2021/6/10 Thu 00:28
白樺派の中心人物として活躍した作家の「有島武郎」が軽井沢の別荘で不倫女性と首吊り心中した6月9日! …の巻





話題:一般ニュース







1923年6月9日は白樺派の中心人物として活躍した作家の有島武郎の死亡した日である。

妻の安子に先立たれた晩年の有島武郎は、『婦人公論』の記者であった波多野秋子と恋仲になるが、秋子が既婚であり、夫の春房からの脅迫に耐えかねたふたりは、軽井沢の別荘にて首吊り心中を遂げた。

有島の残した辞世の歌は以下。

「幾年の命を人は遂げんとや思い入りたる喜びも見で 修禅する人のごとくに世にそむき静かに恋の門にのぞまん 蝉ひとつ樹をば離れて地に落ちぬ風なき秋の静かなるかな」

しかし、日本を代表する作家であった有島の、余りにナイーブともいえるその自殺には事件直後から賛否両論が起こり、師の内村鑑三をはじめ唐木順三等、多くの知識人が否定的な立場をとった。

有島への批判は生前の人物への期待値の高さ故であり、社会への影響力の大きさを雄弁に物語ってるともいえるだろう。

しかし、そのことはさておき、我々は他人の死に様を批評することができるのだろうか。

その死に方で、すべての功績を無に帰すことはできるのだろうか。

時として不可解な死は、残されたものへの問題となって我々の前に山積みされている。

(覚醒ナックルズ発)














>しかし、そのことはさておき、我々は他人の死に様を批評することができるのだろうか。


↑不倫はダメだろ。

心中はいろいろ迷惑だ。

やっぱりダメじゃん!(´д`|||)

6月9日、2人は長野県軽井沢の別荘(浄月荘)で縊死を遂げた。

7月7日に別荘の管理人により発見されるが、梅雨の時期に1ヶ月遺体が発見されなかったため、相当に腐乱が進んでおり、遺書の存在で本人と確認されたという。

複数残されていた遺書の一つには、「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかつた」と残されていた。

自殺現場である浄月庵は、かつて軽井沢の旧三笠ホテルの近くにあった有島家の別荘。

この別荘の1階応接間で二人は命を絶った。

旧三笠ホテルの経営者・山本直良の妻の愛は武郎の妹。

浄月庵は父・武が大正初期に建てた別荘で、父の没後に譲り受けたもの。

夏になると家族と避暑に訪れた場所だったという。

不倫がバレたとき、秋子の夫の春房は武郎を呼び出して金銭の取り引きを迫るが、武郎は愛を金銭に換えることはできないとこれを拒否。

ならば警察に突き出すと春房。

不貞を働いた者には姦通罪という厳しい制裁が与えられた時代。

二人の関係が表沙汰になれば、クリスチャンとして貞節と潔癖を重んじてきた武郎の名声も地に落ちることは明らかだった。

しかし、この恐喝にも「よろしい、警察に行こう」と動じない武郎に春房はたじろぎ、話し合いは平行線に。

波多野秋子と出会って7か月後の6月8日、二人は消息を絶つ。

そして、翌朝の未明に縊死による心中をとげた。

武郎は45歳、関東大震災がおこる3か月前のこと。

有島武郎の死体は腐って、蛆が涌いていたという。

死は美しくない。

死んだ当人がそれを知らないだけ。

人は死んだら無になる。

天国も地獄もない。

生前のあれこれが残るだけで、本人の意思も消滅する。

だから、生きた証を残しておきたくなるのかもよ、作家は。

知らんけど。( ̄ー ̄)



ブー(^0_0^)



(^-^)/(^-^)/












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