*まとめ*



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 小部屋に作り付けられた窓からは、眩しいばかりの朝陽が燦々と差し込んでいる。その朝陽に照らされた少年の白い頬を見ていた桂が、不意にポツリと呟いた。

「今日で新八くんが意識不明になってから三日目……か」

 半ば穏やかな表情で懇々と眠り続ける新八とは対照的に、新八の枕元に座する桂の表情は暗い。それもその筈で、既に今日がリミットの三日目を迎えたのだから尚更だった。
 新八が意識不明となってから、今日で三日目を迎える。それすなわち、新八をこの山城から離れた病院に担ぎ込む、との約束を医師と交わした期日が来たと言う事である。ずっと目覚めぬ新八をこのまま、この戦の前線に置いてはおけぬ。このままにしていていいはずがない。
 だけれど、そうやって新八がこの場から離れると言うことは何を意味するのか。

 今この場に居る桂も銀時も、坂本も高杉も、誰も何も言わぬが……各々の胸にはひしひしと迫り来る“その時”への覚悟や、抑えきれぬ想いが満ち満ちていた。

 そんな想いを一手に受けるように、桂が重々しいため息を吐く。新八が昏睡状態に陥ってからずっとこの部屋に詰め、ろくろく睡眠も取らずにいた男達を諌めるように。

 「高杉……そして銀時。新八くんが目覚めぬまま三日経ったということは、お前達がこの部屋に詰めてからもう三日にもなったという証でもあるぞ。お前達、三日前に戦が終わってからほとんど眠っていないだろう?そろそろ限界だ。お前達も……新八くんもな」

 高杉と銀時の顔を見るが、二人は特に何も言わなかった。だがその目の下に刻まれたくまや、良いとは言い難い顔色を見ていれば、二人が睡眠すらろくに取っていない事がありありと分かる。分かるから、桂だとてもう決断せざるを得なかった。

「……新八くんを、町の病院に運ぼう。他の志士の面々に話して、力を借りるんだ」

そう言って、宥めるように高杉の肩に手を置く。高杉は桂の手を振り払いもせず、だけれど目線は新八の寝顔に固定されたままだ。虚ろにも見える翠の瞳は昏く濁り、うんともすんとも言わぬ。
 坂本はそんな戦友達を見るに見兼ねたのか、心配気な眼差しで高杉を窺う。

「……大丈夫じゃ、高杉。もう向こうの病院にはわしが話を付けてあるきに。新八くんはもう三日も何も口にしとらん。医療の整った施設に移して、点滴なり受けた方が絶対にいい。おまんも分かっちゅうがや」

 坂本の穏やかな言葉に促され、頷いた桂は新八の身体に掛かった布団を捲る。そして新八の身体をそうっと起こしかけた。

「さあ……高杉。もういいだろう。新八くんを……」
「新八に触んじゃねェ」

 だけれど、次の瞬間には高杉の手がそれを払う。容赦なくバシッと振り払われた桂を見て、しかしいきり立ったのは当の桂ではなく、傍らにいた坂本の方だった。
 高杉の着流しの胸元をぐわしと掴み、間近で怒鳴る。

「高杉っ!!おまんはまっこと……この分からず屋が!おまんだけじゃない、銀時もヅラもどんだけ我慢しゆうと思っちょる!?限度位わきまえいや!」
「っ……離しやがれ」

 いつだって高笑いをしている筈の陽気な男がブチかました、真剣な怒声。高杉の胸倉を掴み締める手に血管が浮かぶほどの痛切なその力。なのに高杉はギリッと唇を噛み締め、坂本の手を強引に払っただけだ。
 
「新八くんを本当に死なせる気か!わしらの近くに置いとけば、必ずまた新八くんは戦に巻き込まれるんじゃ!その時になって新八くんが動けん、目が覚めんなら、誰が新八くんを護る!?」

 振り払われた坂本は全く動じず、懇々と続けた。その言葉は今まで誰もが言い掛け、飲み込んできた言葉そのものである。誰もが懸念したが、懸念するが故に口にできなかったものだった。
どれだけ大事でも、どれだけ絆が深かろうとも、この戦場に植物状態の人間を置いておける筈はないのだと。

