静かな、薄暗い森のなか。
そこに長い黒髪の少年は立っていた。
対峙しているのは亜麻色の髪の青年……フォル。
黒髪の彼……ペルの目の前に現れた彼はにこにこと笑っている。
それを見つめて、ペルは口を開いた。
「……御主人」
「ふふ、久しぶり……」
フォルはそういいながらペルの頬に触れる。
その手に、ペルは反射的に首を竦めた。
彼の様子を見てフォルは目を細める。
「ふぅん……」
怯えるんだ?とフォルは首をかしげる。
ペルは視線を逃がす。
正直、怯えていた。
だってフォルは、ペルやその大切な人を追い詰めるようなことばかりしてきたから。
フォルはそんな彼の様子を見て、小さく笑う。
そしてペルの漆黒の瞳を見据えながら、いった。
「やっぱり君は、不要だなぁ……」
そんな風に怯えられてまで面倒見たい訳じゃないし。
歯向かわれるのも厄介な話だし。
フォルはそういいながらペルの頤に手を添える。
若干の怯えを瞳にともすペル。
それを見てくすりと笑うと、フォルは彼から離れた。
「でも、捨てるのも惜しいんだよね……
呪術も使えるわけだし……そこでね、僕考えたんだよ」
というか前々から思ってたことなんだけどね。
フォルはそういうと、ペルに歩み寄って、彼の額に触れた。
大きく目を見開くペルを見据え、彼は言う。
「君の記憶を消してしまいさえすれば、君は君の能力を保持したまま……
君ではなくなるんだよねぇ……?」
前から計画していたこと。
記憶がなければ、君は従順な部下になる。
そうだよね、とフォルは言う。
彼には、それが出来てしまう。
恐らくあっさりと。
フォルはペルの額に触れた。
そして、目を細めつつ、言う。
「そうしてしまおうか……ね」
フォルは魔力を指に込める。
そのまま彼に記憶消去の魔術を使おうとした。
ペルは急いで彼から離れた。
しかしフォルは余裕の表情でペルを狙う。
距離をとったって、魔術は使える。
フォルはそのまま魔力を放とうとした。
その、刹那。
ペルは誰かに強く体を突き飛ばされた。
その場に、倒れ込む。
白い光が弾ける。
それが収まったところでペルはおずおずと目を開けた。
そこに立ちはだかっていたのは隻眼の少年……シュタウフェンベルク。
その姿を見て、ペルは大きく目を見開いた。
「!シュタウフェンベルク……」
そう。
ペルを庇ったのはシュタウフェンベルク。
彼は険しい表情でフォルを睨み付ける。
フォルはそれを見て、肩を竦めた。
「また君か、大佐殿」
ほんとにタイミングよく現れるね。
フォルはつまらなそうにそういう。
そんな彼を睨みながら、シュタウフェンベルクはいった。
「っ、ペルには、手を出すなと、いっただろう……」
そういう彼の声色も険しい。
しかしフォルは別のところで驚いたような表情を浮かべた。
「あれ?記憶消えてない?」
そう。
今使った魔術は記憶消去の魔術。
ペルにかけようとしたそれはシュタウフェンベルクに当たったのだから、
彼の記憶が消えるはずなのに、シュタウフェンベルクはいつも通りだ。
フォルは小さく首をかしげて小さく息を吐き出す。
そしてふっと笑って、いった。
「おかしいなぁ……まぁ、いいや」
守ってもらえてよかったね、ペル。
フォルはそういうと、姿を消した。
それを見送ってほっと息を吐き出した後で、
シュタウフェンベルクは彼の方へ向き直る。
「ペル、大丈夫か?」
怪我はないか、と問いかける彼。
ペルは何度も頷きつつ、逆にシュタウフェンベルクに問いかけた。
「うん……僕は、平気……
シュタウフェンベルク、は?」
どちらかと言えば心配なのは彼の方だ。
ペルはそう思いつつ、シュタウフェンベルクを見つめる。
しかし彼はひらひらと手を振った。
そして穏やかな表情で言う。
「私も何ともない。
恐らく、失敗したか、元々記憶などいじるつもりがなかったか、だろう」
ペルはじっとそんな彼を見つめる。
嘘は、ついていないようだ。
彼が特殊な魔力の持ち主だったから、フォルの魔術が無効化された?
