「やっと片付いたか……」
小さく息を吐き出した亜麻色の髪の少年騎士はぐっと伸びをした。
ひらり、と残った氷の破片がぱぁっと散る。
彼……フィアの周りには氷漬けにされた魔獣の骸が幾つも転がっている。
先刻まで戦っていた魔獣。
それは悪魔の魔力を纏ったものだった。
そのために、天使の魔力を持つフィアが討伐に赴くこととなったのだった。
「さて……と」
ふぅっと息を吐き出したフィアは周囲に視線を巡らせる。
彼の表情は険しい。
そのままゆっくりと、周囲の様子を探った。
というのも……
先刻から感じていたのだ。
不思議な気配……自分によく似た気配を。
「……天使、だろうか……それにしても、随分気配が弱い、ような……」
気のせいだろうか。
そう思いながらフィアはゆっくりと歩みを進める。
感じる魔力の強さを感じとりながら。
感じる魔力は確かに天使の魔力。
しかしそれは、何だか弱弱しいのだ。
すぐ近くにあるのはわかっているのだけれど……――
と、その時。
「う……」
小さく聞こえたのは、呻き声。
フィアはそれを聞いてはっとした顔をする。
そしてその声が聞こえた方へ足を向けた。
「あ……っ!」
フィアは思わず声を上げて、息を飲む。
その視線の先には誰かが倒れていた。
少し長さのある亜麻色の髪。
柔らかな、白い衣装。
それは確かに、天使の特徴。
そして、その人物が天使であることに気がついた要因は、ただ一つ。
背に広がる、白い翼だ。
しかし、フィアが息を飲んだ理由はそれではない。
否、正確にはそうなのだけれど……
「翼、が……」
フィアは小さく声を漏らす。
倒れているその天使の白い翼は、片方しかなかった。
まるでもぎ取られたように、一方しか……
その姿は、自身の兄であるフォルの部下を思い起こさせる。
点々と血が散っている。
怪我を、しているようだ。
そっと触れれば、まだかすかに伝わってくる、悪魔の魔力。
「悪魔、にやられたのか」
顔を歪め、そう呟く。
どうやらこの天使の傷は、悪魔にやられたものらしい。
それを感じ取ったフィアはその天使を抱きあげ、周囲の気配を探った。
もう、悪魔は傍にいないようだ。
相討ちにでもなったのか、はたまた何らかの理由で逃げたのか……
とにかく、好都合だ。
先に、この天使の手当てをしてもらおう。
そう思い、フィアは帰路についたのだった。
***
「フィア以外の天使は初めて見たよ……本当に亜麻色の髪なんだね」
天使の手当てをしたアルは感慨深そうに呟く。
アルに手亜てをされた天使はまだベッドでゆっくりと眠っている。
翼はもうどうしようもない状態ということだったが、他の傷はアルが大方治してくれた。
フィアはそのことにほっとしつつ、ベッドに横たわる天使の方を見た。
「男の子みたいだよ、多分僕たちと同じくらいの年の」
性別を気にかけている様子のフィアに気がついた様子のアルがそういった。
フィアはそれを聞いて幾度か瞬きをした後、少し気まり悪そうに"そうか"と呟く。
……きっとこの天使の少年は自分に抱きかかえられて運ばれたとわかったら少し、気まずく思うだろうな、と思って。
「ん……ぅ」
丁度その時、少年が小さく声を漏らした。
ゆっくりと目を開け、瞬きをする。
フィアのと同じサファイア色の瞳。
人懐っこそうなそれはフィアをとらえるよ、少し驚いたようにまるくなった。
「!フィア様!?」
「え?!」
唐突に声を上げたその少年はベッドの上に飛び起きた。
そしてそのまま、フィアの名を呼ぶ。
驚いて固まるフィアを見つめたその少年は、感激と言わんばかりの表情を浮かべ、彼の手をぎゅと握った。
「あぁまさか、フィア様にお会いできるなんて……神のお導きか!」
「ち、ちょっと待て、ちょっと待ってくれ、俺はお前とは、初対面……だよな?
お前が天使であることは、よくわかるのだけれど……」
フィアは困惑しながら、そう呟く。
それを聞いた少年はあ、すみません!と声を上げて、フィアの手を離した。
「僕の名前はアーニ……御察しの通り、天使です。
フィア様とは初対面ですが……以前、天界にいらした時に、御姿を目にしまして……」
その時から憧れていたのです、とアーニと名乗った少年は微笑んだ。
笑うと一層女の子みたいだ、と思いながら、フィアは頷く。
「あ……あぁ、なるほど、な……でも、憧れ、って……俺はそんな存在ではないと思うのだが……」
呟くように言うフィア。
それを聞いてアーニは大きく目を見開く。
「とんでもないです!本来聖天使となられるべき御方です、憧れて当然でしょう!