 しかし坂本の憤りを鎮めるように、高杉と坂本の間に突然すいっと割り入ってきたのは銀時だった。静かに両者の顔を見てから、最後は新八に目を止めて。

「俺が護るよ。新八が一生このままでも、俺は新八を護る」

 静かだがきっぱりと言い切ったその声と、銀時の真っ直ぐな瞳には、いくら桂だとて動揺と驚きを隠せない。

「銀時……お前よもや」
「うん。俺が新八を病院に運ぶわ、ヅラ。あとの事は任せたからな」
「お前はまさか、そのまま前線から遠のくつもりか?」
「ああ。だって仕方ねーだろ。新八を独りにできねえ……したくねーんだよ。新八と離れたくねえ」

 桂は焦りを浮かべながら銀時を見やるが、もう銀時を止められなかった。
 しかし銀時の表情は平静に凪いで、ごく静かなものだ。怒声を上げるでもなく、焦っている訳でも何でもない。だからこそ、もう己の考えを変える事は銀時にはないのだと誰もが分かった。理解した。

 だいたいにして、決意を固め切った銀時を止められる者などここには誰も居ないのである。

「だから……もういいだろ、高杉。新八から手ェ離せよ」

 銀時は呟く。そして、いつの間にか布団からはみ出た新八の手を掴んでいた高杉に言及した。だれけど、高杉は新八の手を放さなかった。いや──放せなかったのだ。

「ふざけるな。コイツは……新八は、」

話しながら、新八の手をぎゅうぅと握る。己の手を握り返してくれる事はないが、新八の手は暖かった。

高杉の手を握り、こっそりと指を繋いで、時には高杉をそうっと抱き寄せ、高杉の怪我を必死に手当てしていた、新八の手。
最後は崩れ行く崖から高杉を突き飛ばし、高杉を護ったその手を、高杉はどうしても放せなかった。


 銀時は高杉の気持ちが分かるのか、ふうと軽いため息を吐く。

「てめえにはまだやる事があんだろ。この戦場で鬼兵隊動かしてけよ。鬼兵隊の総督はてめえにしか勤まらねェ」

 銀時の声は穏やかで、どこかに優しさすらあった。いつもの銀時らしくない声音。なのに高杉は、だからこそ今は銀時の目を見ることができない。

「俺ァ……このまま新八の近くに居る。俺にしかできねェ、俺にしか言えねえ言葉を、まだコイツに伝えてねェ」

 できない代わりに、新八の手を再度ぎゅうぅと握った。暖かな手を握って新八の顔を見ると、少し、ほんの少しだが……新八の瞼がピクと動いたような気さえする。

それが己の勘違いでもいい、今は。今だけは。

「まだ言えてねェんだよ。邪魔すんな、クソ銀時」


 新八に伝えたい想いがある。新八に伝えたくて、伝えられなくて苦しみ悩んだ気持ちがある。だから。


(目ェ覚ませクソガキ。俺を放っておける筈がねえとテメェが俺に言っただろうが……誓ったじゃねえか。俺を置いていくんじゃねェ)

高杉は神も仏も信じていない。元よりそんなものに頼らずとも、高杉は己の剣を信じている。己に剣と侍が何たるかを教えてくれた師こそを、まず信じている。
だが今だけは必死に祈った。何でもいいからコイツを助けろと。

(今度こそ俺を地獄に落としていい。俺の魂なんざ鬼にでも悪魔にでもくれてやる。俺がおっ死んだ後は好きにしやがれ。だから……コイツは)

 新八がこのままで目覚めずにいて、いい訳がない。高杉の気持ちを聞かぬまま、それに返事を寄越さぬまま、こうして眠り続けていていいはずがない。
 だって新八は自分で言ったのだ。僕がアンタを放っておけるはずがないでしょう、と。

だから高杉もようやく認められたのだ、俺はテメェに惚れていると。



 「うっせーわクソ高杉。何でてめえはこうも聞き分けねーんだよ。ガキの頃から変わんねーなオイ。だから、もうそれが無理だって……」

 高杉の必死な眼差しに何かを思い至ったのか、銀時はまたもため息を吐いていた。ガリガリと頭を掻き、ごく静かに吐き捨てる。
 だが、銀時のけったいな言い分に高杉が食ってかかろうとした時のことだ。



──……さん!高杉さん!


 高杉の耳に“その声”が聞こえてきたのは。




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