皆さんおはようございますφ(゜゜)

いきなりですが、明治の先人馬場辰猪は当時既にこんな主張をしている。


第一に、英語学習には大変な時間がかかり、若者の時間の浪費につながりかねない。英語は日本語と言語学的に大変異なった言葉である。なすべきこと、学ぶべきことの多い若者の時間が、無駄に費やされる恐れがある。

第二に、英語を公用語化すれば、国の重要問題を論じることができるのが、一握りの特権階級に限られてしまう。
日々の生活に追われる大多数の一般庶民が英語を習熟することは非常に稀だろう。したがって、国の諸制度が英語で運営されたり、政治や経済に関する知的な議論が英語でなされたりするようになってしまえば、国民の大多数は、天下国家の重要問題の議論からまったく切り離されてしまう。

第三は、英語の公用語化が社会を分断し、格差を固定化する。英語が話せるか否かが経済的格差につながり、豊かな国民と貧しい国民との間の断絶を生む可能性がある。
第四に、国民の一体感が失われる懸念。インドでは英語を話すインド人と、インドの言葉を話すインド人との間には、共通の思想も感情も存在しない。インドで見られるような一体感の欠如は日本でも必ず生じるだろう。


どうですか?正に安倍ちゃんや三木谷を代表とする、今のグローバル馬鹿共に云っているような内容でしょ。時代が違うなんて云う奴もいるかも知れんが、懸念材料がある時点で、精査しないといずれ取り返しのつかない事になるかもよ。少なくとも今の日本という国家は違う日本になる可能性があるな。ペラペラなニホンってイメージかな?
日本には日本語という素晴らしい言語があるのだから、誇りを持つべきだし、自覚すべきだね。
ま、政官財が阿呆なのでそれも中々難しいのだろう。
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