基本的に、魔術の暴発というのは起きてほしくない出来事だ。
それ故に、大切な人の体に何らかの異変が起きてしまうのならば、なおのこと。
……しかしこの変化はやはり、歓迎だ。
そんなことを考えながら、コーラルは小さくなってしまった愛しい人……ケイローンの頭を撫でてやった。
「おにい、さん……頭、ぐしゃぐしゃになっちゃいます」
少し困ったように、ケイローンはいう。
そういいつつも、自分の頭を撫でるコーラルの腕から逃れるつもりはないらしい。
困ったように、けれども何処か嬉しそうに、表情を緩ませていた。
フランソワの魔術の暴発で、幼い姿になってしまったケイローン。
少し短い髪を所謂ポニーテールに結った彼は何とも愛らしい。
「ケイローン、一緒に街に遊びに行こうか?」
そう、コーラルは彼を誘う。
人間の姿をとれるようになっている彼は、見慣れない現代の街の中を散歩することが、好きなようだった。
コーラルの言葉にケイローンはぱっと顔を輝かせる。
そして、立ち上がった。
「はい、連れていってください、おにいさん」
そう言われて、コーラルは少しくすぐったそうに笑う。
本来は自分が"先生"と呼んでいる相手に"おにいさん"と呼ばれるのは少し複雑な気はしたが……可愛らしいことに違いはない。
「よっし、いくっすよ!」
少し体温の高いケイローンの手を取って、コーラルは歩き出す。
ケイローンはそんな彼の手を取って、嬉しそうに一緒に歩き出したのだった。
***
賑やかな、ディアロ城の城下町。
夕方に差し掛かった街並みは美しい橙色に染まっていて、美しい。
おぉ、綺麗っすねぇと呟くコーラルに頷いて見せながら、ケイローンはきょろきょろと、周囲を見渡した。
様々な店がある。
それぞれの店の人々が客引きをしている。
美味しいお菓子だよ!
秋物の服はどうだい?
そんな声はとても賑やかで……聞いていて、楽しくなってくる。
しかし、だ。
少し、余所見が過ぎたらしい。
ふっと、コーラルと繋いでいた手が解けた。
通っていった人がぶつかって、コーラルと繋いでいた手が離れたらしい。
コーラルがあっと声をあげたのが聞こえた。
しかし小柄なケイローンの姿が賑わう街の人ごみにまぎれるのは容易なことで。
「っ、おにいさ……」
ケイローンは必死に、手を伸ばす。
その手をぱしりと、掴まれた。
ほっとする。
良かった、すぐに見つけてもらえたんだ。
そう思ったケイローンが"おにいさん"と呼ぼうとした、その時。
「迷子かな、仕方ないな、これだけ人が多いと」
そういって笑う、知らない男性。
よく考えれば、コーラルの手ではない。
ケイローンは少し戸惑ったように、視線を揺らす。
「あ、……ぅ」
「おうちの人は何処かな、一緒に探してあげよう」
親切そうにそういう彼。
しかし、その声が、雰囲気が、到底親切なものとは思えず、ケイローンの表情は強張る。
しかし大賢者といえど、今は子供の姿。
抵抗しようにも、大人の力には敵わない。
半ば引きずられるように、連れてこられたのは街の一角。
静かな、廃墟……というよりは、元は何らかの店として使われていたのだろう。
朽ちた看板には、何やら文字がかかれている。
それを読むことは、到底出来なかったが。
「こんな可愛い子を一人で歩かせるなんて、悪い保護者だな」
するりと、足を撫でられる。
びくりと体を強張らせるケイローンをぼろぼろの机に押し倒しながら、男は目を細めた。
「退屈しのぎに外に出たが、なかなか悪くない"商品"が手に入ったな」
そんな言葉にケイローンは目を見開く。
商品。
物好きも多かろう。
多少"味見"をしたところで価値は落ちない。
