鼻歌まじりにキッチンに立つ。
今日は仕事も休みだし、と夕飯はなかなかに時間をかけていた。
料理を作る時間がないときは外食してもらったり、城で適当に食べてこいと送りだしたり。
最近はそんな日も多く、こうして家で夕飯の支度が出来るのは随分と久し振りだ。
そう思いながら、ラヴェントは温度の上がった油の中に、衣を付けた鶏肉を滑りこませた。
油がぱちぱちと爆ぜる音。
腕にそれが飛んでくる度小さく声をあげつつ、箸でまんべんなく火が通るようにと肉を転がす。
まだ微かに夏の気温を感じる今日に限って揚げ物をしたのは少し失敗だったかなぁ、と思いつつ苦笑を漏らすが、香ばしい香りを嗅いでいるうちにそんなことはどうでも良くなってくる。
「これだけ仕上がれば終わり、と」
そうひとりごちて、今日の献立を思い返す。
サラダは既に作ってあるし、主食もスープも用意は出来ている。
デザートのゼリーは先刻型に流し込んで冷蔵庫に入れてあるから夕飯が終わって腹ごなしをする頃には固まっているだろう。
今日のメインは鶏肉に下味と衣をつけて揚げた、唐揚げ、というやつで。
家で恐らく一番発言権の強い人物は高貴な家柄でありながら、庶民的な食事を好む。
だからきっと、祭りで紙製のカップに入れられて売っているようなこれも、気にいるだろう。
そう思いながら、ラヴェントは少し表情を綻ばせた。
こんがりと揚がったそれを菜箸で摘まんで、ペーパーを敷いたバットの上に移す。
表面で油がじゅわじゅわと音を立てているそれは見るからに熱そうで、思わず唾を飲みこむ。
比較的猫舌である自覚はあるために味見をしようとは思わないが、まぁ、上手く出来ていることだろう。
さて、どんどんやるか。
そう思いながらラヴェントは鍋に放り込む鶏肉の数を少し増やした。
揚げ物を作るのは手間で苦手だと同僚はいっていたけれど、ラヴェントは実は嫌っていない。
大抵のものは油で揚げれば美味しくなるのは道理だと思うし、その手間もまた食べるまでの楽しみとも思っている。
問題はそうした料理ばかりでは健康上の問題が生じるために献立をそればかりにする訳にはいかないことだが……
仮にも戦闘職種に近い自分たちはまだ大丈夫だろう、うん、きっと大丈夫だ。
ああ、皇御国にも似たような揚げ物料理があるんだったか。
海老だの芋だのに冷水で溶いた衣をつけて揚げる……確かてんぷらとか言ったか、それもまた作ってみよう。
そんなことを考えながら、ラヴェントはふうと一つ息を吐いて、視線を完成した唐揚げを盛ってあったバットの方へやる。
油を切ったら付け合わせのレタスの上に転がそうと思っていたそれは、明確に数が減っていた。
犯人は、わかり切っている。
やれやれと溜息を吐いた彼は、ひょいと伸びてきた二つの手を軽く小突いて、言った。
「つまみ食いは二つまでだぞ、チェーザレ、ミゲル」
咎める声に、二人は悪戯を見咎められた猫のように不服そうな顔をした。
チェーザレは唇を尖らせて、ぼそりという。
「こういうものは出来たてが美味いのだ」
「そうっすよ!」
ミゲルもそう加勢する。
ラヴェントは二人の様子を見て、思わず苦笑した。
彼らは食べることが好きだ。
菓子でも料理でも、作っている傍からこのつまみ食い常習犯二人の御蔭で数が減っていく。
冷たい菓子や料理ならばまだわかるが、揚げたてのチュロスまでつまみ食いしたときには流石に驚いた。
その時も今と似たようなことを言っていたっけ。
まぁ、言わんとすることはわかる。
揚げ物は、揚げたてが一番美味い。
それは作り手であるラヴェントが一番よく知っている。
知っているが、とラヴェントは溜息を吐いて、言った。
「そういってもらえるのは嬉しいが、晩飯のおかずが減る」
サラダとスープで飯にするか?