というか、僕は今もフィア様が聖天使になるべきだと思っていますよ」
「そう、か……ありがとう」
フィアは少し照れくさそうに言う。
そんな彼を見て、アーニはにこにこと笑っていた。
「あの……」
そんな二人の中に声をかけてきたのは、アル。
一人置き去りになっていた彼は"僕はアルと言います"と自己紹介をしてから心配そうにアーニに問いかけた。
「あの、大丈夫ですか?お怪我は、大体なおしたのですが……」
フィアと嬉しそうに話しているアーニの邪魔をすることに遠慮していたのだろう。
そんなアルに気がついたアーニはサファイアの目を大きく見開いた後、すまなそうに眉を下げて、いった。
「あぁ、申し訳ありません……!貴方が助けてくださったのですね。
大丈夫です、悪魔に襲われた時にはもう駄目かと思いましたが……」
「やはり、悪魔か」
フィアが呟くように言うと、アーニは真剣な表情を浮かべた。
そしてこくり、と頷きながら、今はたたまれている自身の翼が伸びるあたりにそっと触れ、呟くように言った。
「えぇ……僕はフィア様に一目お会い出来ないものかと想い、こうして地上に降りていました。
その時少々周囲の警戒を怠り、悪魔に……
命からがら逃げたのですが、途中で力尽きてしまいまして……
そればかりか……翼を、斬られてしまったのです」
その時のことを思い出したのか、アーニは顔を歪める。
アルは心配そうにそんな彼を見つめた。
アーニはそれに気が付くと顔を上げて、にこりと微笑む。
「いえ、もう痛みはないのですよ、正しく治療していただけたようで……しかし、これではもう、天界には戻れない、のですよ。
翼を失った天使は空には戻れないのです」
「な……?!」
フィアはアーニの言葉に大きく目を見開く。
驚きと戸惑いに満ちた表情。
それを見つめたアーニは困ったように笑いながら言った。
「完全に僕のミスによる結果なのですからフィア様が気になさることはないのですよ」
「……それはおいておいても、天界に戻れない、とは」
フィアはあまり天界のことを知らない。
というよりは、自分以外の天使自体、殆ど見たことがないのだ。
翼を失った天使がどうなるか、ということもさっぱり想像したことがなかった。
「天使の翼は天使であることの証明。
それを片方とはいえ失ったとなれば天界の門を開くことは出来ません。
……死んだら話は別かもしれませんが」
「そんな……」
アルは大きく目を見開く。
アーニは言葉を失う二人を見て、笑いながら言った。
「あの、確かに困ったことではありますが、先刻もいった通り、僕の自業自得です。
地上をあまり知らなかったものですから、ついつい舞い上がってしまって……
自業自得の結果ならば受け入れざるを得ません。
ですから、貴方方がそんな悲し気な顔をしないでください」
僕も悲しくなりますから。
アーニはそういう。
フィアとアルは顔を見合わせたが、やがて小さく頷いた。
彼がそういうなら、今は言及すべきではないだろう。
アルもそれを認めたように小さく頷く。
フィアはそれを見ると小さく息を吐いて、アーニに問うた。
「なるほど……悪魔は、強いものだったか」
フィアの問いかけにアーニは少し眉を下げた。
少し視線を揺るがせながら、彼は呟くような声で言った。
「僕はそこまで強い力は持ちません。
ですから、この世界に危害を及ぼすほどの悪魔ではないと思いますが……それでも、人語は解していましたので、中級以上の悪魔かと」
アーニの説明にフィアは納得したように頷く。
そして腰の剣にそっと触れながら、いった。
「騎士団の方で調査するように、伝えておこう。
いざとなれば俺が倒しに行く」
凛とした、勇ましい横顔。
アーニはそれに見惚れるような顔をした。
それから穏やかに微笑み、言う。
「なるほど……フィア様は……本当に、勇ましくお強い騎士様なのですね」
―― 大天使ミカエル様の血を引く、美しい天使。
小さく呟いた声は、フィアたちには聞こえなかったのだろう。
アーニの方を見て首を傾げるアルとフィア。
そんな彼らの様子を見て、アーニは微笑みながら小さく首を振ったのだった。
―― Angel of… ――
(美しい翼を一方落とした天使。
それにしてはあっけらかんとしていて…)
(麗しの、憧れの天使様。
貴方に出会えた幸運故にこの翼を失ったというなら、それでも構いはしないのですよ)