*まとめ*



「ヅラがさっきチラッと言ってたみてェに……このまま新八の目が覚めなかったらさ、」
「テメェ……!」

 銀時の話は続く。でも『新八が目覚めなかったら』なんて話に方向が及んだ時には、さすがの高杉も目を見開かざるを得なかった。さっき桂にしたように、咄嗟にきつく銀時を睨み据える。
 睨まれたのを察したのか、銀時はここでようやく面を起こした。高杉を見た後、微かに笑って。

「いや違ェわ、もしもの話だよ。もし、万が一の話。万に一つもねえだろうけど……もしも、それがあったとしたら。いいから聞けよ」

 トン、と人差し指で畳を叩く。いつものふざけた声音とは圧倒的に違う静かな声のトーンに、銀時の真剣な表情が持つその迫力に、知らず高杉は黙り込んでいた。
 銀時の言葉にじっと耳を澄ませる。

「てめえは戦場に残るだろ?高杉には鬼兵隊があるもんな。なら……俺は、新八と生きてく」
「……どういうことだ」

 銀時の声はあまりに静かだった。ふざけているとは到底思い難いそれに、高杉は真顔で問い返すことしかできなかった。

「新八連れて江戸に帰るよ。俺の戦はもう止めだ。俺は……たとえ新八が一生目ェ覚まさなくても、ずっとこいつの近くに居てえ。大切な奴の、すぐ側に」

 ドクン、と高杉の心臓が弾む。
 銀時の口からその決意を聞いたこと。銀時のことだから決意などと大層なものじゃなく、明日の天気を告げるように他愛無い口振りではあったが──それでも。


「テメェ……白夜叉が戦を抜けるだと?この戦争はどうなる?」

 知らず知らずのうちに、高杉はゴクリと唾を飲んでいた。
 鬼兵隊を率いる高杉のみならず、白夜叉と呼ばれる銀時だとて、この攘夷戦争にはなくてはならない存在なのだ。白夜叉の闘いぶりに鼓舞され、他の侍達も士気を高める。銀時は攘夷の軍勢の希望であり旗印であり……それはもう英傑と呼ぶべき存在であるはずだ。

 それに。


「先生は……どうなる」

 そう、自分たちは師の為にこの戦を始めたのではなかったか。師を取り戻さんが為に剣を取り、この世界を変えようと決起したのではなかったか。なのに、銀時はそれを捨てると言う。捨てる覚悟はあるとのたまう。

 高杉はギリッと歯を噛み締めた。おそらくは物凄いような顔で銀時を睨んでいる筈だが、対する銀時は高杉を微かな笑みで見つめるだけだ。
その端々に、高杉の中の“先生”が重なって見えるような不可思議な笑みで。

「松陽も分かってくれるよ。……松陽がさ、新八より自分を選べとか、新八じゃなく自分を助けろとか、俺らにそんなみみっちいこと言うと思うか?」

 銀時も僅かに息を吐く。高杉よりよほど長い時間を松陽と過ごした銀時だからこそ出た、その決意。
 しかし確かに、高杉の知り得る吉田松陽という男なら新八を捨て置いて自分を選べなどと言うはずはなかった。むしろ新八の側にいけ、と願うだろうと思う。思えて仕方なかった。
 あの朗らかで変人で、人離れして強く図太く奔放で、だけど高杉が知る男の中では随一の自由さを有する侍……吉田松陽という師なら。


「……思わねえな。これっぽっちも。だが……」

 従って、高杉も銀時の意見には賛同せざるを得なかった。だが、それとこれとは話が別だ。新八に惚れている事と、新八の為にこの戦を捨て置くこととは、高杉の中では全くの別物なのだ。

 その迷い。戸惑い。新八の為にならこの戦を止めるとまで言える銀時に、己は生涯敵わないのではないかと……あり得ぬ疑いまでふと顔を出す。


「だろ。松陽なら新八を選べって言うよ。必ずな。それに、ここにはてめえが居んだろ?ヅラも居る、辰馬も居る。それなら……俺は新八を独りにしねえ。新八を独りにできねえ」

 銀時は高杉の迷いや苦悩が手に取るように分かるのか、不意ににかっと歯を見せて笑った。いかにも気の置けない風に。

「そうなった時はよ、この戦はてめえらに任せるよ。このクソみてーな戦争に、俺と新八の分まで爪痕残してこいや」
「銀時……」
「だから……って、あーもういいや。この話考えんの止めようぜ。やめやめ、縁起でもねーし」

