話題:行くあてのない気持ち

だれかと暮らすということは、自分の生活習慣や当たり前をどれだけ譲れるかで過ごしやすさが変わる。こうすればいいのにと思うことの多さ、それをくちにして喧嘩になる日々。我慢と譲れないがぐらぐらと揺れては、ああ、またやってしまったと思う。ひとりで生きることはさみしかったり、孤独を感じることもあるけれど、自分の思い通りにできるという点の快適さはある。どちらを選んでも、いいこともわるいこともある。

ひとりで過ごすことの多かった学生時代、友人もすくなく、ひとりでいることが当たり前になっているあたしは、ひとりでの過ごしかたは知っていても、ふたりでなにかすることをあまり知らない。休みの日、なにかしようと言われても思いつくのは室内でできることばかり。彼になにも知らない、いちいち教えなきゃならないのめんどくさいと言われては、歩んできた道のりがちがうことを明確に感じる。ひとりでいるのはさみしいけれど気楽で、ふたりでいるのは知らなかったことを知れるけど気を遣う。あたしたちはちがう人間だから感じかたもちがう。すべてがシンクロするように一緒なんてことはないからこそのおもしろさがあるのに寄り添うことも歩み寄ることもへたくそだ。
育ってきた環境、過ごしてきた時間がちがうからこその発見やたのしさがあるはずなのにそれを共有しようとしないのはもったいないことのように思う。知らないを知っているにすることは、おしえることやみせることで始まる。親しいからおしえたり、知らなかった一面をみせて、拒絶されることのつらさをあなたは知らない。