よく晴れた冬の日の午後。
艶やかな金髪の少年は、一人部屋で読書をしていた。
珍しく仕事はない。
夜からの任務などもないために、久々にゆっくり過ごせる時間だった。
しかし……
そんな彼の表情は、何処か険しいもの。
本を開いて活字を追ってはいるものの、その様子に落ち着きはなく、
一、二ページ進む度、綺麗な青色の瞳の視線は窓の外に投げられる。
空は申し分ない青空。
風もなく、暖かくて良い日だが……
彼……ハイドリヒの心の中は薄曇りもいいところだった。
その原因は……いつもなら、傍にいるはずの赤髪の少年。
彼も、今日は仕事が休みだと話していたのだが……
―― あ、ラインハルト!俺、アルとちょっと街出掛けてくる!
―― ……何故私にわざわざ報告するのですか。
―― え、いつもラインハルトと一緒にいるからだけど……
―― 報告要りません。さっさといってきなさい。
珍しく、"自分以外と"出掛けると話していたアネットを見送ってから早数時間。
任務で彼が傍にいないのはいつものことだが、
休みであれば必ずといってもいいくらい傍にいる彼がいない、というのは、
どうにも落ち着かない……基、寂しい。
だから、好きなはずの読書をしていても落ち着かず、
ふとした折りに顔をあげては、彼が帰ってきてはいないかと確認していたのだった。
***
日が暮れても、見慣れた赤髪の少年の姿は見えない。
一体何処までいったのやら、と想いながら、
ハイドリヒは幾度目になるかわからない溜め息を吐き出した。
―― その時。
「珍しいね、死神様が一人でいるの」
不意に聞こえたその声に、ハイドリヒはもうひとつ溜め息を重ねた。
先ほどまでとは違う理由での、溜め息。
そんな彼の態度を気にかけた様子はなく、
ハイドリヒの後ろに亜麻色の髪の堕天使が姿を現した。
"いつも彼も一緒なのに"と亜麻色の髪の堕天使は微笑む。
ハイドリヒはそんな彼を睨み付けた。
それを見て彼……フォルは大袈裟に肩をすくめる。
「わ、すっごい不機嫌」
「煩いですよ」
ハイドリヒは鋭い声でそういった。
出ていけ、と言わんばかりの声と表情。
感情が出づらい彼にしては珍しいその挙動。
苛立っているのが一目瞭然だ。
しかし堕天使はそれを見て楽しんでいる様子だった。
そして、ハイドリヒに近づくと、不機嫌そうな顔を覗き込みつついう。
「寂しいんだ?おいてかれて」
「……わかってていっているでしょう、貴方」
なにも知らないかのように声をかけてきた彼だが、確信した。
何故ハイドリヒが不機嫌なのかもわかった上で、声をかけてきている。
ハイドリヒは露骨にフォルを睨んだ。
彼はくすくすと笑って、頷く。
「知ってるよ。君の子犬君が彼の友人と一緒に街に出掛けていったことでしょ?
楽しそうだったよね、彼」
追い討ちをかけるようなそんな言い方に、ハイドリヒはぎゅと唇を噛んだ。
もうフォルに返答する気はなかったが、内心はかなり揺れていた。
思い出したくない。
外に出ていく彼の、楽しそうな表情。
小さな白髪の少年をつれて歩いていく彼は、確かに楽しそうだった。
一緒にいたのがパートナー的存在のアルだったことが、救いだ。
ただ遊びにいっただけだろう。
そう、結論だけはついた。
"浮気"などでは、ないだろうと。
でも、ひとつだけ変わらない想い。
彼は……もしかして、ああしている方が気楽でいいのではないか。
そう思ってしまう。
自分と彼の違いを痛感するのは、こういう時だ。
社交的な彼には、自分以外にもたくさん友人はいるだろう。
自分が手放してやれば、彼はきっと楽になる。
手放してやればいい。
でも……したくない。
そんな想いが心を支配する度に心に黒い感情が沸き起こる。
元々表情に感情が出づらい彼だから、きっと周囲にはばれていないけれど……
「だから、大事なら縛り付けて傍においとけばいいのに。
他所に他に大切なものあるなら、そっちに靡いちゃう可能性ゼロじゃないでしょ?」
フォルはハイドリヒの耳元でそうささやいた。
まるで、彼の心の奥を読み取っているように。
ハイドリヒはその声を拒絶するように首を振る。
でもその表情には苦しげな色が灯っていた。