 最後にもう一回だけにっと笑い、だけど銀時は突如としてブンブンと顔の前で手を振った。突然のそれに、迷いや戸惑い真っ最中の高杉がギョッとする暇もない。


「……お前から言い始めたんじゃねえか」

 だがしかし、銀時がこの話を切り上げた事に高杉は内心ではホッとした。んー、と首をひねる銀時の態度がいつもと至極同じものなので、徐々に高杉もいつもの調子を取り戻す。

「そうだけどさ。実際……俺もよく分かんねえ。てか新八がこんなにずっと黙ってる事なんて、今までなかったろ?」

 しまいには新八を堂々と指差して語る銀時に、呆れ顔を晒すのは高杉だった。

「ああ。なかったな。こいつはいつでもどこでもクソうるせェ。色々と……その、声がでけえ」

 そして何故か含んだ物言いをかます高杉に、胡乱げな眼差しを向けるのも銀時しかいないのだ。

「いや色々って何。まあいいや。新八ってさ、常にくっそうるせーし、ギャーギャー小言言ってきてうぜーしよ。素直なのにクソ生意気なとこもあってさー……でも何かそれも悪くねえっつか……あー分かんね」
「何がだ」
「こんなに黙ってられると、あの小言すら聞きてェって思っちまう自分の神経が分かんねーって話だよ」
「そうか。……確かにな」

 頭をがりがり掻きながら話す銀時に、高杉が追従するように声を返す。そんな高杉と、寝ている新八を交互に見やり、銀時はポツリと呟いた。

「新八は、何でてめえなんかを助けちまったんだろうな」
「知らねえよ。コイツに聞けやクソ銀時」
「聞けるもんなら聞いてるわクソ高杉」

 そして即座に文句をつけてきた高杉に同じように言い返し、ハアァと大きなため息で締め括る。

「……でも何つーか、自分とお前とを土壇場で秤に掛けられるような、器用な奴じゃねーしな。新八も無意識に身体動いてたんだろうな。てめえを助けるためによ」


 『お前を助けるために』。


 他ならぬ銀時の口からそれを聞いて、高杉は心臓に針を刺されたような痛みを不意に覚える。新鮮な痛みだった。鮮烈な感情だった。

「……俺を恨んでんのか」

 押し殺した声で問うと、全くもって平然とした目で見返された。銀時の、いつもの怠惰な眼差しで。

「お前を恨んだくれェで新八が目ェ開けてくれんなら、いくらでも恨むわ。でもそうじゃねーだろ。てめえを助けた新八の行動の意味ってさ」
「……フン」


 銀時の静かな声が、夜の淵に溶けていく。高杉の掠れた吐息も同様に。


高杉と銀時は結局そのまま一睡もせず、白々とした朝が来るまでずっとずっと新八の側にいた。







 翌朝早く、山間の村から呼ばれてきた医者が新八を診察してくれた。

「高いところから落ちたのに、かすり傷などはあるがほぼ無傷。これは……奇跡的な事ですよ。命が無事でよかった」

 枕元に置かれたたらいの水で指を洗いながら、診察を終えた初老の医師はにこやかに告げる。けれど、その笑顔は長くも続かなかった。

「だが、未だに意識は回復しない……このまま少年の意識が戻らないようなら、必ずきちんとした設備のある病院に運ぶように。経口摂取で栄養が摂れないのだから、点滴の必要があります。転落で身体は無事だったが、脳に損傷が出たのかもしれない。詳細な精密検査が必要です」

 新八の枕元に座し、これを聞いていたのは高杉と銀時、桂と坂本の四人だった。ひとまずは四人だけの共有事項とし、新八の負傷は他の誰にも知らされていない。
 だけど、それも時間の問題だろう。特に新八が目覚めぬ場合だ。いつも高杉達の側に居るはずの人物の不在に、しかも長きに渡る不在に、必ずや他のメンツも気付き始める。リミットは三日程か。

