続・徒然なるままに
【令和阿房列車で行こう 鉄道開通150年記念】第一列車 稚内行<1>用事はなくても汽車に乗りたい - 産経ニュース
2022/10/03 19:24
コメント0


【令和阿房列車で行こう 鉄道開通150年記念】第一列車 稚内行<1>用事はなくても汽車に乗りたい - 産経ニュース

https://www.sankei.com/article/20221001-VZOLMJH6URMCFLRN7MCADOFOXI/



2022/10/1
乗り込んだ新幹線「はやぶさ」。グランクラスに乗ったのは「秘密」




還暦とはよく言ったもので、60歳を過ぎると、どうも子供返りするものらしい。

小学生のころ、何の拍子か鉄道愛好家になった。余計な話だが、大抵の愛好家は、「テッチャン」と気やすく呼ばれるのを何よりも嫌う。ホルモンや蒲鉾(かまぼこ)じゃあるまいし。

一口に愛好家といってもさまざまな宗派がある。列車に乗るだけが喜びの「乗り鉄」、写真を撮るのに夢中になり、しばしば堅気の衆に迷惑をかける「撮り鉄」、時刻表を精読し、スマホの乗り換え案内を凌駕(りょうが)することに命をかける「読み鉄」、俳優の六角精児が広めた「み鉄」などさまざまあるが、当方はもちろん「乗り鉄」である。

そんな「乗り鉄」教の教祖が、内田百?先生である。

昔は、就職面接で「尊敬する人は?」と聞かれるのが定番だったが、迷わず「内田百?先生です」と答えた。「高校の先生?」と問い返されたらしめたもの。先生は教師の呼称だけではない。内定が出たのも同然だ。でも良い子はマネしないでね。1社しか試していないので。

「阿房(あほう)と云うのは、人の思惑に調子を合わせてそう云うだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えてはいない。用事がなければ、どこへも行ってはいけないというわけはない。なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪に行って来ようと思う」 (「特別阿房列車」)

百?先生は、高らかに宣言して敗戦からわずか5年後の昭和25年10月、何にも用はないのに、特急「はと」の一等車に乗って大阪に旅立つ。

当時は、連合国軍総司令部(GHQ)の占領下。戦時中からの食糧難が続いており、駅弁一つ買うにも外食券が必要な時代だった。しかも朝鮮戦争が勃発し、世情も騒がしかっただろうに、そんな野暮(やぼ)な話は一切出てこないのだ。

このとき、百?先生61歳。無性に子供のころから好きだった汽車に乗りたくなったのだろう。その気持ちはよくわかる。

用事はないが、列車に乗りたい。どうしても。しかも、10月14日は、新橋―横浜間に日本初の鉄道が開通して150周年に当たる。当方も還暦で、「コラムニスト」という称号をもらいながらブラブラしている。湯布院の兄貴(本当の兄ではありません)からも「そろそろ本業に身を入れたらどうか」と訓戒を垂れられた。それもそうだ。

そこで、令和の御世に「阿房列車」を復活させたい、タイトルは「似非(えせ)阿房列車で行こう」でどうか、と三角編集局長に提案した。なお、先生の旅に付き従う平山三郎氏を「ヒマラヤ山系」君ともじった阿房列車の顰(ひそみ)に倣って、本連載の登場人物は仮名とした。念のため。

「いいでしょう」と、あっさりOKが出た。「でもタイトルはいただけませんな」。というわけで、「令和―」と相成ったわけだが、彼はどうやら本家を読んでいなかったらしい。

百?先生は、一等車を偏愛しており、「令和―」も一等車に乗らねばならぬ。昭和35年に一等車は実質廃止されたが、令和の御世の一等車は、「はやぶさ」などに連結されているグランクラスである。料金は高いが、聞かれないことは黙っているのが一番。経費精算を見て、目を三角にしても後の祭り。

9月某日、はやぶさに乗って威風堂々、稚内まで出かけることにした。(乾正人)

 

【プロフィル】内田百?

