私は、【女性恐怖症】です。
精神科に通院しているのは、
【学習障害=発達障害】知的障害2B
【肺炎】実際は、内科ですけど「肺炎」は、内科が女医である為に母親に私は
『やっぱり、殺すんだ』って言ってたみたいです(肺炎に発症したのは、覚えてません)
なので内科の先生は、女性の先生の可能性もあるけど、今の精神科で診たら、
【学習障害から来た発達障害】で、私は幼稚園を卒園してますが、女の子が多く、直接会話しても
つまらないし、今の世間では「ナンパ・セクハラ」っと解釈したりされていますが・・・
男の子も居ましたが、女の子と幼稚園で卒園するまで冷めない(酷い言い方ですが)恋愛感情が高まってるように、見えますよね? 私は、みんなと遊びたかったのに
「A君はBちゃんとラブラブだからそっとしなさい」っとなんと保育士の女性が言いました。
母親に聞くと「知的障害はあったけど、幼稚園の時は肺炎は無かったよ」って言ってたので、【肺炎】が
診断されたのは、卒園後ですけど、『園長さんは、男性の方で〇〇君はもしかしたら(中略、ってかまったく、その時の園長さんの話覚えてません)』が
【女性恐怖症】かを確かめる為に肺炎を抱える前に「精神科(今の病院ではない精神科です)」で
実際に【女性】の人で相談するのでしょうか? 【女性の臨床心理士(カウンセラー)】にカウンセリングをしてもらいました。
やはり、いつもは、喜怒哀楽の「喜楽」はでますが、怒鳴りの怒りの『怒』じゃない、恐怖心と哀しい
「怒哀」が多かったみたいです。そして何回かカウンセリングして【女性恐怖症】が判断されました
女性恐怖症を治すためのリハビリっと言われて、私の家に、高校生か大学生ぐらいの女性ボランティアさんが何人か週末でしか、覚えてませんが「遊び」としてくる事になり
最初は、オセロやトランプみたいなものからです(これは何故か覚えてます)。そして段々月日が経ったら、私から、話しかけることが出来ました。でも、なんか【見て話すより】【見ないで話す方が】もっと有利
っと臨床心理士先生は言ってまして、「手紙」を書き始め。それが私の今行える「文通」に繋がりました
ただ「文通」が好きになるのは、中学生の時からで、実際は一人の時は泣いてました。
何故なら、いつも手紙のやり取り(文通)は話せるようになった、ボランティアさんですが、段々年賀状のみ、そして今や住んでる場所は、母親が言うには変わってないみたいですが、
手紙が来ても年賀状も喪中関係なく出せないぐらい忙しいみたいで
私が入院する時には、1回目は安定した入院生活 2回目の入院は、「付き合わないと打ん殴るっと言われました」年下の女性患者に、拒否したら打ん殴られまして、馬鹿ですね。私は初めて恋人が出来たけど、全然、興味のない人でそして最後はその人が「おめぇ、女たらしだろ」っとふってきました。
私が【した】ではありません 【されました】 何か? それは、「ストーカー」です。
その打ん殴った来た女性が、私を好きになってる女性に、私は「教えてもいない【個人情報】」何故か知ってして」 私をストーカーしてきました。また【女性恐怖症】が悪化してきましたが、
3回目の入院前に『社会復帰じゃなく、女性恐怖症を治すためにも、デイケア』を進めました。
そして、今回の入院、退院後今のデイケアで、また通ってますし。
見て話せるぐらい 女性恐怖症は治ってきてますが
私は『文通』『電子日記(ブログ・エムブロのミニメやコメント)』でのやりとりが【治療です】
そして 今は【デイケアに好きな女の子が一人だけ居ます】