*まとめ*



 ようやっと新八を城内に運び入れた頃には、既に陽も傾き、辺りには夜の帳が下りていた。雨勢だけは少し衰えを見せていたが、未だ細く降り続く雨は止まない。


 「とりあえず……医者に見せる前に、新八くんの身体を拭き清める必要があるな」

 新八の身体を城内の一室に横たえ、桂は物々しく告げる。新八を寝かせた布団の枕元に座するのは、枕を挟んで銀時と高杉の二人だった。
 部屋に灯された行灯の炎がパチパチと爆ぜている。その仄かな明かりに照らされて尚、目を開けぬ新八の頬は白蝋のように白々とし、薄い瞼の青白さがひどく痛々しかった。

 未だに新八の格好は戦装束のままなので、早急にこれを脱がし、全身の傷の手当てをする為にも清拭の必要がある。雨に濡れたままの着物でいるのも、体温を下げる原因となるだろう。素早い処置が必要なのだ。
 だから銀時はそんな新八をふと見下ろし、次にはもう桂にキッパリと目を向ける。

「うん。綺麗な布とお湯持ってきて、ヅラ。俺に任せろよ」
「オイ……何でテメェが当然のようにその役割を担おうとしてやがる。殺すぞ銀時」

 何故か当然のように物申した銀時をギラリと睨み、高杉がじりっと膝でにじり寄る。ここまで新八を背負って運んできたのは高杉だからして、そして高杉もまた怪我人ではあるのだが、もはやそんな事も言っていられなかった。

 しかし銀時と言えば、高杉から向けられた殺意のような眼差しを気怠く受け止めただけである。

「は?いや別に、だって新八の事だろ?着物脱がして身体拭くだけじゃねーか。俺がするのが早えわ。つーか逆に高杉は何を考えてイキってんの?また何かいやらしいこと考えてんの?あーやだやだ、脱童貞したばっかの野郎ってすぐこれだから」
「…………てめェ……今こそ本格的に殺してやる」

やれやれ顔で首を振る銀時に、当然ながらこめかみに青筋を立てているのは高杉でしかない。

 そして二人してそんな掛け合いを続けていればホラ、

「やめんか貴様ら!こんな時まで喧嘩か!俺がやるに決まっているだろう、不公平がないようにな。こんな時こそ、俺が正確なジャッジメントを下さねばな」

すぐ側に座した桂が、ドンッと拳を畳に落とし、実に真面目くさった顔で高杉と銀時の両名を滔々と叱るのみである。こんな時でも喧嘩に余念のない二人を叱ることを決して止めないのである。
 だから真顔に転じた銀時が、桂の洩らしたセリフの不可解さについて言及してももう遅い。

「いや不公平って何。何でお前にジャッジされてんの俺らは」
「チッ……ヅラなら仕方ねェか」
「えええ仕方ないんだ、それで高杉は納得するんだ」

 何故か渋々と引いていく様子の高杉を見て、桂にならたやすく諌められる高杉を見て、延々とツッコミを入れているのは当の銀時ばかりであった。




 「銀時でも高杉でもいい、綺麗な布とお湯を持って来い。浴衣もな」

 もう既に己の着物の袂を小紐で括ると、桂は新八の着物の前を軽く解く。

「医者は?」

 銀時は問いかけ、未だに目覚めない新八の身体から着物が剥がれるのを見ていた。その白い身体の至る所に傷があるが、それより何より、新八の意識が頑として戻らない事が今は痛ましくてならない。

「動けるものに早馬を出すように頼んだ。明日の朝には来てくれよう。だから、お前たちもそのなりをどうにかしろ。血塗れもいいところだぞ、湯浴みでもしてこい。そして食事を摂ってこい」

 桂はふううとため息を吐き、医者を呼んだ経緯を伝える。
 ここは居城とは違い、典医など居ない無骨な山城。当然の如く自らで自らの傷の手当てをするしかないのだが、それも軽度の怪我にのみ限られている。重傷者や重体のものは軍を離れ、きちんとした設備のある病院まで担ぎ込まねばならない定めだった。
 だけど、桂にこの場を辞すようにとついでのように言われたところで、高杉と銀時が素直にハイと頷く訳がないのだ。


「こんな状況で飯なんざ食えるか」

と高杉がそっぽを向いて言えば、

「そうだよ、飯食ってる気分じゃねーよ。新八の側に居たい」

銀時も即座に答える。二人がこれだから桂だとて、きりきり痛むこめかみを揉みながら、またもお説教に明け暮れざるを得なくなるのだ。

「馬鹿か貴様らは、頭を冷やせ。いいから水でも被ってこい!新八くんの側に居たいのなら、己の身なりくらい正さんか。どこの誰とも知らない馬の骨を斬ってきた血生臭い姿だぞ、病人の側になんて到底置けん。そして己の管理すらできない将に部下が付いてくると思っているのか。いい加減にしろ、銀時も高杉も」
「……わーったよ」

