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その風をまちわびるH (kmt:風柱)

暗がりの部屋に、小さい灯りがひとつ。
頼りなくとも安心するような色の中で
敷いた布団の上に、男女が正座で向かい合いながら
お互い何も言わずに座っていた。

「……」

「……」

目の前にいらっしゃるのは、この家の主でわたしを雇用してくださってる風柱様。
……とお呼びすると最近は返事をしてくれないので、恐れ多くも下のお名前でお呼びしている。

そんな彼、実弥さん──に、夕餉の後「落ち着いたら俺の部屋に来い」と言われたので
言われた通り、一通り家事を終えてお部屋に向かうと、実弥さんはお布団の上で正座されていた。
わたしもそれに倣って正座をしたのはいいのだけど、ここになぜ呼ばれたのか分からず。もしかして説教かもしれない、と、ここ最近の行動を振り返っている途中で、不意に名前を呼ばれた。

「はい」

「……」

「……?」

なにか、言いあぐねている様子だ。
もしかして、言葉にするのも躊躇われるくらいにどデカいことをしでかしてしまったのだろうか。
思い当たる節がありすぎて、顔から血の気が引く。
もしかしたら暇を言い渡されるかもしれない。

「あの、気付かないうちに粗相や無礼なことをしてしまったのでしょうか」

「は?」

「そうでしたら申し訳ございません。身を引き締め、より一層風柱様のお役に立てるよう」

そこまで言うと待て、と制止される。
しまった、風柱様呼びしてしまったとそこで気付いた。
怒られる。慌てて頭を下げた。

「す、すみません!」

「あ!?なんで急に謝るんだよ」

「いえ、風柱様呼びをしてしまいましたので気分を害されたかと」

「んなの、どうでもいいわァ!待てって言ったのはお前が勘違いしてるからで」

「へっ」

顔を上げる。
困ったように眉を下げ、複雑そうにする実弥さんが映った。

「……お前はよくやってくれてる。役に立たねぇなんて思ったことなんてねぇし、むしろ感謝してる」

「そんな、勿体ないお言葉です」

「それで……」

「……」

「……」

「……」

やはり、いつもと雰囲気が違う。
心配になって顔を覗き込むと、ぷいと逸らされた。

「あー……なんつーか、その」

「……実弥さん?」

「えーと……」

「……お身体の具合が悪いのであれば、もう横になった方が」

「いや、違うんだァ……」

「違うと仰りますが、顔色が悪いように見えますよ」

「いや、具合が悪いわけじゃねぇんだ」

「ではなぜ、そんなに顔が赤いのですか?」

「!?」

ばっと顔を隠される。
もしかして古傷が傷んでいるのでは。
風柱の頃から彼は傷口を自分で処置していたり放置してしまう癖があったので、もしかしたら今回もそれかもしれない。
発熱しているのかと、容態を確認するため手を伸ばすと、勢いよく手首を掴まれた。
冷たい体温に、情けない声が出る。

「ひゃっ」

「あ!悪ィ」

「いえ、こちらこそ情けない声を上げてしまいすみません」

「いや……」

「……あの、手を離していただけますか」

わたしの申し出に、実弥さんは応えてくれなかった。
握られている手に、力が入る。

「……」

「……」

伏し目にくっついている長いまつ毛が、淡い明かりに揺れる。
その姿になんだかドキリとして、喉が詰まった。

「……おい」

「……はい」

握られていた手がそっと離れ、それからわたしの手を優しく包んだ。

「……俺は、老い先短けぇから、だから……お前のこと、碌に幸せにしてやれねぇかもしれねぇけど、それでも俺は、お前と……お前と、夫婦になりてぇと思ってる」

「……え?」

夫婦に?
誰が?誰と?いつ?
実弥さんが祝言を挙げるということ?
誰と?どこで?
というか今、縁談の話とか祝言の話とか、してたっけ?
急展開に、脳が完全停止した。

