*まとめ*




 「新八!!」

 見つけた途端に高杉は走り出していた。泥を含んで重くなった川水の抵抗など最早どうでもいいとばかりに突っ切り、ざぶざぶと水を掻き分ける。
 銀時もすぐ高杉の異変に気付いたらしく、高杉の視線の先方向を目掛けて真っ直ぐに突き進んでくる。

「新八ィィィィ!!」

 先程から何度聞いたか知れぬ、銀時の叫び声。新八を呼ぶ声。
 その声を背後に聞きながら、高杉が急ぎ新八の元に駆けつけた時には、新八の身体は水の中に半ば浸かっていた。川縁にある巨岩のすぐ近くに身体を任せている。石のおかげで身体が堰き止められたのか、水流にのって川下まで流されなかったのは不幸中の幸いとも言えようか。

 だけど、新八のその様子。トレードマークである眼鏡なんて崩落の衝撃で簡単にどこかに吹っ飛んだのだろう、裸眼の素顔だ。いかにもぐったりとした様子で力無く目を閉じたその姿に、そして間違いなく新八のこめかみから流れたであろう血の跡筋に、高杉は心からの戦慄を覚えた。

 だって、この光景は先程己がイメージした図と限りなく似ているのだ。

──死。新八が死ぬ、その忌まわしい想像と。



「死ぬな!」

 水の中からザバリと冷たい身体を引き上げ、すぐ近くの川縁に横たえる。銀時もすぐ駆けつけて、すぐさまに新八の身体をその腕に抱いた。
 ピシャッと新八の頬を叩き、銀時が叫ぶ。

「新八!オイ!なあ、俺の声聞こえるか!?」

 大声もいいところだが、新八は目を開けない。ぐったりとしたまま、銀時に抱かれたままで、四肢のどこにも力は入らない。糸が切れた人形のようなその様子に、決して開けられない青白い瞼に、銀時の顔が見る間にさあっと蒼ざめていく。

「っ……ざけんじゃねえ!何で新八がこんな目に遭わなきゃなんねーんだ!」

 それはもはや叫びではなく、咆哮だった。そしてその銀時の咆哮は、紛れもなく高杉に向けられていた。

「何でだよ!……何でこんな、何でてめえなんかを庇って」

 銀時の声が悲痛に濡れる。その怒りも憎悪も、やるせない悲しみも、今だけはまるで己のものかのように高杉は銀時と共有できた。どこまでも近しい自分たちの心の在り方のせいで、辛いほど肉薄に。

けれど、己の不手際を詫びるより何より、高杉にはまだやるべき事がある。



 「……まだ、新八の心臓は動いてる。生きてる……」

 ぐっしょりと濡れた新八の着物の胸に手のひらを押し付け、その鼓動を確かめる。そして呼吸を確かめれば、新八は僅かではあるが息をしている。冷たい身体のどこにも力は入らずとも、目を開けずとも、確かに新八は生きていた。
 ほんの僅かの可能性でも、この生を繋ぎとめることができるなら。ほんの少しでも希望があるのなら、自分はなんでもする。
 だからそうだと分かった瞬間、高杉は迷いなくすっくと立ち上がる。


「ここにいろ、銀時。ヅラと辰馬呼んでくる」

 しかし高杉が言った途端に、銀時ははっしと高杉の右手を掴んだのだ。

「はっ?いや、ならてめえが残れよ。俺がひとっ走り行ってくるわ。その方が早え」
「あ?テメェ何言ってやがる……今は一刻を争う事態だ。俺が行く」

 銀時から胡乱な目で見られ、高杉もまた剣呑な眼差しで応戦する。なのに銀時は高杉の右手を離そうとしない。離すどころか、ぐいと引き、その馬鹿力で無理やりに高杉を座り込ませる。

「一刻を争う事態だから言ってんだろうがバカ。ちったァ頭冷やせや!てめえ今は左腕使えねーんだろ、またどっかで敵と遭遇したらどうすんだよ!闘えんのかよ、確実に勝てんのか」
「勝てる。俺を誰だと思ってやがる」
「いや即答ォォォ!?てめえなんざアホ総督だと思ってるわ!心の底からアホだと思ってるっつーの!てめえが敵と闘えねーから、新八はてめえを庇ったんだろうが!いい加減にしろよ、てめえのエゴにもう新八を巻き込むんじゃねーよ!死ぬ気でてめえを救った新八の気持ちを考えろ!」

 真顔で言い放った高杉を前にしても、銀時は全く引かなかった。むしろ問答無用で叱り飛ばす。無骨すぎるその言葉。だが、飾り気のないその言葉には剥き出しの銀時の心が乗せられている。

 新八が死ぬ気で高杉を庇ったという、その意味。死すら厭わず、高杉を護る為に敵と立ち回り、しまいには崩落に巻き込まれて。それでもか細くも命を繋いで、今なお生きようとしているその身体。
 そうして護られた自分と、護ってくれた新八。自分の独断と、新八の命の灯火。そのどっちを天秤にかけて行動すればいいのかぐらい、高杉にも嫌でも分かる。

 
「……悪かった。俺がここに残る。だから……テメェに任せた、銀時。助けを呼びに行け」

 だから高杉は、今度こそは言うしかなかった。限りなく不本意ながらも、銀時に謝るしかなかったのだ。
 自分の焦る心に急かされて行動しても、動かぬ左腕のせいで遅れを取り、銀時の言う通りに敵に殺されたら元も子もない。それでは助かるものも助からぬ。新八は助けられない。

 ならば新八の為に、ここだけは銀時の言う通りにしてやる。いや……してやってもいい。


 「……ん。分かればいいんだよ、分かれば。ほんっとお前みてーな生き急ぎ野郎、いつおっ死んでもおかしかねえよ。俺も何も言わねーよ。でも、新八は違ェだろうが。新八は……てめえのことを、」

 高杉から出た素直な謝罪の言葉が珍し過ぎたのか、銀時は一瞬だけぽかんとした顔になり、次にはぽりぽりと頭を掻いた。その後で、ぶつぶつと独り言ちる。
 けれど続く言葉をプツンと切り、顔を上げた銀時はもういつもの表情に戻っていた。

「今のてめえなんざ、俺のお荷物でしかねェよ。ならここで新八を護るくれェが関の山だっつーの」
「……チッ、分かったから早く行け」

 しかめっ面の高杉に向けてにっと笑んだ顔は、もういつもの銀時でしかない。
 腕の中に抱いていた新八を今度は高杉の腕にそうっと預け、銀時はすっぱりと立ち上がった。そのまま凄いような勢いで駆け出して行くのを見送り、高杉は新八の冷たい身体をそっと抱き締める。


(お前に言わなきゃならねェ事がある。お前に伝えてェ事が山のようにある。だから……死ぬな)

 しかしどう強く想っても、新八は目を開けない。その大きな瞳で高杉を見つめてはくれない。高杉さん、といつものように笑いかけてくれることさえ。

 ぱたぱたと新八の頬に雨露が滴る。白蝋のように白々とした新八の頬に滴った水滴は、果たして雨ばかりだったのか──それは誰にも分からない。