降り注ぐ、陽射し。
まだ夏の気温を滲ませたそれに、黒髪の少年は溜息を吐き出す。
そして、ポケットから取り出した煙草を一本口に咥え、火を付けた。
ふわ、と紫煙が揺れる。
それを目いっぱい吸い込んでから吐き出して、彼……ノアールは小さく息を吐き出す。
そして、ぼそりと呟くように言った。
「新学期……か」
そう呟きながら、彼は体育館の方を見る。
そこでは、始業式をしていたはずだった。
ノアールはそれに参加することもなく、こうしてさぼっているのである。
元々、ああいった式典は嫌いだ。
話は長いし、することもないのに暑苦しい体育館に詰め込まれっぱなし。
そんなことに参加したくなくて、ノアールは大体適当に逃げてしまうのであった。
「面倒だな……早く終わらんだろうか」
ノアールはそう呟いて、煙草を踏み消した。
もう既に、三本になる。
苛立っている時や疲れている時はこうして吸い過ぎてしまう。
今は、それを咎める人間もいないし……
ノアールはそう思いながら小さく息を吐き出したのだった。
早く終われ。
そう思うのは、この学校の始業式だけではない。
彼が大切に思っている少年……フランコの学校の式典の方も、だった。
彼の方は彼の方で、始業式の他にも何かと式典があるといっていた。
それが終わらない限り合流出来ないために、早く終われと思ったのである。
普段あまり顔には出さないのだけれど、ノアールはフランコのことが大切だと思っている。
……大好き、だとも。
だからこそ、彼と離れているのは退屈で、一緒に過ごしたいと思うのだった。
あいつ風にいうなら"おとろしいわぁ、はよ終わらんかなぁ"か……等と、思う。
最近ではようやく彼の使う言葉にもなれて、こうして使えるようになってきていた。
……もっとも、使うことは稀だったけれど。
とりあえず、暫く此処にいるしかない。
ノアールはそう思いながら小さく息を吐き出す。
終わったら連絡するとフランコはいっていたし……
そんなことを考えていた、その時。
「ノアー」
自分を呼ぶ声が聞こえて、ノアールはそちらへ視線を向けた。
すると、ぱたぱたと駆け寄ってくる影が一つ見えた。
柔らかい亜麻色の髪に鮮やかな青の瞳の少年。
その姿を見て、ノアールは幾度も瞬きをした。
「ん……フォルか」
どうした?と首を傾げる。
駆け寄ってきたフォルは小さく笑って、言う。
「模試の結果返却するってさ。どうせサボってるんだろうから連れてこいって先生が」
どうやら、その言いつけをされたのがフォルだったらしい。
ノアールは行こう、というフォルを見て溜息を吐き出す。
「……はぁ」
「面倒なのはわかるけど、帰らないと。
答案、持って帰らないと後からまた呼び出し食らうよ?」
フォルはそういって笑う。
それを聞いてノアールは眉を寄せる。
「もう一度呼び出しを食らうのは、嫌だな」
面倒だ、といって彼は立ち上がる。
フォルはその姿を見て小さく笑いながら、彼と一緒に教室に戻っていったのだった。
***
ノアールは模試の結果を受け取って、帰路に着いていた。
先程、フランコからも連絡があった。
自分の方も終わったから、と。
どうせだから少し遊んで帰ろうか。
その場合何処で遊ぶのが良いだろう。
煙草を咥えながらそう悩んでいると、ぱたぱたと駆け寄ってくる軽い音が聞こえた。
「あ!ノアール!」
明るい、フランコの声。
それを聞いて顔を上げれば、鮮やかな赤髪の少年……フランコが駆け寄ってきていた。
それを見て、ノアールは軽く手を上げる。
駆け寄ってきたフランコは嬉々とした表情でノアールに何かを差し出した。
そして嬉しそうに笑いながら、言う。
「煙草や!お揃いやな」
そういいながら彼が差し出すのは、一本の煙草。
それを見て、ノアールは驚いたように目を見開いた。
「お揃いってお前……それ、どうしたんだ」
何故、フランコが煙草を?
