*まとめ*





 ──声が聞こえる。




『高杉さん!高杉さん!!』


ああ、これは僕の声だ。高杉さんを呼ぶ声。雨の降りしきる中で……

雨?

そうか、あの時は雨が降っていたんだ。戦の最中だった。高杉さんが僕を助けに来たせいで腕を斬られて、その後に僕が敵を二人倒して……それからどうなったっけ?

僕は考えるが、それから先の事は詳細には思い出せなかった。だって思い出そうにも、今の僕の目の前に広がるのは暗闇ばかりなのだ。塗りつぶされたように真っ暗な視界の中で、僕はさっきから高杉さんの名前を呼んでいる。喉が潰れるほどに声を張り上げて、叫んでいる。

 僕の好きな人。僕が初めて恋をした人の名を。



『…………な、何で答えてくれないの?高杉さん、あの、居ないんですか?』

 だけど、現実は残酷だった。高杉さんは僕に返事をしてくれない。僕が声をひそめた瞬間にしんと静まり返った暗闇が急に怖くなり、お腹の底からじわじわと恐怖が這い上がってくる。ここには高杉さんが居ないのではないか、という恐れが弱い心を満たしていく。

『ぎっ、銀さーん!!銀さん、来て!!来てください、僕はここです、ここに居るんです!!』

 一旦は叫ぶことをやめた僕だが、やっぱり名前を呼ばずにはいられなかった。今度は銀さんの名前を叫ぶ。こうすれば絶対、絶対に銀さんなら来てくれるという確信が僕にはあったのだ。

 銀さんは僕のヒーローだから。



『…………なんで?何でだよ。てかどこだよここ。何で暗いの?高杉さんも居ないの?銀さんも……』


それなのに、やはり現実は世知辛い。てかクソ喰らえだ。高杉さんどころか銀さんの名を呼んでも返ってこない返事に、僕はいよいよ怖くなる。心の底からぞっとする。静かなだけだった筈の無害な暗闇が、唐突に何かの化け物のように思えてきてしまう。
好きな人にもヒーローにも恵まれず、僕はこのまま、この暗闇の中に捕らわれていなきゃならないのだろうか。


『っ、嫌すぎるよそれェェェェェェ!!マジ無理だ!!』


僕は自分の想像に恐慌をきたして、大いにテンパった。テンパったままその辺を走り回って、あらん限りの声でまた高杉さんと銀さんの名を呼んでいた。

『高杉さんっ!銀さんんんん?!ねえ、嘘でしょ!?また僕をからかってイジってるんでしょ!?二人とも居ないんですか!?僕はここですよ!』

 ここに居るよ。ねえ、僕はここですよアンタら。本当は見つけて欲しいんじゃなくて、アンタらのことを見つけたいよ。僕が見つけて、驚かせてあげたい。

 だから、ねえ、お願いですから。


 アンタ達にまた会いたいよ。




『っ……』

 ハアハアと息を吐いて立ち止まる。僕はもう随分長いこと走っていたらしい。それなのに暗闇は延々と続いているのか、壁などの障害物にも少しも身体は掠らず、一筋の光すら射してこない。このままじゃきっと、二人には会えない。
 そう考えた途端、僕は唐突に涙を零していた。


『うぅ……ひっ、ひぐ』

いつもであれば皆がいるから、涙も我慢できる。銀さんにからかわれるのが嫌だから、涙だって飲み込む。高杉さんに意地悪を言われるのが関の山だから、どれだけ涙目になろうと本当には泣きはしない。できるだけだけど、幼子のように涙は見せない。
なのに今の僕ときたら、泣き虫だった子供の頃のように喉を震わせて泣いている。ひぐひぐと喉を鳴らし、“その想像”に恐怖して涙している。

 もう二度と高杉さんにも銀さんにも会えないんじゃないかと思うと、こわくてたまらなかった。それは死ぬことより、ずっとずっと。


『銀さん……高杉さん……』


 再びあてどもなく歩きながら、僕はまた懲りもせずに高杉さんと銀さんを呼ぶ。もはや独り言にも近い。なのに呼ばずにはいられないのだから、僕の心にどれだけあの人らが肉薄しているかという証明のようなものだろう。


でも、その時だった。そうやってあてどもなく彷徨う僕の耳に、確かに聞き慣れた二人の声が届いてきたのは。



『新八!』
『新八ィィィィ!!』

暗闇を切り裂くように、高杉さんと銀さんの声が綺麗にユニゾンして響いてくる。僕はずびっと鼻を啜り上げ、暗闇の中で顔を起こした。キョロキョロと周りを見渡す。

『こっ、ここでーす!!僕はここですよ!高杉さん、銀さん!』

ようやく聞けた二人の声に、僕は盛大に安堵する。盛大に涙も引っ込み、心から安心して叫び返した。僕はここです、と大いにアピールするかのように、その場でぴょんぴょんとジャンプする。

『テメェそこに居んのか。待ってろ今行く』
『おまっ、ちょ、待っとけ新八!!そこでストップな!』

高杉さんと銀さんの声が重なり合って暗闇に響く。ばらばらの口調なのに同じことを言っているのが面白くておかしくて、僕にはちょっぴり変な感じだ。でもいつも喧嘩ばかりしているのに、ここぞという時では必ずやシンクロ率120%を叩き出すのが、高杉さんと銀さんという侍達だった。


