自殺

9月1日は小中学生が一番自殺する日らしいです。うちの児童館の子はみんな元気そうなので心配はないですが、最寄り駅の隣駅で人身事故があり、やっぱり他人事ではないと感じました。

わたしも中学・高校は「死にたい」って思ってました。20歳までには死んでやる、生きてるの辛いって毎日毎日引きずるように生きていました。そこから不眠症を発症するも、兄と妹のことでいっぱいいっぱいで、共働きで忙しい親には心配をかけたくなくてずっと言えませんでした。

中学で一度保健室でずる休みしたとき、保健室の先生がわたしに簡単な心理検査をしました。そのときわたしは、なんか勘繰られてる、と防衛してしまい、心理検査もなにもでませんでした。
あのとき何かsosを出せていたら、あのとき先生がもう少し突っ込んでわたしの話を聞いてくれてたら、といまになってから思いますが、あの頃の自分は何で悩んでて何で困ってるのか、上手く伝えられなかったと思います。

不登校になっていたかもしれない。
むしろあのとき学校をやすんでいたら、いまのわたしとなにか違っていたかもしれない。いいカウンセラーに出逢ったり、フリースクールや適応指導教室にいったり。選択肢はどれだけでもあるし、立ち止まっていたほうがもっと豊かに生きれたんじゃないか。いまも不眠症でうつ傾向なわたしは本当にそう思います。もっと早く誰かに打ち明けたり、大人に助けられていたら、もっと早く治って元気にやれてたんじゃないか。

病んでた親友のため、発達障害の妹をもって悩んだ経験などから臨床心理士を目指しましたが、結局は昔のわたしのように、誰に相談していいかわからず悩んでる子どもたちの力になりたいという気持ちが一番の理由だったんだと思います。

生き方は色々ある。学校に足が向かない子を受け入れる鎌倉市図書館が話題になっているように、受け皿がもっともっとできてほしいし、社会ももっと広い心と視野で子どもたちをみてほしい。

もっともっと誰かのsosに気づいてあげられる人が増えるといい。

大学時代、4月・9月に増える人身事故。電車通学の子たちは「またかよ、めんどくさいな」と駅で口々に言ったけれど、わたしには違和感しかなかった。

<めんどくさいな?>それで片付けてしまっていいの?

わたしは、今日電車に飛び込んだ人は、どんな気持ちだったんだろう。どんな人生だったのだろう。
それを考え続ける人間でありたい。