そう問えば、彼らは悩まし気な顔をして、手を引っ込めた。
「むぅ……それは困るな」
「あと少しっすよね、準備して待ってるっす」
そういって、二人は食卓の準備をしに引っ込んでいった。
他の同居人にもそろそろ夕飯だと告げている様子で、これは助かるなとラヴェントは目を細める。
ミゲルは勿論、君主様……チェーザレも、自分の手伝いにはなかなか積極的な良い子だ。
―― まぁ、どうせ食べる数は同じだろうな。
そう思いながらラヴェントは笑う。
つまみ食いで食べるか、夕飯として食べるかの違いだけで、彼らが食べる数はきっと然して変わるまい。
そう考えると何だか可笑しくなってしまう。
とはいえ、揚げたてが一番美味いのは事実。
ひょい、と小さめの唐揚げを摘まんで、口に放り込む。
「熱っ!?」
思わず、小さく悲鳴を上げる。
わかってはいたがやはり熱い。
寧ろこれをよくつまみ食いしたなあの二人!?
ラヴェントは涙目になりながらそう思い、慌てて水を口に含んだのだった。
***
「賑やかになったなぁ」
夕食を終え、デザートも食べ、風呂に入って部屋に戻る。
そんないつも通りの夜を過ごしながらしみじみと、ラヴェントは呟いた。
「随分と人が増えたからな」
まだ少し濡れた髪をタオルで拭いながら、チェーザレもそう言う。
ラヴェントはそんな恋人を見て目を細めながら、言う。
「はじめはお前だけだったのにな」
そう。
はじめは、チェーザレだけだった。
彼を拾って、好きになって、認められて。
それからミゲルに出会い、レオナルドが来て、デュマやヴォルペにも出会って……
しまいには、ミゲルが拾ってきた吸血鬼、エマまで家にいる始末。
元が一人暮らしには少し広すぎる家だったからちょうど良いが、ちょっとした下宿だ。
そう思いながら、ラヴェントは笑う。
チェーザレはそんな彼を銀灰の瞳で見つめ、首を傾げた。
「二人きりの方が良かったか?」
そう問われて、ラヴェントは少し考え込む顔をする。
ぽりぽりと頬を掻いて、彼は軽く肩を竦めた。
「んー……何とも言えないな」
そういって、彼はへらりと笑う。
「勿論チェーザレと二人きりでもきっと楽しくやってただろうけど……
何というか、今の楽しさはミゲルやレオナルドたちもいてこその、って気もするからなぁ」
つまみ食いをするチェーザレとミケーレを叱ったり。
レオナルドがチェーザレに絵を描かせろといっては逃げられたり。
ヴォルペとミゲルが騒いでエマがヤキモチを妬いたり。
デュマが解釈違いがどうの、と説教してきたり。
そんなやり取りもまた楽しいと思うのだ、とラヴェントは言う。
チェーザレはその言葉に頷いた。
「そうか」
「あー……うん、でも」
でも、と言葉を紡ぐ彼を見て、チェーザレは首を傾げる。
ラヴェントは少し視線を逃がしてから、頬を赤くして、ぽそりといった。
「こうやって、チェーザレと二人で過ごす時間、ってのも勿論好きだぞ」
少し照れたように、ラヴェントは言う。
彼なりに、勇気を出して口にした一言ではあるのだが……
チェーザレは動揺する素振り一つ見せず、溜息を一つ。
”知っている"と呟くようにいった後、まじまじとラヴェントを見つめ、言った。
「そこで一番好きなのはお前だ、くらい言えないものか」
そういって嘆息する彼。
ラヴェントはがくっと肩を落として、"まぁそうなんだけどさ"と呟いた。
一応、自分の方が年上のはず。
なのだが、なかなか、チェーザレには敵わない。
元より勝とうと思ってなどいないのだが……恋人にそう言われてしまうと、少し悔しいというか複雑というか。
そんなことをラヴェントが考えていれば、チェーザレはふっと表情を綻ばせた。
そして少し落ち込んだ様子の恋人の顔を覗き込んで、言う。
「まぁ、そうした性格含め、お前だと思っているのだがな」
そういって、彼は目を細める。
慈しむように見つめられたラヴェントは顔を真っ赤に染めて、そっぽを向いた。
「……いきなりのデレはやめてくれないか」
少し上ずった声でそう言う彼を見て、チェーザレはくすくすと優雅に笑う。
夕食前につまみ食いを咎められて拗ねていた時の表情とはえらい違いだ。
そう思いながらラヴェントはそっと息を吐く。
―― まぁ、こうした顔を見られるのも楽しいから、良いか。
揶揄われるのは流石に恥ずかしいのだが、こうした彼の表情を見ることは好きだ。
そう思いながら、ラヴェントもそっと笑みを浮かべたのだった。
―― Nothing special ――
(特別なことは、何もない。
いつも通りに飯食って、風呂入って、寝るだけ)
(でも、そんな時間が楽しいのは、きっと)