そんな日もあれば、こんな日もある。
それはまるで波のよう。

「ごめん、その日はちょっと無理」

申し訳なさそうな顔で手を合わせた、ソファに座ってる女。
同じ学校に勤務する同僚で、昔同級生だったこともある。

「あっそォ、んじゃいいわ」

ダメと言われて、なんでだよ。なんて聞くこともない。
じゃあ別の日は、いつならいいんだ、と食い下がる必要もない。
所謂「都合のいい関係」である俺達は
お互いの都合が合えば一緒にいるし
都合が合わないならそこでおしまい。

ちょっと離れたところに甘味処が出来たらしく、一人で行くのもなんとなく憚られたからこいつを誘ってみたってだけで、それ以上の理由はない。
兄弟姉妹を誘うとなると全員連れていかなければいけないし、そうなると父親のミニバンを否が応でも出すことになる。ってことは買い物であちこち連れ回され、大量の荷物を実家に運ぶことになるだろう。そして家のとっ散らかりっぷりに頭を抱え、母親の家事を一通り手伝い、休む暇もなく小さい兄弟の面倒を見たりオトシゴロの姉妹の恋バナに付き合ったり出来の悪い弟の数学を見たりなんだりする。まで未来が見えた。

それが嫌だ、という訳ではない。
俺はいつまでもアイツらの兄ちゃんだし、何歳になっても親父とおふくろの息子だ。
だから、兄ちゃん遊んでと言われたら言い出しっぺが遊び疲れて寝るまで遊んでやりてぇし
実兄あれ買ってと言われたら出来るだけ叶えてやりてぇし
実弥ちょっと洗濯手伝ってもらえん?と言われたら洗濯以外も手伝う気でいる。
そうしてきたし、それが当たり前だった。

だから、かもしれない。
ある日、おふくろにこんなことを言われた。

「実弥。いつまでも私達のこと、気にかけんでいいのよ。自立したんやし、もっと自分のために時間を使いなさい」

その一言に後押しされ、社会人になったと同時に実家を出て一人暮らしを始めた。
とは言え、いきなりひとりぼっちになった時間を存分に楽しめる訳もなく。
そういう意味でもこいつはなにかと都合が良かった。

「ちなみになんのお誘いだったの?」

女の問いに、俺の趣味に付き合ってもらいたかっただけだと返す。
ふーん、そうなんだ。
興味があるんだかないんだか分かんねぇ気の抜けた声。
どうやら俺の趣味より、テレビの方が気になるらしい。
今日、映画見放題のサブスクに加入したと言う話を生徒としていたのだけど、その話を一体どこで耳に入れたのか。
休み時間に「映画見放題のサブスク始めたんでしょ?どんなかんじか見てみたい!」なんてメッセージが俺のケータイにちゃっかり入っていた。

「つーかどんなかんじよ?それ。俺まだなんも見てねぇから分かんねぇんだけど」

晩ごはんの食器をとりあえずシンクに置き、女の隣に座る。
サブスクに加入した際に送られてきたリモコンをカチカチと弄りながら、結構なんでもあるよと教えてくれた。

「うーわ!これ見て懐かしい!中学の時流行ったよね」

画面に映し出されたのは、夕日に照らされる男女の姿。
この画と映画のタイトルにどこか見覚えがあるのは、昔々に観たことがあるからだろうか。

「あー。なんだっけこれ。観たことあるかもしんねェ」

「マジ?一緒に観る?」

「どーせ観たところで恋愛モノに興味ねぇからいいや」

ソファから立ち上がり、台所に向かう。
背後から「なにか手伝おっかー?」と聞かれたので、すぐ終わるからその懐かしい映画でも観とけェ、と、振り向かずに伝える。
台所が居間の方を向いている作りということもあり、映画が始まったのが食器を洗いながらでも見えた。
ついでに明日の米とぎをして、残った春雨サラダを冷蔵庫に入れ、ビールを取り出す。
居間に戻ると、女はクッションを抱きながらすっかり画面に夢中になっていた。
邪魔にならないようにささっとソファに座る。
ソファの背もたれに寄りかかってなんとなく映画に目をやると、回想シーンだろうか、女の声で独白が流れていて、小さな子ども二人が自転車に乗りながら夕焼けに向かって一生懸命漕いでいた。
見始めたばかりなのに興味が全くわかないので、持ってきたビール片手、ケータイを片手に好き勝手ダラけることにする。
変に相手に気を遣わなくていいのも、都合が良かった。