……フォルのいうとおりに、そうしたい、という想いがないはずがない。
自分だけの傍にいるようにしたい。
縛りつけて、自分だけの傍にいてといいたい。
でもそれをいったら彼は余計に離れるのではないのか、という不安だって無論ある。
そしてもし、万が一にも彼が離れようとしたならば……
その時は、きっと自分は彼を壊してしまうから。
大切だからこそ手放したくなくて。
彼によそ見をしてほしくなくて。
だから、きっと……
彼が、よそ見をするくらいなら、自分から彼を壊してしまうだろうな、と、
漠然と想像がついていた。
フォルは暫しそんな彼を見つめていたが、やがて小さく息を吐いた。
そして、呟くようにいう。
「ふぅん……人間って大変だよね。
傍においときたいけどおいときたくない、って……ややこしいねぇ」
「勝手に他人の思考を読まないでください」
斬りますよ、といってハイドリヒは愛剣をフォルの方へ向けた。
フォルは"怖い怖い"といって、肩を竦める。
そして、小さく呟くようにいった。
「……でも、残念。
面白いことにはならなさそうだなぁ」
「は?」
何のことですか、とハイドリヒが問い詰めるより先。
フォルは姿を消していた。
いったいなんだったんだ。
ハイドリヒがそう心のなかで呟くと同時、ばんっと音をたててドアが開いた。
ノックなしで部屋に飛び込んできた、赤髪の少年。
外の風は冷たかったのか、頬や鼻先が少し赤い。
「ただいまっ!ラインハルト!」
そういうや否や、ぎゅっと抱きついてくるアネット。
じんわりと伝わってくる、彼の体温。
外は寒かったのだろうが、それ以上に高い彼の体温。
それを体に受けるのが随分久しぶりに感じたのは、気のせいだ。
そう言い聞かせつつ、ハイドリヒは彼の体を引き剥がす。
「……お帰りなさい」
「ちょっと、リアクション冷たいぞ、ラインハルト」
アネットはそんな彼の態度に少しむくれた顔をすると、
"まぁいいや"と呟いて、何やらポケットのなかをまさぐった。
そして、小さな黒い袋に包まれた何かを取り出して、ハイドリヒに差し出す。
そして、子供のような笑顔を浮かべて、いう。
「これ、プレゼント!」
「は……?私、今日誕生日でも何でもないのですけど」
怪訝そうな顔をしてハイドリヒが言えば、アネットはがっかりした顔をした。
そして、溜め息混じりにいう。
「……恋人にプレゼント渡すのに何か理由が必要か?」
「え……」
驚いた表情を少し滲ませた彼に、アネットはしてやったり、と笑う。
そして、明るい笑顔を浮かべたままに、彼にいった。
「へへ、理由とかないんだって。
強いていうならラインハルトがそうやってびっくりした顔をみたかったっていうか……
いつも傍にいてくれてありがとー、とか……ま、そういう意味。
あとは、いつも一緒にいられるわけじゃないから、お守りっていうか……」
ハイドリヒはその袋に入っていたものを取り出した。
ころり、と掌に転がったのは小さな髪飾り。
デザインはシンプルだが、細かなレースの飾り等は精巧で、
決して安物でないことはよくわかる。
「ラインハルトは綺麗な人だし、すごく上品だから安物似合わねぇんだよ。
んで、材質によっては魔力で守護はかけらんない、ってアルがいうし……
どんなのがいいかなあって悩んでたら遅くなっちまって……」
アネットはがさつそうに見えて案外ものをみる目はしっかりしている。
ひとえに、彼の父親が優れた商人であるからなのだろうが、
アネット本人には自覚がないらしいから、驚きだ。
ハイドリヒは手の上に転がった髪飾りを見て、溜め息を洩らした。
そして、呟くようにいう。
「……馬鹿」
「え、え、気に入らなかった?」
焦った顔をするアネットの額をハイドリヒは細い指でこづいた。
きょとんとして瞬きをする彼に、ハイドリヒはいう。
「そうじゃ、ないですよ……」
本当に鈍い。
言葉にしない自分も悪いと知っているけれど……鈍い。
彼は、本当は自分の方がずっとずっと嫉妬心が強いことを知っているだろうか。
相手がアルだったから、まだ"そういう不安"がなかった分、いい。
でも、もし相手がフィアだったら?
他の、彼に親しい騎士だったら?