うちだ・ひゃっけん 本名・内田栄造。明治22年、岡山市生まれ。昭和46年没。東京帝国大学独文科に学び、夏目漱石の門下に。海軍機関学校、法政大学教授を経て昭和9年から文筆業に。随筆の名手で、主な作品に「冥途」「旅順入城式」「百鬼園随筆」など。「阿房列車」シリーズは、新潮文庫で読める。







↓↓↓







【令和阿房列車で行こう 鉄道開通150年記念】第一列車 稚内行<2>グランクラスはこの世の天国 - 産経ニュース

https://www.sankei.com/article/20221002-RBYF6ZHPZZLTRCVDBOFSRRTKGM/



2022/10/2
「はやぶさ」のグランクラス。意外にも混んでいた


我が敬愛する内田百?先生は一等車を偏愛した、とは前回書いたが、料金はべらぼうに高かった。

当時、客車の等級は一等から三等(現在の普通車)まであり、一等料金は三等の3倍もした。新幹線の普通車で東京から新大阪まで行けば、片道1万4720円(通常期)だから、一等で往復すれば、今の感覚なら9万円近くかかる勘定になる。

当時の一等車マイテ39は、今や車齢92歳。さいたま市の鉄道博物館に保存されているが、外国人観光客を意識した「桃山式」と呼ばれる和風のぜいたくな造りで、「3倍」の価値はある。その姉妹車両であるマイテ49も京都鉄道博物館での保存が決まったそうで、喜ばしい。ぜひ一度ご覧いただきたい。

実際の百?先生は、帰りに二等車を使って経費を浮かせたが、大阪で旅館に泊まり、酒をしこたま召されたので10万円超(もちろん現在の貨幣価値)、お供の「ヒマラヤ山系」君の分も合わせると、正味1日半汽車に乗り、酒を(の)んだだけで20万円以上かかった計算になる。

この旅費を百?先生は、お得意の錬金術で用立てるのだが、その話は追々(おいおい)するとして。

さて、現代の一等車ともいえるグランクラスに乗って東京から新函館北斗まで行けば、いくらかかるのか。

距離は新大阪までの約1・5倍だから普通車でも2万3430円する。昔の一等車なら約7万円かかるところだが、グランクラスなら3万9320円。飛行機の普通料金より少し高い。

というわけで、函館まで行くなら、日本最北端の駅・稚内まで足を延ばそう。

朝早く東京を発(た)てば、飛行機に乗らなくてもその日のうちに稚内に着けるのだが、札幌以北は夜になるので、景色が見られず、もったいない。

札幌で1泊して、翌日早朝の特急「宗谷」に乗ることにしてまずは、グランクラスの指定券をとろう。

百?先生は、午後0時半東京発の特急「はと」に乗るために当日朝、切符を買おうとしたら満席で、慌てて駅長室に駆け込み、事なきを得たのだが、その轍(てつ)は踏むまい。

東日本大震災の直前、E5系「はやぶさ」に登場したグランクラスは、本革シートの1人席と2人席の1列3席、計18席しか席がないが、平日の木曜日なら大丈夫だろう。外国人観光客はまだ少ないし、新型コロナウイルス禍も第7波真っただ中だしと、タカをくくっていたら、アニハカランや。

2日前に新宿駅みどりの窓口へ出向くと、「良かったですね。あと2席あります」と言われ、世の中には暇人が多いもんだと驚いた(自分のことは棚に上げて)。

いずれにしても9月某日、午前8時20分東京発、はやぶさ7号10号車5Cの指定席が手に入った。

あとは寝過ごさないだけだ。前日は、「出発前に一杯奢(おご)るよ」という湯布院兄貴の甘いささやきを断固として断り、さっさと家に帰った。

何しろグランクラスは、酒みにとっても「この世の天国」なのである。前夜に安酒をんで二日酔いで乗り込んでは、絶対にいけない。なぜ、天国なんだって? それは明日、詳しくお知らせします。(乾正人)







