適正的に致し方ないとわかっている。
戦うことが苦手な自分では役に立てない部分があることも、近くに居なければ助けることすらできないこともわかっている。
でも……それでも。
こういうときはどうしようもなく、自分の無力さが悔しくてたまらなくなるんだ。
***
「え……竜の討伐任務?」
その報せは、唐突だった。
任務の支度をしている親友に何気なく、本当にいつもの調子で"今日の任務はどんなの?"と訊ねただけ。
亜麻色の髪に蒼い瞳の少年騎士は、訳もないように"竜の討伐だ"と答えたのだ。
彼……フィアは動揺する白髪の少年に笑いかけた。
「竜と言っても小型のものだ。草鹿や炎豹の騎士に依頼するようなものでもないらしい」
竜種は危険な種族で、戦闘特化の炎豹の騎士が防御特化の草鹿の騎士と組んで討伐に行くことが多い。
しかし今回はそうではないらしく、フィアとそのパートナーであるシストとで討伐に行くのだと聞いた。
なんでそんなことになっているのか、と少年……アルは問う。
「で、でも、なんでフィアが?だって、フィアは竜が……」
雪狼の騎士にしても、他の騎士が行くことだってできるだろう。
フィアのことを良く知っているアルはそういう。
フィアは幼い頃に両親を竜の襲撃によって喪っている。
大分乗り越えたとはいえ、その傷は完全には癒えていないはずだ。
他に適正な人材がいるのなら、そちらに行ってもらうべきだ、とアルは言う。
そんな彼の言葉に、フィアはこともなげに答えた。
「悪魔属性の魔力を持つものだから、と言うのが端的な答えだな」
曰く。
討伐対象の竜は、小型のもので一頭だけ。
素早いために大技が多い炎豹の騎士では向かず、かといって風隼の騎士では戦闘力に不安があるということで雪狼の騎士が行くことになった。
普通の竜ならば確かにフィア以外の騎士が赴いただろうが、事前調査で竜が悪魔属性の魔力を持つことが分かったらしい。
故に、それに対抗できる魔力……天使属性の魔力を持つフィアが赴くことになったのだそうだった。
「そ、んな……」
アルは黄色の瞳を大きく見開く。
そこに色濃い動揺をともして、彼は言った。
「だって、危ないでしょう?フィアの攻撃はよく効くかもしれないけどそれと同時にフィアにも攻撃がよく効くってことじゃないか」
以前、悪魔の魔力を受けて酷く弱ったフィアをアルは見ている。
冷え切った、まるで死人のような体温は、今でもはっきりと覚えている。
相打ちになれば不利なのは、人間であるフィアの方だ。
「そうだな」
アルの言葉にフィアはあっさりと頷いた。
しかし怯む様子も見せず、いつも通りの声音で言った。
「でも、俺が行かなければ他の奴らが行くことになる。
そうなった場合のリスクが大きすぎる。
本当は、シストも来るべきではないんだが……彼奴は、俺の相棒だからな」
そう言って、フィアは微笑んだ。
絶対の信頼を向ける相棒。
彼と一緒なら大丈夫だ、とフィアは言う。
その言葉に一瞬唇を噤んだアルは真っ直ぐにフィアを見つめて、問うた。
「……ルカ様は?」
「ルカの采配だ」
フィアの事情も心情もよく知っているルカが命じたのなら、それは最終決定だ。
尤も、ルカが公私混同をするタイプでないことはアルもよく知っている。
知った上で、彼が止めてくれていたらと思ってしまったのだ。
ふ、と一つ息を吐く。
「……そっか」
そう応じたアルは顔を上げる。
そしてフィアを見つめてみる。
彼から伝わってくる感情を読み解こうと。
少しでも迷いがあったなら、止めるつもりだった。
少しでも恐怖があるなら、止めるつもりだった。
……けれど彼にあるのは決意だけ。
「頑張ってね、気を付けて」
そういうことしか、アルには出来なかった。
***
夕方までには戻るから。
そう言って親友が出かけて行った後、アルは気が気ではなかった。
親友……フィアの実力を疑っている訳ではない。
相棒であるシストの実力を疑っている訳でもない。
それでも、不安でたまらなかった。
仕事中もちらちらと視線を外に投げてしまって、上官にも叱られた。
それでも、気にせずにはいられなかった。
無事だろうか。
怪我はしていないだろうか。
……怖い想いや、つらい想いをしていないだろうか。
待つことしかできない。
それが酷く歯痒い。
そう思った。
……もし、自分に戦う力があったなら、彼と共に任務に赴くことが出来ただろうか。
そう思わずにはいられない。
「待つだけ、って言うのは、つらい、な」
改めて、そう思う。
無事を願うことしかできない。
祈ることしかできない。
それは、なんとも切なくて、つらくて。
そんな想いを抱いたままに、時間は刻々と過ぎていった。
太陽が沈み、星が顔を出しても、フィアとシストは帰らない。
彼らの気配も感じない。
仕事が終わったフィアは、彼らが帰ってくるであろう正門の傍で待っていた。
そんなに遠い場所ではないと言っていた。
帰ってこられると言っていた。
それなのに……――
どうして、帰ってこないの。
不安で胸がいっぱいになる。
ルカに、彼らからの連絡がなかったか聞きにいこうか。
そう思った、その時。
「アル?」
聞こえたのは、聞き慣れた声。
不思議そうな、驚いたような声。
それを聞いて、アルはばっと顔を上げる。
「どうしたんだ、こんなとこで」
目を丸くしている亜麻色の髪の騎士と、紫髪の騎士。
二人の制服は土と血で汚れているが、弱っている様子はない。
「っ、シストさん、フィア!」
そう声を上げたアルは彼らに駆け寄りかけて……見事につんのめり、転んだ。
驚いた声を上げた二人が駆け寄ってくる。
「どうしたどうした、そんなに慌てて」
シストが困惑したように問う。
「だって、フィアが今日は遅くならないって、大丈夫だって言ったのに、全然帰ってこないから……ッ」
そう、アルは声を上げる。
ぼろぼろと涙が零れ落ちていた。
不安で不安で、仕方ない。
それはきっと、フィアが戦う相手がフィアにとっての天敵だったから。
そして……その任務に自分が同行できない、同行したとしても足手纏いにしかならないのだという現実を感じてしまったから。
そんなこと、フィアやシストには知ったことではないのだろうけれど……それでも。
「ごめんなさい、こんなことで、泣いても仕方ないの、わかってるんだけど……ッ」
あぁもう、支離滅裂だ。
そう思いながらぼろぼろと涙をこぼすアルを見て、フィアはそっと息を吐く。
そして、アルを抱き寄せるといった。
「アル、心配してくれてありがとう。
でも、俺たちは大丈夫だ。
こうして、心配して待ってくれている仲間が居るという事実が、帰らないといけないという想いに繋がる」
まるでアルの感情を汲んだように、フィアは言う。
アルは驚いたように顔を上げた。
フィアはいつものような冷静な笑みではなく、穏やかで優しい笑みを浮かべながら、言った。
「ただいま、アル」
そう言いながら、フィアはアルの目元を拭う。
その指先の優しさに、アルの目からはまた涙が零れだしていた。
―― だって、止まらないんだ ――
(溢れる涙が、感情が、止まらない)
(こうして帰ってくるのが当たり前じゃないってこと。
そんなのずっと、ずっとわかっていたはずなのに……)