低いエンジン音が響く。
尻から伝わってくる振動。
心地よいそれを感じながら、西は帰路についていた。
今日は恋人であるメイアンは先に家に戻っている。
大会が近くて、今日は遅くまで練習をしていたのだ。
待っていたい、といっていた彼ではあったが、どちらかといえば先に家に戻って食事を作っていてほしい、腹が減って帰るだろうから、と西が言うと、彼は嬉しそうに笑いながら帰っていった。
「単純というか、何というか……」
そういいながら西はくつくつと笑った。
まぁ、あんな感じで単純な恋人が愛しいと思う。
それに、家に帰ったら大切な恋人が待っていて、夕飯を作ってくれていると思うと、たのしみだ。
彼はそう思いながら、バイクを走らせていた。
無意識にスピードが上がる。
早く帰りたい、という想い故。
或いは、元々こうして速度を上げて走るのが好きだからか……――
そんなことを想いながらバイクを走らせていたその時。
ぴぴー!と鋭いホイッスルの音が響いた。
「あー……やらかしたか」
小さく呟く西。
少し首をひねって後ろに視線を向けると、白バイが追いかけてきていることに気がついた。
大体予想はついていたのだけれど……そう思いながら西はおとなしくバイクを停める。
追いついた白バイの警官はバイクから降りてふぅっと息をはきだした。
「思ったより素直だったな」
「逃げても追いかけてくるだろ?」
おまわりってのは大体そんなもんだし、と西は言う。
そして自分を追いかけてきた警官を見た。
怒った顔をしている警官。
帽子の下で茶色の瞳を細めつつ、その警官は溜息まじりにいった。
「君、高校生?」
制服を着ている西を見ながら彼は言う。
こくっと頷きながら、西は免許証を出して、言った。
「そうだけど、免許はあるぜ」
「免許はいいとして……君、法定速度って知ってる?今何キロ出てたかわかってる?」
呆れたようにそう問いかけてくる警官。
西はむぅっとむくれたような顔をしつつ、相手を見つめた。
淡い紫髪の青年だ。
否、青年というには幾らか幼いような……
ただ警察官をしているしバイクにも乗っているあたり、ちゃんと大人のはずで……
そこまで思いついたところで西はあぁ、と声を上げた。
「あー、アンタあの派出所の人か」
思い出した。
この地区の交番に居る警官に、すごく童顔なのが居たな、と。
ラヴェントとか言ったか……
確か、恋人であるメイアンの昔馴染みとか話を聞いたはず。
この人がそうか、と思いながら西がそういうと、相手……ラヴェントは一瞬驚いたような顔をした。
それから、困惑したような表情を浮かべて、頷く。
「……そうだけど」
話を聞いてくれ。
そう言いたげな顔をしているラヴェントにはお構いなしに、西は笑顔を浮かべた。
「そっか!お前の居る派出所確か大分ボロくなってただろ、立て直し費用出してやるから見逃してくれ!じゃあな!」
「は?!あ、ちょっと……!?」
困惑した声を上げるラヴェントを他所に、西はバイクにまたがる。
驚いた彼が止めるより先に西はバイクを発進させていた。
「あぁ……何なんだよ……というか何だか、誰かを思い出させるな……」
やれやれ。
そう思いながらラヴェントは帽子をかぶり直す。
本来なら追いかけるべきなのだろうが……速度超過といっても恐ろしいスピードを出していたわけではないし、追いかけ回して逆に事故を起こしたら厄介だ。
今度会ったら説教しておこう。
そう思いながらラヴェントは小さく息を吐き出したのだった。
***
いつも通りにパトロールをして、交番に戻る。
「ただいま戻りました」
そう声をかけるのと同時、困惑した表情を浮かべた同僚……スファルが出てくる。
一体どうしたのだろう?
もしかして自分が一人高校生を止めなかった事がばれた?
そう思い息を飲みながら"どうかしましたか?"と問いかけると、スファルは溜息まじりにいった。
「……ラヴェント、お前何した?」
「は?」
そういうと、スファルは無言でオフィスの奥を指さした。
そちらからは、なにやら賑やかな声が聞こえてくる。
……楽しそうな声ではない。
一体どうしたんだ?そう思いながら、ラヴェントは同僚の方を見た。
「何だ、アレ?というか誰か来てるのか?」
そう問いかけるラヴェント。
耳を澄ませばその声の主が誰であるかは何となく理解出来た。
聞きなれた、此処によく来る少年……チェーザレの声。
もう一つは……
そう悩んだところで、スファルが溜息を吐き出しながら、ラヴェントの背中をぐいぐいと押した。
「とりあえずお前が行け、発端だろ」
呆れたような声色でそういうスファルに押され、ラヴェントはその賑やかな声がする方へ押されていく。
近づくにつれてもう一つの声の主がわかった。
先程逃げていったバイクの少年……西だ。
「だから、俺がやるから良いっていってるだろ、しつこいなぁ」
「ボルジア家の威信にかけて建て替えはボルジアが行う!」
賑やかな声はどうやらこの二人の口論が原因らしい。
そしてラヴェントはその口論のところどころに聞こえる"建て替え"という発言にまさか、という声を漏らした。
「あぁ、ラヴェントの旦那」
聞こえた声に視線を上げる。
そこにはチェーザレの友人、ミケーレが居た。
彼はくつくつと小さく笑みをこぼしている。
どうやら先程から、西とチェーザレのやり取りを聞いていて、笑い転げていたらしい。
ラヴェントはそんな彼に問うた。
「何の騒ぎだこれ」
「俺たちが休んでたとこに彼奴がきて、此処の責任者は誰だ、って。
で、出て来たら此処の建て直しの費用は何所に振り込めばいい?って聞いて……」
そこからの話は単純だ。
その話を聞いたチェーザレがどういうことだと問い詰め、しまいには自分がやる、といいだしたらしい。
「……はぁ、なるほど」
「彼は旦那に見逃してもらったからその代わりに、っていってるっすよ」
それでご主人はムキになっちゃったんすけど、とミケーレ。
ラヴェントはあぁあ、と声を漏らした。
「俺はそれを了承したつもりはないんだけどな……」
やれやれ、と溜息を吐き出すラヴェント。
彼も流石に、金持ち二人のやりとりを止めることは出来そうになく、諦めてその様子を傍観していたのだった。
―― 礼か、策略か ――
(俺としては、余計な面倒事に巻き込まれなければそれで良い。
だからさっさと受け取ってほしいんだけどな)
(それを了承したつもりはないんだけど…
あぁでもこのやり取りを止める術はないんだろうなぁ…)