広がる青空。
風は穏やかで、夏の盛りの熱風からは少し和らいでいる。
街中の通りを歩く黒髪の少年の長い髪を風が拐って、彼はそれを押さえた。
「ヒトラー様と出掛けるのは、久しぶりですね……」
黒髪の彼……ヒトラーの隣を歩いている亜麻色の髪の少年、フィアがそういった。
ヒトラーは彼の方を見て、そうだな、と頷く。
元々違う部隊の騎士である二人が共に行動することはあまり多くない。
今日は時間を持て余していた二人が街の巡回に出てきたところで、
偶然鉢合わせる形になったのだった。
一人でぶらぶらと街を歩くよりは見知った仲間との方が楽しい。
正式な任務でないから気も楽で、二人で喋りつつ巡回をしているのである。
「相変わらず平和だな、この街は」
ヒトラーは周囲を見渡して、目を細めた。
仲の良さそうな家族連れやカップルが連れだって歩いている。
聞こえてくる会話は穏やかなもので、聞いていると思わず笑みがこぼれた。
「そうですね……俺も、こういう雰囲気が好きです」
"この光景を守りたいと思いますから"とそういって、フィアも微笑んだ。
その言動はかなり頼もしい。
ふと、ヒトラーはあることに気づいた。
「……なぁフィア」
「?何でしょう」
「普通は、私がフィアがいる方を歩くべきじゃないのか?」
ヒトラーはそう指摘する。
フィアはきょとんとして首をかしげたあと……小さく笑った。
「なるほど。俺としてはいつも通りに動いていたので気づきませんでした。
確かに……車道側を歩くのは、男性の仕事かもしれませんね」
そう、ヒトラーが指摘したのは現在の二人の並びである。
フィアがあまりにさりげなくそちら側に立っていたため気づかなかったのだが、
ヒトラーが店などがある歩道側、フィアが時折馬車などが通る車道側を歩いていた。
正式な性別でいくならば、逆の立ち位置になるはずで。
ヒトラーはフィアの方を見ながら首をかしげた。
「代わろうか?」
「いえ、お気になさらず。俺も男ですからね」
そういって、フィアはくすくすと笑う。
さりげなくそう振る舞う彼はかなり似合っている。
正直、騎士団内でもフィアは相当男らしい方だろう。
性別を知っている仲間でも時々彼が女性であることを忘れてしまうほどに。
それを知っているからこそヒトラーは少し複雑そうな顔をしていた。
ともあれ、意地をはって自分が道路側に出るのも何か違う気がして、黙っていたのだけれど。
***
そうして二人で歩いていた途中……
「あれ、フィア……?」
ヒトラーがふと気づいたとき、フィアの姿が見えなくなっていた。
振り向いて見れば、少し後ろの方の店で足を止めている。
何か気にかかるものでもあったのだろうか、と引き返しかけたとき。
ぱし、と腕を掴まれた。
ヒトラーは驚いた顔をして、そちらを見た。
「何……」
「綺麗な騎士様だなぁ」
そんな声でヒトラーは事態を理解した。
あぁ、要らない厄介に巻き込まれたな、と。
彼の手首を掴んでいるのは派手な髪色をした男。
いくつもピアスを開けた彼は、ヒトラーやフィアより少々年上だろうか。
ヒトラーは露骨に顔をしかめる。
女性相手ならば多少遠慮はするが、男ならば我慢する必要もない。
「用事がないなら手を離してくれるか」
迷惑だ、という風を思いきり出していうが、男の手は緩まない。
周囲にいる取り巻きも笑っていた。
ヒトラーはあまり力がある方ではないために、ほどくにほどけない。
男はそれをいいことに値踏みするように男はヒトラーを見た。
「へぇ、女性騎士ってまだいないらしいけれど……女性並みに綺麗だぜ」
ほんとだよな、と周りから声が上がってヒトラーは更に不機嫌になる。
綺麗だの可愛いだのと仲間や友人に言われることは多かったが、
見知らぬ人間に、しかも何やら意味ありげに言われるのは好ましくない。
とはいえ、魔術で振り払わなければならないほどのこともされていないため、
これ以上の抵抗をすることはできない。
どうしたものか……と溜め息をついたとき。
「ヒトラー様から手を離せ」
低い声が聞こえた。
低いといっても、せいぜいアルト程度の声だが。
ヒトラーはその声の主を見る。
彼に負けず劣らず不機嫌な顔をしているフィアがそこに立っていた。
「何だもう一人いたのかよ」
「へえ……そっちのはそっちので綺麗じゃねぇか。
線も細いし、顔つきも女っぽいなあ」
気が強そうだけど、と一人がいって笑う。
そんな彼らの言動に、視線に、行動にフィアは眉をしかめた。