そんな言動と一緒に、するりと足を撫でられた。
脳が、警鐘を鳴らす。
ケイローンは必死に足をばたつかせた。
「や、……っやめて、ください……!」
恐怖に顔を歪め、暴れるケイローン。
その抵抗すら、男には興奮材料なのだろう。
愉快そうに笑いながら、ケイローンの服に手をかけた。
嫌だ。
怖い。
助けて。
頭の中に幾らでも言葉は浮かぶのに、声が出ない。
ぎゅうっと、眼を閉じる。
そうすれば、もう何も見えない。
何も、"起きない"と思っているかのように、ケイローンはきつく目を閉じた。
―― その刹那。
ばきりと、何かが壊れる音が頭上で響いた。
それと同時に響く、男の悲鳴。
近くに、人の気配。
おずおずと目を開ける。
その眼前に居たのは、勇ましい青年の姿。
男の足に突き刺さっていた槍を引き抜いた彼……アキレウスは、怒りに満ちた目で、ケイローンを組み敷いていた男を睨んでいる。
男はベッドから床に転げ落ち、痛みに悶絶しながら、アキレウスの方を見る。
そして、吠えるように言った。
「なんだ、おま……うぐ!?」
なんだ、と言いかけた男の体を、小柄な影が突き飛ばす。
弾むように転げたその影はすぐに立ち上がり、ケイローンを見る。
「大丈夫っすか!せん……ケイローン!」
「おに、ぃさ……っ」
じわりと、視界が滲む。
助けに、きてくれたのだ。
安心感と、彼らが来てくれなかったらの"未来"を想像した時の恐怖に、身体から力が抜ける。
アキレウス同様、コーラルも怒りに満ちた顔をする。
ともすれば、味方のはずのこちらも恐ろしいと感じるほどの気迫。
「この野郎……」
コーラルも、自身の武器である槍を構える。
それを男に向けた。
流石の男も怯んだ顔をする。
アキレウスの槍……恐らく投擲したのだろう……に貫かれた足では、逃げることも出来ない。
その状態で二人の、鬼神じみた青年の相手をすることは、難しいだろう。
しかし。
殺意をもって男を睨むコーラルに、アキレウスはいった。
「お前は先生連れて逃げろ!」
その言葉にコーラルは紅の瞳を大きく見開く。
アキレウスの方へ向き直って、コーラルは噛みつくように言う。
「なんでっすか!」
アキレウスにとってケイローンはかけがえのない師だ。
しかしコーラルにとってもそうであり、何より大切な恋人だ。
そんな彼を傷つけた相手をおいていけというのは……
しかしアキレウスは彼の言葉に苦笑を漏らす。
そして軽く肩を竦めて、言った。
「何でも何も、当たり前だろ!」
アキレウスは冷静に言う。
コーラルの気持ちはわかる。
しかし、この状態で、傷ついたケイローンを近くに置いたままにする訳にはいかない。
自分がケイローンを連れて逃げても良い。
しかし……慰めるのは、コーラルの方が適役だろう。
現在のケイローンには記憶がないとはいえ、恋人なのだから。
そんな彼の思惑は、伝わったのだろう。
コーラルは一瞬目をふせた後、そっと息を吐いた。
そして、アキレウスに言う。
「……っ、先輩、俺の分もきっちり、殴っといてくださいよ!」
そういって、コーラルはケイローンの体を抱き上げる。
そのまま、部屋を出ようとするコーラルの背に笑いかけて、アキレウスはいう。
「当然!!」
―― ま、殴るじゃあすまねぇけどな。
そういったアキレウスは、勝気に笑う。
弟弟子にも、ああいわれたのだ。
師匠をあんな目に遭わせた男を、無事でいさせるはずがない。
覚悟しておけよ。
そういって笑う、英雄の顔。
それが、男の瞳に映った最期の景色だった。
―― その瞳に映すもの ――
(美しいものばかり、に出来たら良かったのだけれど)
(ああ、貴方のその目を穢した人間には、罰を)