 正論すぎる正論でピシリと一喝されれば、銀時も渋々と頭を掻いて立ち上がった。

「高杉は鬼兵隊の皆に次の行動伝達でもしておけ。多分に今夜は勝利の宴でもあるのだろう」
「……ああ」

 そして、それは高杉だとて同じこと。渋々立ち上がり、本当に嫌々ながら部屋を出て行く高杉と銀時の背中を見送り、桂はまたも物々しくため息を吐いていた。





 一通りの身支度やら簡単な食事を大急ぎで済ませ、またも新八の居る小部屋の前に戻ってきたところで、銀時は高杉と鉢合わせになった。

「寝ねえの?」
「寝られる筈あるか」

 廊下に佇んだまま聞けば、いかにも不機嫌な返事が高杉から返ってくる。
 高杉も湯浴みやらを取り急ぎ終えてきたのか、黒の陣羽織から自前の着流し姿に変わっていた。銀時も今は簡素な作務衣を着て、小部屋に続く襖をスパンと開ける。

 高杉は銀時に続き、黙って部屋に入ってきた。


「鬼兵隊の宴会は?お前は出ねえの?」
「出たくねェ」

 部屋の中に入るなり、またも不機嫌な返事。だからもう銀時は高杉に構わず、部屋の中央に寝かされた新八の布団の傍らに胡座をかいて座る。もう一方には高杉がどっかりと座し、図らずも布団を挟んで二人は対峙する事になった。

 桂が新八の身支度や手当を施したのか、新八の姿も今は簡単な単衣のそれだ。こめかみの傷を覆うように頭に包帯を巻かれ、頬の擦り傷には大きな絆創膏が貼られている。掛け布団をかけられている為に窺えないが、布団を少し捲れば、その手足の至る所にまで包帯が点々と巻かれている事が分かるだろう。

 銀時はそんな新八をしばらく黙って見ていた。高杉もそれは同じらしく、しばし二人の間に会話はなかった。けれど唐突に、ついと顔を上げた銀時が気の無い風に高杉に匙を向ける。

「今回の戦って、てめえが主役みてーなもんじゃね?宴会の花形じゃねーか。いいから出てこいよ」
「ふざけんな。……出られる訳がねェ」

 高杉の返事はやはりにべもなかった。銀時の提案なんてきっぱりと一刀両断にし、あとはただただ新八をじっと見ている。

「……だよなァ」

 新八を見つめるその横顔があまりに痛切で、狂おしい何かが透けている気さえするから、銀時も小さく嘆息するくらいしかできなかった。




 「なあ。お前……新八に凄え惚れてんのな」

 それから小半時も、二人して黙ったままでいただろうか。この部屋に入ってから、否この城に帰ってきてから、高杉がいつもの煙管を一度も吸っていないことにようやく気が付いた瞬間、銀時はついつい思った事を口に出していた。


「……テメェに話す道理はねェよ」

 やはりと言うか、高杉の返事は容赦ない。だから銀時はいつものように高杉をからかうことはせず、もう勝手気ままに話すことにした。敢えて新八の横顔を見つめたままで、ごく静かに。

「高杉ならそう言うと思ったわ。てめえは俺に言う気がねェだろうけど……俺はさ、新八が好きだよ。何つーか、もう軽く自分の片割れみてェな?ツーカーで会話通じるしさ、こいつ俺の面倒ばっか見てるし」

 高杉に初めて、本当に初めて自分の気持ちを吐露した。自分は新八に惚れているのだと。自分の片割れのような気持ちで、新八に接しているのだと。
 新八が好きだと告げた瞬間、高杉がハッと顔を上げ、こちらをじっと見る眼差しに気づく。だけど銀時はまだ新八の顔を見つめたままだ。

「新八が居なきゃ……俺ァ多分もっとロクでもねーよ。もっとロクでもねー生き方しかできねえ。でもこいつが居るから、こいつがそんなんだから……まあ、そんな感じ」

 訥々と話し、ぽりぽりと頭を掻く。
 素直な己の気持ちを話すのは、やはり苦手だ。苦手過ぎる。そしてそれは銀時のみならず、高杉だとて寸分違わず同じだろう。
 

「分かんねェよクソ銀時。まあ……テメェが新八に惚れてるのは知ってたがな」

 銀時の告白を聞いた高杉は、ふっと薄く笑った。そして新八を見つめ続ける銀時の顔を見やる。銀時はまだ顔を上げない。

「うん。でも新八が惚れてんのって、多分……てめえなんだよなァ」

 
 そして吐き出された声に、あの殴り合いがあった夜とは違う、静かな銀時の声に今度こそ高杉は何も言えなくなった。