話題:ひとりごと
久しぶりに帰省して、地元の中学校に行く用事があった。
中学の時にお世話になった先生に偶然会って、驚いた。
若くて綺麗だった先生が、少し大人の美しい先生にクラスチェンジしていた。
先生から、俺はどう見えただろう。
久しぶりに恩師に会って、高校の時に一番
好きだった先生にも会いたくなった。
数年前、退職の年の離任式の時にお会いして以来
何も音沙汰がない。
メールアドレスをもらったはずが、どこかになくしてしまった。
お元気でいるだろうか。
会おうとか、繋がろうと強く意思すれば
いつでもそうできる相手だからこそ
そのままに何年も経ってしまったなと振り返る。
桜が好きだと言っていた。
東京の桜が。
今年の春、桜が咲いたら、
手紙でも書いてみよう。
僕は元気です。
先生の言う通り、東京は桜が美しいです。
先生はお元気ですか、と。
13歳と14歳と15歳は、それぞれ全く別の生き物で、
それぞれの難しさを独りで40人弱抱えて
過不足なく付き合うよう求められる中学の先生は
大変な仕事だ。
中学の先生だけでなく、人に何かを教える
仕事をしている人はみんなそうだったのかもしれない。
つまらなそうにしている彼や彼女にとって
今はつまらなくてもいずれ大切になるはずの
何かを、離さないようにと教える難しさ。
そのつまらなさを知ってるよ、つまらないよね、
という態度も、
わからなくても良いからやるだけやりなさい
という姿勢も、
きっと正解ではないとき、
どう導くことができるだろう。
中学生の頃の自分は
何をどんな風に教えてほしかっただろう。
覚えていられるはずと思った大切な何かも
覚えていられるはずだと思うだけ簡単に
そのまま何年も経ってしまう。
忘れてしまうくらいだから、大事じゃなかった
なんてことはきっとない。
忘れたくなかったはずの何か。
その時々一生懸命に
そばにあるのに、それと気づかず探し続けた
見つけた、と安心してる内になくした何か。
似たようなものがあった気がする。
通るときは閉まって、通らないときには閉まるもの
これは踏み切りか。
そしてちょっと違うな。
普段見えないけど、無くなると困るもの
空気?
なんてことを、ずっと考えた1日の最後に
家族と食べる晩御飯
美味しいんだよね。