ビールを飲みきり、おかわりしようと立ち上がる。

「なんか飲むかァ?」

俺の問いに、女は画面から目を離さず黙って首を振った。
どうやら今いいところらしい。
再び台所まで歩き、冷蔵庫から二本目を取り出そうとしたところで思い出した。そうだ、洗濯してねェ。
踵を返し、洗面所に向かう。
洗濯籠の中には洗うべきものが山積みになってる。思い出してよかった。
ぽいぽいと衣類を洗濯機の中に入れ、洗剤と柔軟剤を投入。扉を閉めてスタートボタンを押す。
独特の機械音と水の流れる音が響き出してハッとした。もしかしてうるせぇか、コレ?
とは言え、一々気にしてたら何も出来ない。まあいいかと思いつつ、せめて音が小さくなるように洗面所の扉を閉めた。

終わるのに大体30分。ビール二本くらいだろうか。一本しか持ってきていないからタイミングのいい時に持ってくることにする。テレビは占拠されてるから、動画サイトで流行りを追いかけることにしよう。
当たり前なのだが、気を抜いてるとあっという間に生徒と話が噛み合わなくなる。「しなセンそんなことも分からないのー!?」と、何度も何度も生徒からの煽りを受けた。
分かるわけねぇだろ、んなもん。口ではそう言うけれど、やっぱり悔しくて。
そうして見始めた動画サイト。意外と面白くて驚いた。今ってなんでも動画サイトにあるんだなァ。なんて生徒に話したら、そんなの当たり前じゃんと返された。俺が学生だった時を思い出す。そーいやあの頃、エロ本を隠すのに精一杯だったな?

動画を見ながら、ビールを流し込む。
人気の音ハメ動画と、有名曲を歌ってみたってやつと、ついでに筋トレの動画を見る。観たかった動画を一通り観て、身体を伸ばす。満足する頃には映画も中盤に差し掛かっているらしく、女は俺に見向きもしない。
なんだかんだで三本飲んでしまった。立ち上がり、足元がふわふわしている感覚に飲みすぎたかもしれないとぼんやり思った。

空き缶を台所のゴミ箱に捨て、洗濯機の残り時間を確認する。終わるまであと数分の表示。居間に戻るのも面倒くさいので、歯を磨くことにする。
洗面台に二本の歯ブラシ。家族のものではなく、あいつのものだ。それからクレンジングオイル、洗顔フォーム、化粧水、乳液、美容液。これもあいつのもの。家に泊めるようになって、あちこちに女物が増えた。家族を家に呼ぶことがあったらなんて説明しようか。特に妹達はすぐ気付くだろう。そうなった時の言い訳、考えておかねぇとなァ。なんてことを考えていたら、いつの間にか洗濯が終わっていた。
濡れている洗濯物をさくっと干して、歯を磨く。風呂は入ったので後は寝るだけだ。映画に付き合う必要もない。

洗面所から寝室まで一直線。
立ち止まることなく、先寝るぞと伝える。
女からの返事はなかった。

もう一人横たわれる用のスペースを空け、ベッドに入る。暗がりの中でケータイを弄っていると突然睡魔が襲ってきた。
部活の監督で朝早く夜遅い、と言うのもあるが、今週は各学年で小テストが重なり、答案作成と丸つけで忙しかったこともある。生徒の情報漏洩がないように、個人情報を持ち帰る、持ち出すのは禁止となっている。通知表、生徒指導の他、テスト用紙もだ。
必然的に学校にいる時間が長くなる。こうして家でゆっくり出来るのは、久々な気がした。
寝落ちする前にアラームをかける。俺のためじゃなく、あいつのためだったりする。あいつが担当する部活が明日午前練だったはず。午前練の辛さは俺も知っているから、だからこそ朝メシくらい作ってやりたかった。
適当な時間にアラームを設定し、目を閉じた。

---

ベッドが揺れ動いて、柔らかな気配を感じた。
目を開けると、布団に潜り込む最中の女と目が合う。
寝惚けながらも声が出た。脳を通してないから、言葉になってなかったかもしれない。
女の声が耳元でゆらゆら響く。上手に聞き取れなかったのは、意識を手放しかけていたからで。
完全に落ちる前に、壁側に寄ってもう一度スペースを作る。その隙間にすっぽり収まった女からぬるい体温を感じる。じわりじわり、胸の辺りとふくらはぎ付近に熱が集まってきて、それが心地よくて、蕩けそうだ。
おやすみ。そう呟いたら
こだまのように、小さくおやすみと返ってきた。