「す、すみません。聞きそびれてしまったのですが、どなたと夫婦になると?」

「はァ!?お前、聞いてなかったのかよ!」

語気が強めで迫られたので(こ、こわい)正座が崩れて、後ずさる。
実弥さんはわたしを見開いた目で見つめていて、そして顔を覆って大きくため息をついた。

「……そうだよなァ、お前はそういう奴だった」

「?」

覆われた顔から、くつくつと笑い声が聞こえる。
ややあって、目尻をふにゃりと下げた実弥さんがわたしを捉えた。

「……お前を好いてる。だから、俺と夫婦になれ」

「……は、」

「聞こえただろォ?んで、どうなんだよ」

どうなんだよ、と言われても。

「わ、わたしですか?」

「当たり前だろ、他に誰がいんだよ」

「え、あ、えっと、でも、なぜ……?」

それは、単純な疑問だった。
実弥さんは「んー……」と目線を宙に泳がせ、それから「なんでだろうなァ」と、肩を竦めた。

「ただ、お前と一生を添い遂げてぇと思ったんだ」

「一生」

「そりゃそうだろォ。他の男になんざ渡さねぇぞ。ずっと俺の傍にいろ」

「あ……」

いつの間にか距離が縮まっていて、ぼんやりとしていたわたしの手のひらをそっと掬った実弥さんは、そのままわたしの指先に唇を寄せた。
柔らかな熱に、鼓動が早まる。

「……んで、返事はどうなんだよォ」

「ふぇ、」

「夫婦になってくれるよなァ?」

その問いに、正直な気持ちを告げる。

「あ、あの……わたし、夫婦になると言うことがよく分からなくて」

「俺もだ、っつーか、誰だってそうだろうが」

「あの、ご迷惑ばかりかけるかもしれませんし」

「夫婦なんだから気にすんなァ。病める時も健やかなる時もってやつだろォ」

「……こんなわたしで、良いのですか」

「……お前だから、いいんだよ」

ふわりと、匂やかな風がわたしの頬を撫でる。
耳元まで自分の心音が聞こえてきて、なんだか恥ずかしくて、でも、ちゃんと言わなければと思った。

「不死川実弥様」

「……」

「不束者ですが……どうぞよろしくお願いいたします」

「……ん」

刹那、お互いの唇が触れて
そのまま押し倒される。

「あっえっ、あの」

「……いいだろ?」

重なる手のひら。
初めての展開に、喉が鳴る。

「……何も知らない生娘ですが、」

「俺だって……経験があるわけじゃねぇよ。だから、痛いとか怖いとか、もしなんかあったら蹴飛ばしてでも止めてくれ」

「は、はい」

元柱の方を、一端の元隠の女が蹴飛ばすことなんて出来るのだろうか。
そんな有り得ない状況を想像して、思わず口から笑みがこぼれる。
何笑ってんだと、鼻をつつかれた。

***

甘い吐息が滲んで、夜の空気に溶けていく。

「……お前、これ」

隊士の時に負った、肩口から胸元に走っている傷口をするりとなぞられた。
慌てて隠す。

「……すみません、見苦しい身体をお見せしてしまって」

「いつの傷だァ」

いつだったか。
任務で相対した鬼にバッサリ斬られた時の傷跡だ。
その件がキッカケとなってわたしは隊士を辞め、そして隠となったのだった。

「いつかは覚えていませんが、鬼から受けたものです」

「結構深いな」

「はい。出血が酷く、快復したのは奇跡だと蝶屋敷の者に言われました」

「お前も俺も、よく生きてたよなァ」

「ふふ、本当にそうですね」

小さな笑い声が部屋に響く。
この人も、最終決戦で色々あって
わたしも、任務中に色々あって
そんな中で、命だけは落とさなかったのは
本当に、奇跡としか言いようがなかった。

「……この傷、」

首筋に唇が触れる。
くすぐったくて、目を閉じた。

「……俺がもう少し早く、お前の元に戻ってりゃあこんなことに」

それは以前実弥さんと出掛けた時に、変質者に襲われて付けられた刃物の跡だった。
とはいえ、見える位置にあるわけではないので
そんなこともあったなと、しみじみ思い出す。

「……あの時、助けに来て下さって、本当にありがとうございます」

「ああ……もう、誰にもお前を傷付けさせねぇから」

だから、何かあったらすぐ俺を呼べよ。
その一言に、こくりと頷いた。

***

薄く射し込む陽の光に、目が醒める。
身体を起こすと、下腹部に鈍い痛みが走った。
思わず顔をしかめる。

「い、ったぁ……」

昨夜のことが思い出される。
そう言えば、実弥さんとあんなことやこんなことまでしちゃったんだった。
ただ、隣には実弥さんの姿がなくて。
どこに行ったんだろうと、きちんと畳まれていた寝巻きを身にまとい、部屋を出る。

実弥さんは台所に立っていて、朝餉の支度をなさっていた。
暖かくて、いい香りの湯気が広がっている。

「あっ!実弥さん」

「うわ!?お前、大丈夫か!?」

わたしを見るなり、実弥さんは手を止めわたしに駆け寄ってきた。

「朝餉の支度ならわたしがやりますから!」

「何言ってんだ、てめぇの身体を労れェ」

「でも、なんともありません」

「なんともねぇわけねぇだろ」

「大丈夫です」

「んなわけねぇって言ってんだ」

ぐいぐいと追いやられる前にと、前かがみになって草履を履こうとした瞬間
再び、下腹部に痛みが走った。
よろけるわたしを、逞しい腕が支えてくれる。

「いた、……っ」

「おい、大丈夫かよ」

「へ、平気です。少し下腹部に痛みが」

だから言っただろ、と
そのまま膝裏に腕を差し込まれ、ぐんと持ち上げられる。

「ひゃあ!?」

「いいから大人しく寝てろって」

実弥さんはそのままわたしを抱き抱え、寝室へと歩を進めていく。

「そんなっ、でも」

「夫婦なれば、いいことも悪ぃことも全部割るもんだろォ。足りねぇところはお互い補い合えばいい」

「あ、」

夫婦。
そう言えばわたし達、昨夜から夫婦になったんだった。
今まで手の届かなかったようなとてもすごい御人と、まさか夫婦となるなんて。
まだ、実感がわかない。
わかない、けれど。

「実弥さん」

「あ?」

「ありがとう……ございます」

「……気にすんなァ」

寝室に敷きっぱなしの布団にそっと降ろされ、それから痛む下腹部に大きな手のひらがあてがわれた。
仄かに暖かくて、不思議と痛みが和らいでいる気がする。

「さっきまで米といでたからよ、ちっと冷てぇかもしれねぇけど」

「いえ……とても、あたたかいです」

実弥さんの手に、自分のを重ねる。

「なァ」

「はい」

「祝言を挙げる前に、俺ん家の墓前に……夫婦になることを報告してぇんだけど」

断る理由なんてなかった。
勿論ですと答えると、彼は嬉しそうにはにかんだ。
春風が舞い込んで、ふたりを優しく包んで
なんだか満ち足りた気持ちになった。


その風を待ちわびる

fin
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