カリカリとペンが書類の上を走る音だけが響く静かなオフィス。
呼吸さえも停止して仕事をしているのではないかと思うような黒髪の少年は書類の最後までペンを走らせて、ふぅっと息を吐き出した。
インクを落とさないように気をつけながら、彼……カロルはペンを置く。
「やっと終わったか……」
小さく呟いた彼はぐぅっと伸びをする。
ずっと座りっぱなしで固まっていた関節がばきばきと派手な音を立てる。
いてて、と小さく声を上げた彼の前にことり、とマグカップが置かれた。
カロルは少し驚いたように視線を上げる。
そんな彼の視線の先には、長い茶色の髪を長く伸ばした青年が立っていた。
マグカップを置いたのは彼らしい。
それに気がついたカロルはますます驚いたような顔をして、彼の名を紡ぐ。
「ウィローサ様……」
「相変わらずだね、君は……あまり無理をしてはいけないよ」
さぁそれでも飲んで、といいながら茶色の髪の青年……ウィローサは微笑み、自身も椅子に腰かける。
どうやら、必死に書類仕事をこなしていた部下を労ってコーヒーを淹れてきたらしい。
少し驚いていたカロルだったが、やがて小さく息を吐き出して"いただきます"と呟くように言った。
そして、彼が淹れてきてくれたコーヒーを口に含む。
ひたすらにペンを走らせていた体に温かいコーヒーはじんわりとしみわたっていった。
ほ、と息を吐き出すカロル。
彼の様子を見て苦笑を漏らしたウィローサは"前からいってるだろう"と呟くように言った。
「君は頑張りすぎだよ。そんなに気を張らずに……ね?」
そういって微笑むウィローサ。
カロルは難しい顔をしつつ、呟いた。
「そんなに、無理をしているつもりはないのですけれど……」
「どこら辺が、か聞きたいところだね……君のが無理でなかったらなんなんだろう」
苦笑混じりにそういうウィローサ。
彼はいつも心配していた。
放っておくとひたすらに無茶をする部下のことを。
カロルはとても生真面目な性格だ。
任務にせよなんにせよ滅多にミスはしないし、相当なしっかりものだ。
サボっている友人を見かければ必ず声をかけて(怒鳴るともいう)仕事を再開させるし……
しかしそんな彼にも、少々問題がある。
"真面目すぎる"のだ。
いつも本気すぎるというのか、何というのか……
それ故に彼は無理をし過ぎる。
過労で倒れることもしばしばだ。
そうならないように、とウィローサは常々彼を気遣っていた。
しかし親の心子知らず……基、上司の心部下知らず、カロルはきょとんとするばかりだ。
「……無理をしているつもりは、ありませんよ、大丈夫です、ウィローサ様」
彼はそういいながら少し表情を緩めた。
表情を緩めることさえほとんどない彼。
やれやれ、といわんばかりに溜息を吐き出しながら、ウィローサは自身のマグカップを置く。
「まぁこればかりは性格というか、性分だものね……何処までおわった?」
ウィローサはそう問いかける。
するとカロルはぱっと顔を上げて、手元の書類を手に取った。
そして意気揚々と書類を差し出す。
「この書類は終わりました。
残りはあと……」
そう説明するカロル。
何だか仕事をしている時の方が生き生きしている気がする。
そう思いながらウィローサは彼の報告を受けたのだった。
***
「生真面目すぎるのも困ったものだよ」
溜息まじりにそう呟くウィローサ。
彼の前には鮮やかな金髪の同僚……メイアンの姿。
彼はウィローサのぼやきを聞くとくすくすと笑って、言った。
「まぁ、あの子はそういう子だものねぇ……休めといったところで休みそうにないわ」
小さく笑いながらそういうメイアン。
彼が淹れてくれた紅茶を口に含みながら、ウィローサは小さく頷く。
「休んで、っていってもオフィスにくるくらいだからね……」
「そこまで……?重症ね」
メイアンにもそれは流石に予想外だったらしい。
驚いたように目を見開いた後、おかしそうに笑った。
「レーシーも真面目でいい子だけれど……カロルほどではないわね」
「あれはいい子っていうよりは……なんだろうな、生真面目すぎる。
それが悪いってわけじゃないけど……効率は悪いよね」
「なかなか辛辣ね」
くすり、とメイアンは笑う。
ウィローサは肩を竦めて、"事実だからね"といって小さく笑った。
彼は優しいようで、意外と辛辣だ。
それをよく知っているメイアンはくすくすと笑う。
そして自身のカップを傾けながら、言った。
「上手く休ませる方法が思いつけばいいんだけどね……あの子を休ませられるような子、いるかしら」
「さぁ……強いていうならライシスを追いかけ回している時は仕事はしてないね」
「ウィル、それは……」
メイアンが思わず真顔になると、ウィローサは苦笑を漏らした。
そして"冗談だよ"といいつつ笑った。
「ライシスを追いかけ回して叱り飛ばしてたら先に神経が衰弱するだろうね」
「ラヴェントを見てればわかるでしょ……一瞬ひやっとしたわよ」
「ふふ、冗談冗談」
そういいながらウィローサはひらひらと手を振った。
と、その時。
軽いノックの音が響く。
"メイアン局長!"と可愛らしい声が部屋に響いた。
「あら、レーシーね。どうぞ?」
メイアンがそう返事をすると部屋の中に銀髪の少年が入ってくる。
失礼しますです!と声を上げた彼……レーシーはウィローサに気が付くとはっとした顔をして、いった。
「あぁっ、ウィローサ局長がいらっしゃったのですね、申し訳なかったのです!」
すまなそうに頭を下げるレーシー。
そんな彼に首を振って見せながら、ウィローサはいった。
「気にしなくて良いよ、僕もそろそろ自分のオフィスに戻るから……じゃあね、お付き合いありがとうメイアン」
「いいえ、また何かあったら声かけて頂戴」
そういってひらりと手を振るメイアン。
彼に別れを告げて、ウィローサは彼のオフィスを出る。
そして溜息を吐き出しながら、いった。
「ああして気楽に声をかけてくれればよいのだけれど……」
そう思いながら、ウィローサは溜息を吐き出す。
どうすれば部下ともっと、親交を深められるだろう?
そんなことを考えながら……――
―― 頑張りすぎの君へ ――
(どうにも君は頑張りすぎる癖があるから。
もう少し肩の力を抜いてほしいのだけれど…)
(無自覚なのがたちが悪い。
どうしてあげるのが正解かしらね?)