ノアールからしたら、それは酷く不思議な話だった。
彼は自分と違って煙草を吸ったり酒を飲んだりするようなタイプではないし、あんなふうに誇らし気に煙草を掲げてくるタイプでもないし……
そう悩んでいると、フランコは嬉しそうな声で言った。
「駅でゴミ拾いしてきたんや!」
どうやら彼は式典の後で、ゴミ拾いに行ったらしい。
その時に拾ってきたもののようだ。
それなら納得か、という顔をしつつ、ノアールは彼にいう。
「……そうか」
「捨ててくるわー!」
そういってぱたぱたと駆け出していくフランコ。
ノアールはその背を見て瞬きをした。
それから、慌てて彼に声をかける。
「生活指導の教師に見つかるなよ」
そうなると厄介だ、とノアールは言う。
フランコが叱られたらいやだ、とノアールは思う。
煙草を持っていたら、叱られかねない。
ノアールがそういうと、フランコはふり向いた。
そしてにこりと笑って、言う。
「さっきメイアンせんせーにおうたけどええ子やな!って褒められたで!!」
彼が言うメイアン先生、というのはノアールの学校の生徒指導の教師。
まるで女性のような容姿、性格をした教師だ。
どうやら彼と、フランコは既にあっているという。
「……そうか」
叱られなかったのか、とノアールは呟く。
自分が同じことをしていたら、間違いなく注意を受ける。
煙草は体に悪いのよ、なんて。
……これが、普段の素行の違いか。
そう思いながらノアールは小さく息を吐き出した。
ぱたぱたっと走っていくフランコ。
その背中を見送りながら、ノアールは目を細める。
そして、鞄の中に適当にいれた模試の結果を取り出す。
さっき受け取ったばかりのそれをまだ、ちゃんと見ていなかったのである。
結果としては、悪くなかった。
元々ノアールは勉強はかなり得意で……
殊更に、世界史は一問だけしか間違いはなかった。
「記述にしてはなかなかだな」
ノアールがそう呟くのと同時に、彼の手の中にあった答案がひらりと取り上げられた。
あ、とノアールが声を上げると、その視界にひょいとフランコが入りこんでくる。
「ノアール!これなんなん?!」
そう声をあげるフランコ。
何やら怒った表情の彼を見て、ノアールはきょとんとした顔をした。
そして首を傾げながら、彼が取り上げたモノを見る。
「……?世界史の模試の結果だが」
それがどうかしたか?とノアールは首を傾げる。
するとフランコは唯一間違っているところを指さして、言った。
「間違っとるやん!しかも俺の名前のとこ……空白は酷いで!」
それを聞いてノアールは瞬きをした。
それから、視線を揺らしながら、言う。
「あー……それか」
そう。
ノアールが間違えたのは、ちょうどフランコの名前を答えるところだった。
そこだけが、空欄になっているのである。
それが酷いと、フランコは怒っているようだった。
ノアールはそれを聞いて小さく息を吐き出す。
そして、呟くような声で言う。
「……オリジナルのこととはいえ、独裁者は誰かという問いに対してお前の名前を書きたくなくてだな……」
そう呟くノアール。
それは、事実だった。
今目の前にいるフランコとスペインの独裁者であったオリジナルのフランコがまったく別の人間であることは分かっているのだが……
その問題に彼の名前を答えたくなかった、というのが応えなかった理由の"一つ"だった。
フランコはノアールの言葉に大きく目を見開き、瞬きをする。
どうやら、今のノアールの発言に驚いて、また感激したらしい。
「の、ノアール…!
で、でもあかん!ちゃんと答えやなあかんって!!」
そういうフランコ。
ノアールはそれを聞いて、ふっと笑う。
「……あぁ、そうだな」
次からそうするよ、というノアールだが……フランコの名前を答えなかったのは、もう一つ理由がある。
ノアールはフルネームで書きたかったのだが文字数制限が4文字だったのである。
設問者の無能め。
そう思いながら問題を解いていたのは、フランコには秘密である。
「なぁなぁノアール、どこか一緒にいかん?」
フランコがノアールの服を引っ張って、そう強請る。
ノアールは彼の言葉に頷いて、そうだな、といったのだった。
―― 好きであるが故の、拘り ――
(愛おしいと思うが故の、拘り。
好きであるのだから、ちゃんと名前を呼びたいと思うだろう?)
(しれっとそういうことを言う彼。
それが天然でやってるのか、時々疑問に思う)