「ん……」
小さく呻いて、黒髪に空色の瞳の少年……ヒトラーは目を開けた。
揺らぐ視界に映ったのは、見慣れない汚い天井。
ヒトラーは怪訝そうな顔をした。
一体此処は何処だ、と思う。
霞む思考の中、自分が何をしていたのかを思い返した。
そう、任務の途中だった。
夜鷲と雪狼の合同任務。
ヒトラーは統率官でありながら、自身も良く任務に赴く騎士だった。
というのも、彼の性格ゆえ。
仲間を率いて、指示を出したりするのは勿論得意なのだが、
それ以上に自分も皆のために動きたいと思うたちなのである。
だから、今日もこうして雪狼との合同任務に赴いていた。
二人一組で護衛につく任務。
ヒトラーは雪狼の騎士のなかでも相性がいいフィアと一緒にいた。
それで、屋敷の廊下で警備の任務に当たっていて……
その途中で、何者かに昏倒させられた。
そこまで思い出したとき。
「目が覚めたか?」
不意に聞きなれない声がした。
それは、ヒトラーが意識を失う前に聞いた声と同じ。
恐らく、自分を拐った人間だろうとヒトラーは思う。
大丈夫か、と覗き込んできたのは貴族風の男。
覗き込んでくる見慣れぬ男の顔に、ヒトラーは不快そうな顔をした。
体を起こそうとしたのだが、両腕は後ろで縛られ、身動きがとれない。
軽く体を捻りながら、どうにか体を起こした。
「……誰だ貴様は」
低い声でヒトラーは問いかける。
容姿が容姿であるため、多少凄んだ位では相手を怯ませられない。
男はおや、という顔をしたあと笑った。
「今回の任務を依頼した人間だよ……
あぁ、君は白い制服じゃないから知らないか」
白い制服……恐らく、ディアロ城の騎士のことを示しているのだろう。
任務の打ち合わせはルカたち……雪狼の騎士がしていた。
ヒトラーが面識がないのも、納得がいく。
「……なるほど、元々騎士をこうしてとらえるのが目的か」
「あぁ。この国の騎士は見目が良いのが多いからな……」
男は悪びれもせず、それを肯定した。
ヒトラーは溜め息をはく。
救いようがないな、と。
そういう趣味の人間が多いことは知っている。
こういう人間が存在することはわかっていた。
時折、任務に託つけて騎士に手を出そうとする貴族がいることも。
けれど、自分の腕を縛る縄が魔力を封じるものでないことに気づいてほっとした。
これならばタイミングを見て、外すことが出来るだろう。
恐らく、ヒトラーがディアロ城の騎士出ないため、情報が入っていないのだろう。
―― ヒトラーも特殊魔術の使い手だと言うことを。
さて、とヒトラーは計画を巡らせた。
このままおとなしく手を出されるのは真っ平ごめんだ。
それ以前……
もうひとつ、解決しなければならない問題がある。
自分と一緒にいた"彼女"のことだ。
「……私と一緒にいた騎士は何処にいる」
ヒトラーは相手の男を睨みながらそういった。
男は肩を竦めて、笑う。
「さぁ、な」
やはり素直に言うつもりはないな、とヒトラーは思う。
素直に言うくらいならば、元々引き離したりはしないだろう。
二人でペアを組んでいたと言う時点で共闘が得意ということは想像がつく。
それならば引き離しておいた方が得策と思ったのだろう。
少し迷ってから、ヒトラーはまっすぐに男の目を見据える。
―― 読心術。
ヒトラーは精神系の魔術が得意だ。
こうして、他人の思考を読むこともできる。
じ、と男の目を見つめれば頭のなかにイメージが伝わってきた。
男が怪訝そうな顔をして見つめ返してきたのがよかった。
怪しまれもせずに、術を使うことが出来る。
あまり頭が良い組織でないことはわかった。
今ヒトラーがいる部屋から、いくつか隣……そこに、気配を感じた。
弱っていたり、嬲られていたりする様子はない。
その事実を感じ取って、ヒトラーは少し安心した。
「……なるほど」
この手の魔術は体への負担も少々大きい。
少し乱れた魔力を整えると、ヒトラーは素早く回りにいる人間をカウントした。
四人。
これくらいならば、何とかなるだろう。
……否、なんとかならないとしても何とかしなければ、とヒトラーは思っていた。
彼らはヒトラーとフィアを男と思って拐っている。
しかし、フィアは男ではない。
その事は、騎士団内でも隠されていることだ。
本人だって、知られたくないだろう。
あまり他人を傷つけることは好きではない。
けれど、仲間を助けるのが優先だ。
ヒトラーはそう思うと、悪魔属性の魔術を使った。
放たれる、黒い魔力。
不意な反撃に男たちは完全に動揺していた。
「っ!?な、何……」
「相手のことはもう少ししっかり調べるべきだったな……」
ヒトラーはそう呟く。
空色だった瞳が紅色に変わった。
ヒトラーの魔力は強力だ。
少し放っただけでも彼の手を縛りあげていた縄は切れ、
周囲にいた男たちが地面に倒れふした。
ヒトラーは縄が食い込んでいた手首を軽く擦って、男たちを一瞥する。