 僕の周りにいる、僕の大切な人たち。







 『──死ぬな!』

 すると突然、急に目の前がパアッと開けた。暗闇の黒が終わり、代わりに、眩しいほどの白い光が僕の目を射る。僕の手を引っ張り上げてくれたのは高杉さんだった。隣りには銀さんの姿も見える。
なのに、肝心の僕はちっとも目を開けられないのだ。銀さんに抱かれている感覚は分かるのに、その腕の中の僕は目を覚まさなかった。

『新八!オイ!なあ、俺の声聞こえるか!?』

 銀さんが僕を呼んで、ピシャッと僕の頬を叩く。なのに、僕は目を開けられない。
高杉さんも銀さんも二人してずぶ濡れだし、銀さんに至っては血まみれだ。なのに少しも構わず、二人は必死な目で僕を見て、少しでも雨の当たらない場所へと僕の身体を横たえてくれる。


 雨。



 ……ああ、雨。この雨だったのか。

あの時の戦の最中で降っていたのは。





『何でだよ!……何でこんな、何で新八はてめえなんかを庇って』

 その雨が降りしきる中で、顔を歪めた銀さんが高杉さんを糾弾する。顔を背ける高杉さんの、その左腕に巻かれた包帯。血を吸って赤黒く染まった傷痕。

いや……それは包帯じゃなく、正確には鉢金を捨てたあとの僕の額当てだ。僕が手当てをしたんだ。だって高杉さんこそ、今は酷い怪我をしている。僕を助けに来たせいで、高杉さんは敵に斬られてしまった。
 僕がもう少し強かったら、もう少し上手く立ち回れていたら、きっと高杉さんは斬られていなかった。

 高杉さんは決して僕のせいにしないし、高杉さんの性格では銀さんに到底言えないだろうけど。



 何も言わずにいた高杉さんに業を煮やしたのか、僕を抱きかかえたままの銀さんが高杉さんに食ってかかる。

『──何とか言いやがれ!てめえのせいで新八が、』

 やめて銀さん!そうじゃないんですってば!

 そう言いたい僕なのに、銀さんの腕の中にいる僕は決して目を覚まさない。
 て言うか僕、何でこうまで目を覚まさないんだろう。てか待って……僕は今、なんで“僕”を見てるの?何で目を開けない僕が銀さんに抱えられている図を、当の僕自身が見ているの?

 え、待って待って、これって何?僕が二人いるってこと?これが噂の?これがあの?……ゆ、幽体離脱?

 ねーよ……

 いや、ないと信じたい!僕は僕のためにもッ!!



『……まだ、新八の心臓は動いてる。生きてる……」

そのうち、僕の胸に手を押し付けた高杉さんがポツリと呟いた。
 そそそ、そうですよ高杉さんっ!僕は生きてるの!生きてますよ、幽体離脱とかしてねーよ!少し、ほんの少しだけ今の僕の身体ってば透けてるけどね!

僕が僕自身を見下ろすっていう、絶賛ミラクルな体験中ですけどねェェェェェェ!!??怖えェェェ!!





 結局それから、どっちが桂さんたちを呼びに行くかで揉めた銀さんと高杉さんのすったもんだが起こり、最後は負傷している高杉さんが僕と共に残ることになった。


『新八……テメェ』

去って行く銀さんの背中を見送った後、物言わぬ僕の身体を抱いた高杉さんがポツリと呟く。その声。その表情。

悔しくてやるせなくて、歯痒くて辛くて。全部を複雑にないまぜたような、その。

『何でテメェはいつも……いつも自分を放り出す。何で俺のために、ためらいなく突っ込んでくるんだよ。弱えくせに……ガキのくせに』

押し殺すような声でポツポツと語る高杉さんの横顔を、僕は切ないような想いで見つめていた。

 だって、仕方ないじゃないですか。僕だってよく分かんねーよ。なのに、アンタが死ぬかもって思ったらもう身体が動いてたんだ。後々の自分が幽体離脱をかますことになるとか、こんなミラクル体験をするとか、まさか僕だって思わないですよ。

だってあの時の僕は、アンタが死ぬことの方が、よっぽど怖かったんだ。アンタをなくしたくなかったんだよ。


 高杉さん。



『新八……』

高杉さんがぎゅっと抱きしめた僕の頬に、数滴の雫がポタポタと落ちる。それが決して雨だけでなく高杉さんの涙にも見えるから、僕の心は不意にきゅうぅと切なく痛んだ。


 ねえ、高杉さん。アンタは何でいつも、僕の前では肝心なことを言ってくれないんだろう。いつもいつだって、僕のことなんてさもどうでもいいような素振りで扱うのに。僕のことは常に馬鹿にしてくるし、からかうし、本当に意地悪だらけだし。足りない言葉を補う事もなく、行動は常に傲岸不遜。僕の前ではとんだ俺様オトコだよ。

 なのに、何で今、僕の身体を抱くアンタの腕はそんなに優しいのだろう。
 何でいつも、いつだって、アンタはその不器用な優しさを僕にくれるのだろう。


 力の入らない左腕で、何でそんな風に僕を抱き締めるの?




『死ぬな……』



 ねえ、伝えたいよ。言いたいよ。僕はまだアンタに言わなきゃだめなことがあるんだ。





 僕は、高杉さんが好きなんですって。