【記事】時は流れない。

1年前の今日。
讀賣新聞の朝刊が、いつもと大きく違っていた。特別版というものだ。


ぱっと見た瞬間に「いつもと違う」とわかる紙面構成で、特に
一際大きく書かれた見出し文と、コラムと呼ぶのだろうか、《編集手帳》という小記事に、考えさせられた。


その新聞を、保管していたのだけど先日誤って処分してしまったようで。
けれど、あの時にもう書き綴った人がいるかもしれない(それはもしかしたら、自分と同じような思いで。そうであるといい)と
記憶を基にweb検索をかけると、思った通り、欲しかった大部分が上がった。

引用・紹介させていただく。




[見出し]
時は流れない。雪のように降り積もる。人は優しくなったか。賢くなったか。



[編集手帳]
使い慣れた言い回しにも嘘(うそ)がある。時は流れる、という。流れない「時」もある。雪のように降り積もる◆〈時計の針が前にすすむと「時間」になります/後にすすむと「思い出」になります〉。寺山修司は『思い出の歴史』と題する詩にそう書いたが、この1年は詩人の定義にあてはまらない異形の歳月であったろう。津波に肉親を奪われ、放射線に故郷を追われた人にとって、震災が思い出に変わることは金輪際あり得ない。復興の遅々たる歩みを思えば、針は前にも進んでいない。いまも午後2時46分を指して、時計は止まったままである◆死者・不明者は約2万人…と書きかけて、ためらう。命に「約」や端数があるはずもない。人の命を量では語るまいと、メディアは犠牲者と家族の人生にさまざまな光をあててきた。本紙の読者はその幼女を知っている。〈ままへ。いきてるといいね おげんきですか〉。行方不明の母に手紙を書いた岩手県宮古市の4歳児、昆愛海(こんまなみ)ちゃんもいまは5歳、5月には学齢の6歳になる。漢字を学び、自分の名前の中で「母」が見守ってくれていることに気づく日も遠くないだろう。成長の年輪を一つ刻むだけの時間を費やしながら、いまなお「あの」ではなく「この」震災であることが悔しく、恥ずかしい。(後略)




「この」震災から、丸2年。

東北被災地の「時」は、今も止まったままに等しいのだろう。
関東に住む自分たちは、覚えているようで、忘れ掛けてきてもいるけれど

これではならないと思う。

最近、関西出身の友人が
阪神淡路ですら、少し郊外へ入ってしまうと、まだ復興したとはいい難いものがある、と洩らした。
これが、「忘れられた」ことに因る事態だったとしたら…。


いつまでも皆で悲しみに暮れていても仕様もないが
今も苦しんでいる人々のことを、忘れてはならない!


自分は今日も遅番出勤なので、恐らく2時46分に黙祷は出来ない。

だからせめて、こうした形で、書き上げる。
もしここを通りすがった方々の中に、忘れ掛けていた方が1人でもいて、けれど、ここを読んで思い出してくれたなら。


また日本中みんなで
日本中みんなを
助ける心になれますように。

* Save JAPAN *




話題:東日本大震災



03/11 11:59
[覚え書き]
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あらたし*・・さいしょ・・#なつかし





「書いたよ」


ここはどこ

わたしはだれ



-エムブロ-