↓↓↓






【令和阿房列車で行こう 鉄道開通150年記念】第一列車 稚内行<3>「軽食は?」召し上がりますとも - 産経ニュース

https://www.sankei.com/article/20221003-BDUL4KVAINJELEWFM6Z7ZOWLJQ/



2022/10/3
百?先生も乗った「マイテ49形客車」。ただしマイテ49は「つばめ」ではなく「はと」に使われた

 

なぜ、グランクラスが、酒(の)みにとって天国なのか。

それをお知らせするまでには、たっぷりと時間がある。

9月15日、乗車する「はやぶさ7号」は午前8時20分の発車なのに、40分も前に東京駅に着いてしまったのだ。

働く時間が惜しくて、いつもは会議の5分前にしか出社しないのに、我ながら小学生の遠足のようだ。これも還暦効果か。普通なら駅ナカの店舗で、じっくり駅弁を選ぶところだが、午前8時前とあってほとんどの店が閉まっている。しかもグランクラスでは、軽食が出るので朝は、駅弁を買う必要がない(昼でも思案するところだ)。

すぐ新幹線ホームの待合室へ行ってもいいが、それでは旅慣れないオジサンだ。

「はやぶさ7号」は8時7分、21番線に入線するが、仙台発東京行き「はやぶさ2号」の折り返し運用(車内清掃に時間がかかる)なので、3分ほど前にしか車内に入れない。

内田百?先生は、特急にしても急行にしても出発時間のはるか前に東京駅の歩廊に着き、先頭の電気機関車からゆっくり1両ずつ見分し、最後部の一等車に乗り込むのを常としていたが、令和阿房列車でそんな悠長なことをしていたら確実に乗り遅れてしまう。

目の前にご馳走(ちそう)をぶら下げられて車内に入れないのは、人倫に反する。というわけで、コーヒーでも飲もうと駅構内をぶらり散策したのだが、わずかに開いていた店は、どこも通勤・ビジネス客でいっぱい。旅立ちの昂(たか)ぶりを静めてくれる場所がない。

ビューゴールドプラスカードを持っていれば、八重洲口にラウンジがあるのだが、午前8時からで、しかもゴールドカードを持ち合わせていない(持っていても使えるのは、原則グリーン車利用客のみ)。

朝から文句を言っても始まらないので、21番ホームへ。

JR東日本の新幹線ホームは、2面4ホームしかない。その4つのホームに東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸の6新幹線がとっかえ、ひっかえやってきては、最短12分で折り返して発車する。

先ほど、車内清掃に時間がかかる、と書いたが、清掃員さんたちの手際は素晴らしく、たった7分間でゴミを拾い、窓を拭き、シートを転換してモップもかける。神業と言っても過言ではないが、その7分間さえもどかしい。掃除は(するのではなく、されるのは)大好きなのだが、もうそのあたりでいいですよ、と声をかけたくなった。

ようやく待ちに待った扉が静かに開き、アテンダントのお姉さんに笑顔で招じ入れられた。

二人掛け座席の窓際で、本革シートの具合も申し分ない。

もし通路側に妙齢の女性が座れば、「窓際と代わりましょうか」と紳士然と申し出る腹づもりだったが、杞憂(きゆう)に終わった。後で聞くと、乗車時はコロナ対策のため3分の2程度しか発券していなかったのだとか。みどりの窓口氏が「良かったですね」と言った意味がようやく分かった。早く言ってよ。

定時に出発した「はやぶさ」はあっという間に上野を通過し、アテンダントが「軽食は召し上がりますか」と尋ねる。

召し上がりますとも。そのために朝食を抜いたのだから。

さて、それにどんな酒をあわせるか。続きはまた明日(乾正人)















*新しい 古い#


TOPに戻る

-エムブロ-