夜の喫煙所は昼間以上に静かだ。
その方がありがたい、そう思いながら黒髪の青年……ノアールは自身の煙草に火を付けた。
彼が此処に滞在するようになってから、大分経つ。
騎士たちも彼が城にいることに大分慣れては来た。
……慣れたことと受け入れることとは話が別だけれど。
「珍しい客がいるじゃねえか」
そう声をかけられてはっとする。
誰もいない、そう思った空間に不意に現れたのは黒髪金目の悪魔……エビルだった。
ノアールはそれを見て目を細める。
……悪魔は少し、苦手だ。
そう思いながら彼は軽く会釈を返す。
エビルは緩く笑って、彼の傍に腰かけた。
「一本くれや」
持ってくるの忘れちまった。
悪びれた様子もなくそういうエビルを見て、ノアールは一つ溜息を吐く。
嫌だ、という理由も特段ない。
シガレットケースから一本煙草を出して、彼に差し出してやった。
「どーも」
笑みを浮かべたエビルは自身の魔術で煙草の先に火を付ける。
ふーと煙を吐いた彼は煙草を指に挟み、ノアールに声をかけた。
「ノアール、ってのは本名か?」
唐突な問いかけに少し、面食らう。
何だ此奴は、という視線を向けてやるが、エビルが撤回する様子はない。
「どうだって良いだろう」
「一度気になったことは突き詰める主義でね」
尖った八重歯をむき出しにして笑う、エビル。
ノアールは暫し黙ったまま彼を睨んでいたが、やがて溜息を一つ。
「本名ではない」
「だろうな。差し詰め、アンタのゴシュジンサマに付けてもらった名前か」
口ぶりに棘を感じて、ノアールはむっとする。
言い返そうと口を開く彼を見て、エビルはくつくつと喉の奥で笑った。
「ほんとにアンタは好きなんだな、ゴシュジンサマのことが」
「……あの方は俺の恩人だ」
あまり侮辱するような言い方をするな、とノアールは言外に伝える。
エビルもそれは理解しているのだろう。
馬鹿にするつもりはないさ、と肩を竦めた彼はすぅと金の眼を細めた。
「ただ、アンタが不憫でならないんでな」
「……何が言いたい」
眉を寄せるノアールにエビルは顔を近づける。
ぎょっとする彼を他所に、その手首を強く掴んだ。
ノアールが顔を歪め、呻く。
「怪我してんだろ、こっちの手」
今日の任務でな、とエビルは言う。
ノアールは顔を顰めたまま腕を引いて、唸るように言った。
「……それが何だというんだ」
「アンタがゴシュジンサマ守って怪我した、ってのを偶然見ててね」
エビルはそう言って肩を竦める。
ノアールは彼の言葉に漆黒の瞳を細めた。
……そう。
ノアールの怪我の原因は、彼が自身の主人……フォルを庇ったこと。
偶然近くに居たエビルはそれを見ていたのである。
一度煙草をふかした彼はノアールを見つめ、言葉を紡ぐ。
「盲目的じゃねえ?
あの御主人守るためならアンタは命を捨てるだろ」
迷いがないにもほどがある。
エビルがそういうのを聞いてノアールは彼から視線を外す。
そして突き放すように言った。
「それは俺の勝手だ」
貴様にあれこれ言われる筋合いはない。
きっぱりとそう言い切るノアール。
エビルは短くなった煙草を灰皿に押し付けると溜息を一つ吐き出して、言った。
「そうまでする理由がわからねぇな。
アンタは一人でも十分やってけるだろ。
名前で縛られてるんじゃねぇのか?」
追及するようなエビルの問いにノアールは唇を噛む。
そして険しい表情で彼を睨みつけた後、冷たい声で凄んだ。
「煩い、黙れ。貴様には関係ない」
ノアールは煙草を捨てると、そのまま立ち去った。
怒り、憤慨して立ち去ったようにも、逃げていくように見えた。
エビルはそっと溜息を吐く。
「やれやれ。契約で縛られる悪魔(おれたち)より余程不自由だな」
ノアールは悪魔ではない。
堕天使に操られている操り人形(マリオネット)だ。
それも、彼は彼自身が望んでそうなったのだという。
―― まぁ、アイツの状況じゃ仕方ねぇか。
そう思いながら、エビルはもう一度溜息を吐き出したのだった。
―― Chain ――
(アンタは縛られている。
庇護されている気になっているのかもしれないがそれは間違いだ)
(逃がしてやりたいと思った訳じゃない。
只胸糞悪いと思った、ただそれだけの話だ)