---

遠くで、アラームの音が聞こえる。
醒めない瞼を無理矢理こじ開け、急いでアラームを止めた。
隣で寝ていた女がもぞりと動き、うーんと唸る。

「ふえぇ、もうそんな時間?」

「悪ィ、起こしちまった。まだ大丈夫だから、もう少し寝てろォ」

俺の一言に、そうすると間延びした声を出しながらごろりと寝返りを打つ。
邪魔にならないように上手くベッドから降り、欠伸をしながら居間を通り過ぎ、台所に立つ。炊飯器はしっかり動いている。予定通りだ。
冷蔵庫を開けて、何を作ろうか考える。と言っても選択肢はほぼないに等しい。手前にあった卵とベーコンを取り出して、朝メシの準備を始めた。溶いて、焼いて、盛り付ける。
これだけだと食事バランスが悪いので、棚からインスタントの味噌汁を取り出した。それから、冷蔵庫にある春雨サラダ。これだけあれば充分だろう。
ダイニングテーブルに自分の分だけ用意して、先に朝メシをいただく。椅子に座る前に、ソファの正面に置いてあるローテーブルからテレビのリモコンを手に取り、テレビをつけた。
映ったのは、映画のエンドロールの一時停止画面。
エンドロールには興味がなかったのか、はたまた体力の限界だったのかは分からない。
何気なく再生ボタンを押すと、聞き覚えのある歌が流れ始めた。

キミの願い ぼくの想い
かけ違って すれ違って
平面宇宙の端っこまで
はなればなれになったって
もう迷わない ずっと忘れない
まるい地球の終着駅で
きっとまた会える

「……あ?」

なんだよ平面宇宙の端っこって。まるい地球の終着駅ってどこにあるんだよ。変な歌詞だな。そう思って、ハッとした。昔、この曲の同じ部分で「変なの」と思った記憶が蘇る。誰が歌ってんだよこれ。気になって調べると、中学の時に大流行したバンドが出したものだった。そういやあいつも「中学の時に流行った映画」って言ってたか。流行ったってことは耳にする機会も多いわけで、だったら聞き覚えもあるわけで。

「懐かしいなァ」

無意識のうちに、そう呟いていた。

---

こころなしか身体が軽いのは、早く寝たからか、それとも昨日してないからか。するかしないかはその場の雰囲気もあるけれど、お互いの気分や残り体力なんかでも決まる気がする。
昨日は完全にそういう雰囲気ではなかったし、俺の体力もほぼゼロだったし、あいつもそんな気分ではなかったのだろう。
出会って即ハメなんてAVタイトルのような日もあれば、こうして健全に過ごす日もある。貪り尽くすように求め合うこともあれば、まるで他人のように一定の距離を保ったまま時が過ぎることもある。俺が先に手を出すこともあるし、あいつから誘ってくることもある。そこに合意があればするし、なければしない。高校時代や大学時代はもっとがっついていた気がする。年齢のせい、と言ったらそれまでだが、大人になった実感もない。好きな子に嫌われたくなくて我慢したり、背伸びしすぎていたあの頃。今はある程度気を遣うことはあるものの、自分の気持ちや相手の態度に振り回されることがほとんどないので、学生時代よりは気が楽だった。もし付き合っていたら、俺達はどんな付き合い方をしていたのだろう。入口まで考えて、やめた。今のこの関係がちょうどいい。

インスタントのコーヒーを淹れている最中に、女がバタバタと起きてくる。

「ヤバいめっちゃ寝てた!」

「まだ間に合うだろ。んな慌てんなァ」

メシは?と聞いたら食べると即答される。
諸々準備をしていると、テレビから映画のエンドロールが流れていることに女が気付いた。

「あれ?実弥ちゃん、映画観てたの?」

「いや。一時停止のとこから観てる」

「観てないじゃん、それ」

「この曲中学ん時に流行ってたよな?」

「流行ってたねー。アホほどカラオケで歌ってた」

「耳に残る曲だけどよォ、変な歌詞ばっかじゃね?平面宇宙の端っことか、まるい地球の終着駅とか」

俺の一言に、女が勢いよく吹き出した。それ、中学の時にも言ってたよ。なんて笑いながら言う。マジかよ、俺の思考ってもしかして中学から変わんねぇってこと?

「よく覚えてんな」

「そりゃ覚えてるでしょ」

「覚えてるわけねぇだろ、んな大昔のこと」

「えーっ、まだ十年前くらいなのに」

「それが大昔だって言ってんだろォ」

「じゃあわたしが教えてる古文なんかもーっと大昔じゃん」

目が合って、二人で笑う。
朝メシを食べながら、他愛のない話をした。
そんな日もあれば、こんな日もある。
波のような、俺達の関係。