この様子ならばまだ暫くは動けまい。
あとから応援を呼べばいい、と判断する
ヒトラーは先刻敵の心を読んで見つけた部屋へ向かった。
すぐにその部屋にはたどり着いたドアには鍵がかかっている。
魔力封じの気配を感じた。
それから判断するにフィアが天使属性魔術の使い手であることはつかんでいたと見える。
軽く体当たりをするが、非力なヒトラーでは上手く開けられない。
どうしたものか、と悩んだとき。
「誰だ……?」
室内から、怪訝そうな声が聞こえた。
それは勿論、一緒にいた少年……フィアで。
ヒトラーは小さく息を吸うといった。
「私だ」
「!ヒトラー様、ご無事でしたか」
ほっとした声。
きっと彼も姿が見えないヒトラーのことを心配していたのだろう。
ヒトラーもフィアの声が案外元気そうで安心した顔をする。
そして、彼にいった。
「フィア、今から扉を壊す。
私の力では物理的に開けることは出来ないから、魔術を使う……
お前に影響が出ないように気を付けるが、念のために極力離れていてくれ」
先程の読心術や男たちへの攻撃で既に疲れているし、
何よりフィアが天使であるために悪魔属性魔術はあまり使いたくはないが、
炎にトラウマがあるフィアの目の前で部屋を火の海にするわけにはいかない。
フィアが"わかりました"と答える。
それについで、移動する気配を感じた。
「部屋の一番隅までいきました」
「わかった、いくぞ」
ヒトラーは扉に手を当てると、一瞬だけ強い魔力を放った。
ばきばきっとおとがして、鍵が壊れる。
ヒトラーはドアを開けて、室内に入った。
部屋の隅にいる、亜麻色の髪の少年……
「フィア、大丈夫か……?」
「え、えぇ。この枷が邪魔で身動きがとれなかったのですが……
今のところ、手荒な真似はされていません」
恐らく、用心して先に"普通の人間"のヒトラーに手を出すことにしたのだろう。
もっとも、その予想は外れたのだろうが。
「少し待ってくれ……それを、はずすから」
ヒトラーはそういって、フィアの手首を拘束している枷に手を当てた。
そのまま弱い魔力を当てて、枷を壊す。
からん、と音をたてて落ちた枷。
フィアはほっとした顔をして、ヒトラーを見た。
「ありがとうございます、ヒトラー様……!」
は、っとする。
ヒトラーの体がぐらりと傾いだ。
「ヒトラー様!大丈夫、ですか?」
感じる魔力が少々弱い。
連続で魔術を使ったのが堪えたのだろう。
挙げ句、微妙な調整をしながらだ。
疲れはてて当然と言えば、当然だろう。
フィアは倒れ込んだヒトラーの体を抱き止めた。
すまない、と小さく詫びたが既に意識は虚ろ。
ぼんやりとした紅の瞳がフィアを見上げる。
「眠っていて大丈夫ですよ。あとは、俺やルカたちが何とかします」
フィアがそう答えると、ヒトラーはほっとしたように頷いた。
そしてすぐに目を閉じる。
フィアはそっと彼の前髪を払った。
魔力を消費したためか、少し冷たい彼の体。
無茶をさせてしまったな、と呟いて少し申し訳なさそうな顔をする。
そして、彼の手首に残る縄の痕をみて、少し顔をしかめた。
自分はまるで危険物並の丁寧な扱いをされたのだが、
ヒトラーはずいぶん手荒に扱われたらしい、と理解して怒りを露にする。
ともあれ、今はそれに怒っている場合ではない。
フィアはヒトラーを抱き止めたまま、片手で通信機を引っ張り出した。
そして、この屋敷のどこかを警備しているであろうルカに連絡をいれる。
雇い主が誘拐犯であったこと、自分とヒトラーが拐われたこと、
ヒトラーのお陰で今は無事なこと、ヒトラーが疲れて意識を失っていることを告げた。
ルカはその報告に少々面食らっていたようだが、
すぐに冷静さを取り戻すと、フィアにはヒトラーをつれて帰るよう言い渡した。
了解、と告げてフィアは通信を切る。
小さく息を吐き出して、眠っているヒトラーの手首をそっと撫でた。
「ありがとうございます、ヒトラー様……」
フィアはそう呟いて、手首に軽くキスをおとした。
感謝の意を込めて。
そして、華奢なヒトラーの体を抱き上げる。
身長はヒトラーの方がずっと高いのだが、体重は他の騎士よりずっと軽い。
頑張ればルカを運ぶことも出来るフィアには容易い所業で。
とりあえず、彼を連れて帰ろう。
フィアはそう思って、彼を抱いたまま歩き出した。
フィアの性別を知っている人間が見たら奇妙な光景と思うだろうし、
何よりヒトラーが恥じるだろうな、とは思ったが、
こうしないことには城に戻ることができない。
「さして遠い距離でもないので、ご勘弁を」
眠るヒトラーにそう告げて微笑むと、フィアは星空の下、ゆっくりと歩んでいった。
―― Thank you for… ――
(自分の魔力の限界まで動いて俺を助けてくれた彼)
(目を覚ましたらまたちゃんとお礼を言わせてくださいね)