スポンサーサイト



この広告は30日以上更新がないブログに表示されます。

椿寿忌(ちんじゅき)


高浜虚子


俳人には、何故か椿を愛好するひとが多いようである。
そのひとりが高浜虚子。

これはずっと昔の、大正時代のことだが、「ホトトギス」の誌友の間で、椿の句を出すと、虚子先生は必ず採ってくれる、というあらぬ噂が立ったことがあるそうだ。
ことの真偽は別として、虚子は生涯椿を好んだようである。

したがって4月8日の命日を虚子忌とは別に、椿寿忌という。


ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に
虚子


虚子は、俳句の基本として終生写生を唱導したが、俳句の写生とは、いってみれば省略のこと。

写生の成功作は、すべて省略した部分を表に見せない。余情として作品のうしろにひそむ。

一見、見たまま感じたままを素直に表現しているように見えるが、百といい三百という数字の把握には、まこと幻妙の働きがある。
読み終わった途端に、深紅の紅椿が瞼に溢れんばかり。
しかもここには、他の花を想像させない迫真の選択がある。


春の木と書いて『椿』と読む。この字は日本で作られた。

早春の椿の花に巡る季節を感じる、日本ならではの発想である。

前の記事へ 次の記事へ