチャンバラで遊ぶのが常だった。
その日も、いつもと同じように、Kさん宅の小学生Yちゃんは日が傾いても近所の友達たちと原っぱを歓声をあげながら駆けまわっていた。
「…い、痛ててっ!」夢中で駆けていたYちゃんは、お腹を押さえて立ち止まった。
どうしたのだろう?お昼に食べた弁当にあたったのかもしれない。

お腹を片手で押さえながら、無理をしてしばらくは走り回っていたのだが、どうにも我慢できないほどシクシクと痛みが広がっていった。
下腹部を断続的に襲う痛みのため、下半身はだるくなり、走ることもできなくなってしまった。
そして、腹の痛みとともに激しく便意も催してきた。
Yちゃんは「オレ、ちょっと腹が痛いから厠へ行ってくるわ」と友達に言い、上半身を折るように腹をさすりながら家へと急いだ。
Yちゃんは誰もいない家に駆け込み、ズック靴を脱ぎ散らかして一目散に座敷を抜け、縁側のつっかけを履いて庭の隅にある厠へ飛びこんだ。
腹の痛みは頂点に達し、同時に便意も我慢の限界にきていた。