もうだいぶ前になりますが、アメリカの歴史学者クリストファー・ラッシュという人が『エリートの反逆』という本を書いています。オルテガは20世紀前半に『大衆の反逆』を著して、民主社会を破壊するのは、社会に責任を負わず伝統に敬意も払わない身勝手な大衆であると論じました。
しかし、90年代半ばにラッシュが問題視したのは、エリートの方でした。グローバル化が進めば、金を持ち、文化的適応力にも優れ、グローバルに活躍できるエリートは、国境を意識することもなく移動するようになる。エリートは、国や地域社会から自分に不都合な義務を負わされそうになると、そこから逃げてしまう。たとえば、福祉のために高い税金を課されそうになると、税率の低い国に移住しようとする。また、エリートは、特にアメリカの場合、ガードマンなどのいろいろなサービスが完備された高級住宅街に閉じこもり、庶民が住むようなところにはなかなか出てこない。ガードマンがいるから、町の治安の問題には無関心、子どもは小さいころから私学にやるので公立の学校などどうでもいい。そんな風になってしまい、エリートは国や地域の公共の問題なんかに関心を持たなくなってしまう。庶民とは連帯意識も何もない。つながっているのは、グローバル・クラブの各国のエリート同士だけ。
(中略)日本でも、グローバル企業の幹部は、『法人税を下げないと、外国に出て行くぞ』と平気で政府を脅すようになっています。
しかし、社会に責任を負わず、伝統に敬意を払わず、同胞国民に愛着を持たないような人間は『エリート』でもなんでもないですよね。エリートとは、本来、伝統的教養を身に付け、自分を育んだ国やその歴史に愛着を持ち、国や地域社会のために進んで貢献するような人を指すのだと思います。
文科省は、『グローバル人材』の育成を目指すと言っていますが、そこでいう『グローバル人材』育成とは、結局、『地球市民』的で無国籍な意識を持った、英語がわりと上手な人間を産み出すだけでしょうね。/施光恒


施先生を『討論!』に呼んで欲しいわ。