そして、溜め息をはいていう。
「真っ昼間から酔っ払い紛いのナンパとは……たちが悪いな。
挙げ句、街の治安を守る立場の騎士にちょっかいを出すほど暇なのか。
生憎俺たちは貴様らに付き合っているほど暇ではない。
……今すぐ失せろ、暇人」
きっぱりと啖呵を切ってみせるフィア。
あまりに遠慮のない物言いにヒトラーは少し表情をひきつらせた。
こういう時のフィアは味方であっても少々怖いものが存在する。
案の定、痛いところをつかれたのか、男立ちは逆上した。
「何だと……っ」
ヒトラーの腕を掴んでいた男がフィアに掴みかかっていく。
その勢いは相当なもの。
ヒトラーは空色の瞳を大きく見開く。
「フィア!」
ヒトラーは驚いて、そして心配して彼の名前を呼んだ。
あの勢いで突き飛ばされれば、フィアの華奢な体など容易に吹き飛ばされそうだ。
―― しかし。
次の瞬間にはフィアに掴みかかっていった男が地に臥せっていた。
周りでおろおろと見ていたギャラリーからどよめきが起こった。
まぁ、当然だろう。
華奢なフィアが頭は軽そうとはいえ体格の良い男を一人易々と投げたのだから。
ヒトラーも思わずぽかん、である。
地面に臥せった男を見下ろして、フィアは小さく鼻を鳴らした。
思いきり軽蔑した顔をして男を見下ろすフィアのサファイアの目は、冷たい。
「俺が女っぽい?
はっ、実力差を知ってからいうんだな。なめるな」
ああ、それが地雷だったか、とヒトラーは思う。
フィアは女扱いされるのが嫌いだといっていたっけ、と。
まだ何か用事が?とフィアが視線を向けると、
ヒトラーに絡んでいた男たちは慌てて逃げていった。
この程度で情けない、と呟いたあと、フィアはいつも通りの冷静な表情に戻り、
ヒトラーの方へ向き直った。
少し決まり悪そうな、申し訳なさそうな顔をしている。
「ヒトラー様、すみません。少し余所見をしていて……」
「え、あ、あぁ。大丈夫……フィアは怪我はないか?」
「平気です。あの程度の男ならば」
軽いものです、とフィアはいった。
頼もしいことこの上ない。
が、普通はやはり立場が逆である。
逆にフィアが絡まれていた場合、自分で助けられただろうか……
そう考えて、ヒトラーは小さく溜め息をはいた。
「……体術ももう少しできるようになるべきか」
ヒトラーがそう呟くと、フィアは笑って頷いた。
「確かに、護身術程度には使えたら便利かもしれませんね。
俺も体術はアネットとかに教えてもらってますよ。
剣も魔術も使えない時は身一つで戦うしかありませんから。
……まぁ、こういったことがないように、俺がサポートしておきたいですが」
"ヒトラー様は本当に頻繁に絡まれてそうで心配です"というフィア。
それを見て、ヒトラーは恨みがましげな声でいう。
「だから……そういうことは女性に言ってくれ。私はこれでも男だ」
若干むくれたようにヒトラーがいうと、
フィアはくすりと笑って"すみません"と謝った。
こういう時のフィアは彼の兄ににている気がするな、とヒトラーは思った。
「……そういえば、なんの店を見ていたんだ?」
ふと気になって、ヒトラーはそれを訊ねる。
フィアがはぐれるほど、何か気にかかるものがあったのだろう、と。
すると、フィアはさっと顔を赤く染めた。
「い、いえ……大したものでは」
「……?」
怪訝そうな顔をして、ヒトラーはフィアがいた方へ視線を向ける。
そして、気づいた。
恐らく、フィアが見ていたのは……
「雑貨屋……?」
思わず呟くと、フィアの頬がさらに赤くなった。恐らく正解だろう。
ヒトラーはそんな彼を見て、小さく笑う。
男より男らしく、紳士的で、女性に優しい彼。
しかし、ヒトラーたちは彼……否、彼女の本質も知っている。
花が好きだったり歌が好きだったり、時折女性らしい姿も見せる。
だからこそ何だかおかしくて、それと同時にすごいと思うのだ。
「寄っていくか?」
少しからかうようにそう訊ねたのは先刻の仕返し。
フィアは顔を真っ赤にして首を振る。
「い、いいです……さ、帰りましょう」
決まり悪さを繕おうとするように然り気無くリードしつつ歩き出すフィアを見て、
ヒトラーはくすくすと笑ったのだった。
―― Brave girl ――
(勇ましく凛々しい彼に時々敗北感を覚えるけれど…
それでも彼の本質を知っているのは私が彼の仲間だからで)
(綺麗で優しい人だから守りたいと俺は思っていて
でもからかわれた時に勝てないのは俺の本質を彼が知っているから)