……今の数倍、どろどろとした感情を抱いていたことだろう。
ことによっては、彼に顔を見せたくなくて閉め出し位はしたかもしれない。
先ほどの、堕天使の言葉も効いていたし。
ハイドリヒがそう思いながら溜め息を洩らせば、
アネットは少し迷う表情を見せてから、訊ねてきた。
「……俺がいなくて寂しかったとか?」
「……だったら、どうしますか?」
呟くように、ハイドリヒはいった。
認めているような、認めていないような、ギリギリの返答。
それを聞いて、アネットは少し黙る。
そして、そっとハイドリヒの体を抱き締めた。
ぴく、と華奢な彼の体が跳ねる。
アネットはそっとハイドリヒの艶やかな金髪を撫で付けつつ、いった。
「もし、ラインハルトがそうおもってくれてたんなら……ごめん、っていう。
寂しい思いさせちゃ、本末転倒だもん」
彼を驚かしたかった。
一緒に買い物にいったら"サプライズ"にはならないから、
一人で、もとい彼以外の人間と買い物にいったのだけれど……
そのせいで寂しいと思わせてしまったのだとしたら、それは、ごめん。
アネットはそういう。
ハイドリヒは視線をさまよわせた。
そして、呟くようにいった。
「別に、いいんですよ……無理に一緒にいようとしなくたって。
私と一緒にいることは、貴方の義務じゃないんです」
いるのが当たり前みたいになっているのは事実だ。
夕飯時などに一人でテーブルについていると珍しいな、といわれるほどに。
でも、そうして傍にいることは決して"当たり前"ではないし、
アネットにそうしなければならない義務もなければ、
ハイドリヒにもアネットの傍にいる義務はない。
だから、いい。
別に、貴方が誰とどこでいつ一緒にいようが構わない。
そう、ハイドリヒがそっけなくいうと……
アネットは呆れたように溜め息を洩らした。
「義務って……そんな風に思ったこと一度もないから大丈夫だよ。
俺、ラインハルトといるときが一番楽しいから。
俺が傍にいたくて一緒にいるんだし。
他の奴といるときも、確かに楽しいよ?
でも、その時だってずーっとラインハルトのこと考えてる。
買い物いってる間だって、ほんとにずっと、お前のこと考えてたんだからな。
どういうのがお前に似合うかなとか、
今度遊び来るときは此処の店に一緒にいきたいなとか」
嘘のない言葉で彼はいう。
まっすぐな、彼らしい言葉で。
抱き締めてくる腕に力が込もって、ハイドリヒは小さく息を漏らした。
そして、彼に訊ねる。
「私と一緒にいて、楽しいですか……
私は決して、貴方に自分から会話をふったりするタイプでもないのに」
「一緒にいるだけで楽しいんだよ。
今日だって、ほんとはずっと一緒にいたかったんだから」
そういうと、アネットは一度腕を緩めて、ハイドリヒの顔をみた。
綺麗な青い瞳。
整った顔立ち。
色の白い頬。
それをみて小さく笑うと、アネットはいう。
「流石に一日かけたのはなぁ……俺としても、長すぎた……
ラインハルトともっと一緒にいたかったなぁ……」
せっかく休みだったのになー、とアネットは呟く。
そして、ぎゅっとハイドリヒの華奢な体を抱き締めたまま……ベッドに転がった。
流石に少し驚いて、ハイドリヒは軽くもがく。
「ちょ、っと……?」
「今日は、もうこっからさきずっとラインハルトと一緒にいるー
一日離れてたから、ラインハルト不足」
そういいながら、アネットはぎゅっとハイドリヒを抱き寄せる。
そのうでは、一向に緩みそうにない。
この調子で、夕飯は勿論一緒に寝る、という意味だろうか。
「……明日、私朝早いですよ」
「いいよ、起きる時間にたたき起こしてくれれば」
「…………」
「……ラインハルトが迷惑なら、帰るけど」
どうする、とアネットは少し体を起こして訊ねてきた。
ハイドリヒはその問いかけに恨みがましげな視線を彼に送る。
それをみて、アネットは笑った。
視線での返答を、彼は理解している。
そして、愛しげに彼をぎゅっと抱き締める。
「あー、ラインハルト可愛い」
「うるさいです」
「だって、可愛いもん……案外、甘えん坊」
「うるさいですって」
「いてっ、蹴るな!」
布団のなかでかるく蹴飛ばしてやれば、小さく悲鳴が上がる。
ハイドリヒはむくれた顔をしつつ、抱き締めてくれている彼の胸に顔を埋めた。
貴方にたいしてだけだ、とハイドリヒは心のなかで思う。
驚いた顔がみたかったといわれて嬉しかった、何て。
何でもないのにプレゼント渡されて嬉しかった、何て。
そんな想いを抱くのは、貴方だからだ、と。
でも流石に抱き締められるままでいるのが気恥ずかしくて、
ハイドリヒはもそもそと動いた。
するとアネットの腕に力が込もって、耳元で"逃がさない"と呟かれる。
「いーの、甘えてりゃいいんだ」
そういうのあんまりなかっただろ?
誰かに甘えるとか頼るとかそういうのにラインハルト慣れてなさそうだから。
一人でずっと頑張ってきたんだもんな、とアネットはいう。
「……本当に、狡い人です」
甘えたくなんかない。
甘える必要なんてない。
そんな自分の虚勢を壊す貴方は狡い。
そう呟いて、ハイドリヒはアネットの体に身を委ねた。
―― Monopolistic desires ――
(素直じゃなくたっていい。
そんな不器用な甘えかたでさえもすごく愛しいんだから)
(貴方が気づいているかも定かでないこの感情
それを知っても、貴方は私の傍にいてくれるでしょうか)