大分風が冷たくなってきた。
その寒さは自分の生まれ育った国を思い出す。
よく知った、嫌いではないはずの寒さ。
しかしそれが最近は少し、苦手になった。
それはきっと暖かさを知ったから。
暖かい寝床。
暖かい食事。
暖かい、家族を知ってしまったから。
―― それを手放したくないと、望んでしまったから。
***
あれは、いつの事だっただろうか。
思い返すのは、静かな夜。
少し離れた所に、黒髪の少年がいた。
自分のよく知った少年。
自分の相棒である少年。
此処からでは姿が見えないが、確かにいるのだということは、魔力で、気配で感じ取れていた。
手に握った小型ナイフ。
それが彼の……ペルの武器だった。
既に"仕事"は始まっている。
自分たちの主人に命じられた、仕事。
操り人形に関する研究をしていた、ひとつの研究所(ラボラトリ)。
そこの壊滅が、主の命令だった。
―― まったく、おかしなもんだよな。
仕事に出掛ける前に、相棒がそうこぼしていたのを覚えている。
自分たちが生まれた理由である技術。
それを研究し、それを実行に移していた研究所。
そこをつぶせ、だなんて……
「御主人の命令だから」
―― 出来るね?ペル、シャム。
微笑みながら、亜麻色の髪の堕天使はそう告げた。
自分たちが命を与えた操り人形たちに。
良く出来た操り人形はこれだけで良い。
それ以上は面倒みきれないし、御せなくなっても意味がないからね。
そういっていた、亜麻色の髪の堕天使。
彼は、ペル達にとって恩人だ。
彷徨っていた"彼ら"を拾い、面倒を見てくれた。
新しい体を与えてくれた。
それだけで、彼らは操り人形として主人に仕える存在となった。
と、研究所の奥で火の手があがった。
それが、合図だ。
ペルは静かに研究所の中に忍び込む。
足音を消して。
まるで、猫のように。
中は既に阿鼻叫喚の様相だった。
彼の相棒であるシャムが放った炎が資料を焼き、機器を焼き、人々を焼いていた。
追い詰められた人々は一斉に逃げ惑い、研究所を抜け出そうとする。
「逃がさない、よ」
そんな静かなペルの声に彼らははっとする。
視線を向ければそこには、小柄な黒髪の少年。
死んだような、光のない瞳。
季節違いに巻かれた紫色のマフラーがふわりと、風もないのに揺れる。
その様は死を目前にした研究者たちを震撼させた。
何故、とある者は問うた。
それを聞いてペルは答えた。
「何故?御主人(マスター)がそう望むから」
僕らはそういう存在だもの。
静かにそう呟いて、ペルはその場にいる人々にとどめを刺した。
一人たりとも逃がすな。
それが、主人の命令であったから。
「終わったか、ペル」
聞こえた声に、そちらを向く。
そこには大きな剣を担いだ相棒の姿があった。
彼も、ペル同様に血まみれで、自身の使った魔術ゆえにか、少々衣装を焦がしていた。
それをみて、ペルは眉を寄せた。
「……汚い」
「ペルも人のこといえないだろ」
お前の方が近接なんだからさ、と言われてペルは自分を見る。
確かに、長い袖も、長いマフラーも、血に濡れていた。
「……汚い」
「そうだな。早く帰って着替えようぜ」
ったく、と呟くように言うシャムは何だか疲れているようで、ペルは少し漆黒の瞳を細めた。
先刻、命乞いをする、悲鳴をあげる人々を見てもぴくりとも動かさなかった表情。
それを微かに動かして、彼は言った。
「大丈夫?」
「あ?あぁ、俺は別に疲れてないよ」
心配いらねぇ。
そういって笑いながら、シャムはペルの頬に飛んだ返り血をそっと指先で拭った。
一度ペルは振り返る。
その視線の先には累々と積み重なった骸。
それもいずれ、シャムが放った炎に消えるだろう。
「……シャム」
「何?」
「……これで良いんだよね」
ペルはぽつり、そう問いかけた。
シャムはその言葉に幾度も瞬きをした後、溜息を吐き出して、頷いた。
「操り人形としてはこれが正解だろう」
御主人の命令に従ったんだから。
シャムはそういう。
彼の返答が、全てだった。
操り人形としては、正しい。
それが人道的に正しいか否かは、別として。
「……そうだね」
どうせもう僕たちは、太陽を見て生きることは出来ないんだもの。
僕たちは、既に"人間じゃない"のだから。
そう呟いたペルはマフラーに顔を埋めて、歩き出した。
シャムはその小さな背中を見て漆黒の目を細めると、拳を固く握って、その後ろを歩いていったのだった。
***
ふ、と目を覚ます。
ゆっくりと瞬いた漆黒の瞳に映ったのは、自分に瓜二つの少年の姿。
少し心配そうに覗き込む彼に"どうしたの"と問いかけると、彼はゆっくりと口を開いた。
「大丈夫?」
「……何が?」
「僕(ペル)、魘されてるみたいだったから」
お昼寝してたんだよ。
僕が先に目を覚ましたんだよ。
そう、自分(ヴァレリー)は言う。
穢れのない頃の、自分。
人を殺めることを知らぬ頃の、人間だったころの自分。
まだこの世界にさほど絶望もしていなかった頃の……
ついこの間この世界に突然現れた自分を見て、ペルは思った。
彼には、同じ思いをさせたくないな、と。
操り人形として第二の生(生きている、といってよいのかはわからないが)を得られたことは嬉しい。
しかしそのために得た代償は、ペルにとっては大きなものだった。
兄は、自分を愛してくれる。
他の人々も、自分のことを大切にしてくれる。
それが嬉しい一方で、どうしても……消えない、過去の記憶。
彼にはこんな後ろめたい想いをしないで生きてほしい。
此処にこのまま居られたら、彼は綺麗なままでいられるだろう。
ペルは、そう思っていた。
彼(ヴァレリー)は自分(ペル)自身だが、まるで弟のように感じる。
事実、自分より若干幼い頃の彼ではあるのだけれど……
だから、だろうか。
正しい道に、導いてやりたいとそう思う。
もしその結果に兄が彼の方を愛するようになったとしてもそれはそれだ。
人を殺めてはならない。
自分も、その誓いは守るけれど……既に犯した罪は、消せないから。
「ペル?」
自分によく似た声で、彼は自分を呼ぶ。
ペルはそんな彼の方を見てゆっくりと首を振ると、"おやつ、もらいにいこう"と彼に言う。
今は、このぬくもりの中で生きていきたい。
彼と、大切な兄たちと、友と、仲間と……
―― それを、僕が望んでも良いのならば。
そう思いながらペルは自分よりも一層暖かそうな格好をした過去の自分の手を取って、部屋を出たのだった。
―― 消せない罪科、求める温もり ――
(命令だったから、そんな言葉はきっと、言い訳にしかならない。
それを言うならばきっと、僕の母(マーマ)を殺した人たちも、誰かの命令でやったんだ)
(もう二度と同じ罪を繰り返しはしない。
その誓いを立てるから、どうか、どうか…僕から、彼から、もうこのぬくもりを、奪わないでほしい)