 医師は険しい顔を崩さずに告げ行く。

「いいですか。このままの状態で三日が経過したら、必ずや少年を町の病院まで運ぶように」

 しかも、箝口令を敷けるリミットの話だけでなく、新八の体力の問題もある。いかに意識がないとは言え、飲まず食わずで人が永らえられる筈もないのだからして。




 医師が帰った後の小部屋で、誰も話す者は居なかった。皆が皆重く押し黙り、かと言って部屋を出て行ける筈もなく、ただただいたずらに時間ばかりが過ぎ……ていくように思えたが、そこはやはり桂の采配が光るのだ。

「いい加減にせんか、お前たち。ここで皆で押し黙っていたところでどうなる?新八くんが回復するのか?違うだろう。早く自分の持ち場へ戻って行け!」

 新八の布団周りにぞろぞろと集まった男達を一喝する。しかしながら、この一喝が効くのはどうやら坂本だけらしい。「わかったぜよ」などと至極素直に返して出て行く男は別として、残る他二名の不貞腐れ野郎共ときたら。

「絶対ェ嫌だ。ここ居るもん、俺。新八の好きそうないちご100%あたりを読み聞かせしてるからいいよ。放っとけよヅラ」
「俺ァ帰んねえぞ、ヅラ。ここから鬼兵隊に指示を出す。俺の指揮権なら問題ねェ」

「貴様らァァァァァァ!!駄々っ子か!」

 銀時と高杉のテコでも動かぬ様子に、言い出した桂の方が根をあげるのも時間の問題であった。




 時は刻一刻と流れ、新八が負傷してから既に丸一日が過ぎようとしている。昨日とは打って変わって晴れやかな陽射しに見舞われた今日の、赤々とした夕日が小部屋に作りつけられた窓からも射し込んでくる。
 それなのに、未だ新八は目覚めない。このままの状態で明後日になれば、それはもう新八との別れを意味している。新八をこのままにしていていいはずがないからだ。

 新八が目覚めぬのなら、それ相応の設備のある病院に運ばねばならない。だが運んだら終わりではない。新八が居なくなった後……果たして自分たちはどうなるのか。

 その現実は重く、高杉と銀時の肩に潰えぬ迷いを落としていた。


 「本当にいい加減にせんか、高杉。そして銀時。もう丸一日もここに居るだろうが。お前たちが寝ずの番をしていたところで、新八くんがどうにかなる訳じゃないんだ。自分の為すべき事を為せ」

 未だ頑として新八の部屋から動かない高杉と銀時を見るに見兼ねて、桂は幾度目かになる訪問タイムの真っ最中だった。だがそれでハイと素直に首を縦に振る男達が相手なら、桂だとて最初から苦労はしていない。

「俺が今為すべき事なんざ、ここに居ることだけだ。放っとけヅラ、テメェ斬るぞ」
「俺も為すべき事なんてそうはねーよ。てか知らねーよ。今は新八の側に居てえだけだし」

 高杉は血走った目で刀の鍔に指をかけ、銀時もまた、血走った目で桂を睨む。そんな二人の尋常ならざる様子を見て、やれやれと首を振るのは当の桂でしかないのだった。


「……お前たちときたら、全く……」

 しかし桂にどう呆れられようが、どう小言を言われようが、高杉も銀時もここを動く気はなかった。新八の側を離れる気など毛頭起きぬ。


 だから銀時はいちご100%を新八の枕元で延々と読み聞かせ、

「『真中君を好きだったことも、結局想いは実らなかったことも全部感謝できるよ。あたしの中の様々な感情を真中くんのお陰で知ることができたから……』ってオイ、マジ真中クソじゃねーか?何これ、何この展開。今の俺が何で三角関係なんざ読まなきゃなんねーんだよ、このメガネマンコは何考えてんだよ、はよ真中ボコせや」

などといちご100%の19巻、東城綾の名台詞にケチをつけつつページを捲り(謝れ)、

高杉と言えば、襖の向こうに控えた部下に対し、

「次にいつ戦があるかも分からねえ。今回ばかりは勝ったとは言え、ぬかるんじゃねェぞ。気を引き締めていけ。要は……テメェらであとは各々鍛錬しとけ」

顔も見せずに至極偉そうに言いつけているだけであった(こんの面倒臭がりッ)。二人そろって新八の側を片時たりとも離れなかった。




 だけれど、時間は少しも立ち止まってはくれない。そんな風にしていたずらに時間ばかりが過ぎて行くのを運命は嘲笑うように、新八はついに一昼夜どころか、丸二日間も目を覚まさなかったのである。