それも、可能性的になきにしもあらずだけれど……
「そうだと、いいんだけど……」
ペルはそう呟きつつもやはり不安そうだ。
シュタウフェンベルクはそんな彼を見つめ、大丈夫だと言うように強く手を握る。
その手の力強さにペルはやっとほっとしたようで、そっとその手を握り返したのだった。
***
そんな、翌朝……――
シュタウフェンベルクはいつも通り自分のベッドで目を覚ました。
「ん……」
自分から目を覚ますのは珍しい。
自分自身でそう思いつつ、彼は目を開ける。
腕のなかに、温もり。
それにシュタウフェンベルクは怪訝そうな顔をした。
視線をそちらへ向ける。
そして、驚いたように目を見開いた。
「な……!?」
なんだ、この子は。
シュタウフェンベルクはそう呟く。
……黒髪の彼はいつだって、こうして一緒に寝ていたというのに。
そんな彼の反応にペルも目を覚ました。
ぱち、とまばたきをしつつ、自分を見て驚いた顔をしている彼を見つめる。
「……シュタウフェンベルク?」
どうかしたの?
そう問いかけてくる"知らない少年"。
その姿に、シュタウフェンベルクは困惑した顔をする。
「え?あ……」
驚きと戸惑いで声が出ない。
しかしまだ状況がつかめていないペルはきょとんとして首をかしげた。
「??どうしたの?」
変なの、と呟く彼。
シュタウフェンベルクはやっとのことで気持ちを落ち着かせると、
冷静を装って、ペルに問いかけた。
「い、いや……何故私のベッドに、いるのかと思って」
君のような子が、と彼は言う。
それを聞いたペルの眠気はすっかりさめていた。
「え……」
胸が、嫌な痛み方をした。
もしかして、と思う。
ペルはシュタウフェンベルクをそっと見た。
彼は、困惑の表情だ。
何故この子が自分のベッドにいるのかと言いたげな。
否、もっと言うならば……
「名前は?何処から来たんだ?」
その問いかけに、確信する。
昨日の、フォルの魔術は失敗ではなかったのだと。
ただ、発動までに時間がかかっただけなのだと。
「僕、あの……」
ペルも、戸惑う。
こういう場合はいったいどうしたらいい?
何と答えればいい?
本当のことをいってもいいのか。
それとも……――
「……ごめんなさい、僕、ちょっと、寒くて……」
考えあぐねた後、ペルはそういった。
自分でいっていても支離滅裂なのはわかっていたけれど……
本当のことを話してもどうせ怪訝な顔をされるだけだ。
それがわかっているから、嘘をつくしかない。
「え、あ、あぁ……」
そうだったのか、と彼は言う。
ペルはそんな彼をもう一度見た後、部屋から逃げ出すように駆け出した。
もう、此処にはいられない。
そう、思って。
ペルは逃げるように食堂に飛び込んだ。
けれどまだ頭のなかはごちゃごちゃのままだ。
どうしたらよいのだろう。
フォルの魔術を解くだけの力は自分にはない。
それにしても本当に、彼の記憶は……
そう、ぐるぐると色々考えていたとき。
「ペル!」
不意にシュタウフェンベルクに呼ばれた。
はっきりした自分の名前。
それを聞いて、ペルはぱっと視線をそちらへ向ける。
駆け寄ってきたのは、シュタウフェンベルク。
彼の傍には副官であるヘフテンがいた。
「シュタウフェンベルク……」
ペルは彼の名前を呼ぶ。
彼のすぐ傍まで来たシュタウフェンベルクはすまなそうにペルにいった。
「朝は、すまなかったな、私も少し、混乱してしまって……」
その言葉にペルはまばたきをする。
いつも通りに柔らかく、優しい声色。
もしかして思い出してくれたのだろうか?
そう思ったけれど……
「うん……?」
ダメだ、と思った。
いつもなら撫でてくれるタイミングなのに、それがない。
それに、笑顔もぎこちない。
ペルは思わず落胆した。
名を呼ばれた時に一瞬期待してしまったから、余計に。
そんな彼を見て、シュタウフェンベルクは怪訝そうな顔をする。
「……どうかしたか?」
「ううん、何でもない……」
ペルはゆっくり首を振りつつそういうと、目を閉じて、溜め息を吐き出したのだった。
―― Lost your… ――
(最初からわかっていたこと。
でも。やっぱり貴方のなかに僕がいないのは、悲しかった)
(これは誰?どうして私のベッドにいたのか…?
そしてどうしてそんなに悲しそうな顔をしたんだ…?)