ぶわりと、熱気が押し寄せる。
ばちばちと火花が爆ぜる音。
ただの火事とは思えない、強すぎる炎。
それを見つめ、金の瞳の悪魔は目を細めた。
すぐ傍には、女王が住み、騎士が守るこの国の象徴……ディアロ城がある。
その周囲の森を焼き尽くさんとする炎に、派遣された騎士たちは右往左往していた。
魔術で炎を消そうとしている騎士も居るが、全く勢いは弱まらない。
それが何故なのか、と困惑した顔をしている騎士たちの姿を見て、悪魔……エビルは目を細めた。
「やれやれ……」
事情も分からなきゃこの状況だわな。
そう呟き、エビルはひらりと地面に飛び降りた。
長いマントがひらりと翻る。
せめて天使の魔力を持つ者、或いはそれに準じる者があれば良かったのだろうが……
生憎と、その手の騎士たちは出払ってしまっているらしい。
そう思いながら、悪魔は悠々とその炎の元へ向かった。
「あ、お前……!」
声を上げる騎士は焦った顔をする。
城の中を闊歩するエビルの姿を見たことはあるようで、驚いたように目を見開いた後、"危ないぞ!"と声を上げた。
騎士ではない彼が"事件"に巻き込まれることを防ごうとするように。
しかし、悪魔は笑みを浮かべた。
そしてとどめようとした騎士の頭に手を置くと、八重歯をむき出しにして、言った。
「同族の問題だ。非力な人間は引っ込んでな」
どうせお前らじゃ"その炎"は消せない。
そう言い放った悪魔は燃え盛る炎の中へ、足を進めていった。
燃え盛る炎は容赦なくエビルを包む。
しかしそれに痛みを感じる様子もなく、颯爽と歩いて……その炎の中心に辿り着いた。
そこにあった、基居たのは大きな獣。
豹によく似たそれはエビルを見て、低く唸る。
炎のような毛並みが波打つのを見て、エビルは溜息を一つ吐き出した。
「ま、お前だよな」
魔力がそうだったし。
そう言いながら、エビルは地面に転がっていた小さなペンダントを拾い上げた。
欠けた三角形のそれ。
「事情はどうあれ……これが壊れたのが原因だな」
この炎は、眼前の豹……基悪魔の魔力によって引き起こされているものだ。
並の人間では消すことなど到底できない。
そしてこの暴走を止めるのも決して簡単なことではない。
と、その時。
低く唸った獣は身を低くした。
飛び掛かってくる予備動作。
それを見て、エビルは目を細めると飛び掛かってきた獣の首を掴み、受け止めた。
強い炎が、エビルを包む。
もがいた獣の爪が頬を掠め、血が伝う。
それに動じることもなく、エビルは口を開いた。
「大人しくしろフラウロス」
鮮やかな金色の目で見据え低い声でその悪魔に告げる。
びくりと体を強張らせ、獣はおとなしくなった。
揺らぐ炎色の瞳を見つめて、エビルは一つ息を吐き出した。
そして、その悪魔の名を呼ぶ。
「お前の名前はブレーズ・リアー。
この俺様、エビル・ベガトリィの眷属だ。主人に牙向ける程愚か者か、お前は」
そう言いながら、エビルは魔力で悪魔……ブレーズを縛る。
獣の首が細くなり、体毛は消えていく。
静まる魔力と同調するように、周囲の炎も消えていった。
見慣れた人の姿に戻っていく様子を見て、エビルは緩く口角を上げた。
「よし、イイコだ」
エビルは小さく笑うと、大人しくなった彼を地面におろす。
そのままぐしゃぐしゃと乱暴にその頭を撫でる。
ぺたん、と座り込んだブレーズは荒く息を吐き出した。
「っは、……は、ぁ」
「ったく、世話が焼ける眷属も居たもんだ。
ま、抑制機の整備サボった俺にも非はある訳だが」
そう言って笑うエビル。
息を荒くしたまま、ブレーズは彼を見上げる。
「ご、主人……」
掠れた声で言う彼の顔色は至極悪い。
魔力を過剰に消費したのが原因だろう、そう思いながらエビルは金色の瞳を細めた。
彼の悪魔としての暴走は恐らく抑制機の破損によるもの。
下級の悪魔でありながら強力な魔力を有している彼を使役しているエビルがいつもつけさせていたそれが壊れ、その上に何らかの事情が重なって暴走してしまったのだろう。
魔力の暴走を防ぐ理由は複数ある。
無論、今のように周囲の環境の破壊につながるからというのもあるが……人間界など基本的にはどうでも良いと思っている悪魔たちからすれば其方はあまり大きな理由にはならない。
どちらかと言うと、暴走した悪魔自身の消失を防ぐため、だ。
ブレーズは強い魔力を有しているが、その魔力量は決して多い訳ではない。
全力の解放を続ければあっという間に魔力が枯渇し、そのまま命を落とすことにも繋がりかねない。
主としては、使役した眷属のそうした"最期"を認める訳にはいかなかった。
「新しい抑制機はすぐに用意する、それまでイイコにしてろよ」
そう言ったエビルはブレーズを抱き上げた。
大きく目を見開いた彼は慌てた顔をする。
「御主人、歩け、ま……ぁ」
歩けます、と言いかけたブレーズは突然下ろされ、そのまままた座り込んでしまった。
足に力を入れて立ち上がろうとするが、上手くいかない。
じたばたともがいている彼を見つめてくつくつと笑ったエビルはもう一度それを抱き上げた、言った。
「暫く大人しくしとけ。魔力枯渇でひっくり返っても置いてくぞ、俺様は」
そう言って歩き出すエビル。
その顔を見上げながらブレーズはしょんぼりと落ち込んだ顔をした。
自分を拾ってくれた主人。
それに迷惑をかけっぱなしな自分が情けない。
そう思いながら、ブレーズは唇を噛んでいたのだった。
―― Master and servant ――
(御主人の力になりたい)
(そう思うにはまだまだ、俺の力は足りなくて)