*まとめ*



「また敵ッ、つーかもう寝言言ってんのはアンタだよ!ここだけでいいから、今だけは僕の言う通りにしろ!」

 途端に刀を構え直した新八が、もはや高杉を突き飛ばすようにして己の背に庇う。そんな少年の言う通りに渋々と従いつつ、高杉は右手にまだ剣をぶら下げたまま新八の背後に構えた。

「……チッ」

 敵はたった二名であるが、高杉を徹底して護るつもりの新八からすれば、されど二名である。しかも体格のいい天人が二人だ。だから先手必勝という勢いで、ぬかるんだ地面を利用し、ズシャアッとスライディングがてら敵の一人の顎下に剣の柄を叩き込んだ新八の判断は賢明だった。

 平原ではその巨体も物を言うだろうが、こんな狭い地の、しかもぬかるんだ地面がステージでは天人も新八に敵わない。新八よりふた回りも大きな体格差も、こんな場面では圧倒的に不利なのだ。
 それほど素早く攻撃を受けるとは思わなかったであろう天人の一人は、大きく体勢を崩した。懐に飛び込まれ、急所に峰打ちを食らっただけで激しく昏倒してしまう。


「……っし!まずは一人!」

 ズォォンと不穏な音を立てて失神した天人を見やり、新八がぐっと拳を握り締める。だがそのやり方には、背後の高杉だとて物申さずにはいられなかった。

「オイ、何を甘っちょろく峰打ちなんざしてやがる。ちゃんとトドメをさせ。いいから殺せ」

 さっきはそれで怪我を負った事もあり、高杉の口さがない言及は続く。でも新八には新八のやり方があるらしく、激しく気絶している風な天人をちょちょいと足の爪先で突っつくなり、くるっと高杉を振り返った。

「いいの、コレもう気絶してるからそれでいいの!うるっせーよ高杉さんはァ!」
「つくづく甘ェな、テメェは……そして誰に向かって口聞いてやがる。殺すぞ」

 高杉の目の前で敵をブチのめした高揚感からか、すぐに生意気な口を聞きだすメガネの若侍に、当の高杉がふうと軽く嘆息する。やれやれである。これだからガキは仕方ねえ、である(いや高杉の中で)。

 しかしそんな二人を見ていた、残すところ一人である敵方の天人はと言うと──くふくふと気味の悪いような、どこかおかしな笑い声を立てていた。


「くふふ。メガネの後ろに居るのが鬼兵隊の総督……高杉か?おいおい……高杉を庇ってるつもりか?ここで何ができるってんだ、そこの僕ぅ」

 僕ぅ、などと天人が蔑む対象が新八であることなんて、最早誰の目にも明らかである。怪我をしている高杉とピンピンした健康体の新八を秤にかけて尚、この天人が高杉の方に注意の重きを置いていることも。

「さっさとガキは逃げろよぉ。高杉が土産に残ってくなら、ガキの命くれーは捨て置いてやるよ」

 日本刀……とは言い難い、刃がやたらと湾曲した西洋のサーベルに近い刀剣をべろりと舐め、天人は不敵に笑う。その黄色に光る二つ目と、むやみに長い紫色をした舌を持つ異形の姿に本能的に怖気が走る。だけどそんな脅しや見た目だけに屈服するなら、それでは新八の中の“侍”が廃るのだ。

「来るなら来い!そっちが逃げないなら、今度こそ僕は峰打ちで済まさないからな!」


 堂々と正面から勝負を言い渡す。二つの眼に士気を漲らせた新八は、真剣を両手で構えてからガチャリと刃を鳴らした。
 声の高らかなその様子と言い、真っ直ぐに敵を見据える強い眼差しと言い、冷たい雨の最中においてさえも熱すぎる若武者である。どこからどう見てもとんだ青春野郎である。


 そんな若侍の気合い溢るる様子に、天人は忌々しそうにケッと毒を吐く。

「なるほどなぁ、白夜叉や高杉の周りに居るのはやっぱりムカつく野郎だらけだな。こんなガキまで道理を知らねえらしい。なら……死ねクソメガネェェェェェェ!!」
「眼鏡は目の鎧なんじゃボケェェェェェェ!!」


 大きく剣を振りかざしてドドドと走り迫ってくる天人に向け、姿勢を低く取った新八が素早く刀を居抜き──勝負は一瞬で決まった。
 しかしながら、そのままばっさと居合斬り……とはいかず、敵の腹に刃が食い込む瞬間に峰打ちに変えた新八の剣柄が、敵の腹に深々とジャストミートした瞬間のことだ。
 たまらずにゲボォと大きくむせた天人がそのままうつ伏せに倒れたところで、新八はすうっと大きく息を吸い込む。横手にいた高杉をパァァと嬉しげな顔で見て。

「はあっ、はあ……ど、どうですか高杉さん。僕、勝っ……」

 興奮と緊張で満足に言葉も紡げないが、眼鏡の奥の瞳にはまごう事なき勝鬨が浮かんでいる。
 巨体の天人と渡り合うために、敢えて姿勢を低く取ったのは新八の咄嗟の判断だろう。剣技云々ではなく、機転のきかせ方がまず良かったのだ。でも斬られるかもしれぬ恐怖を突っ切り、逆に猛然と仕掛けていった点はさすがに高杉や銀時とも同門の出である。新八は強かった。

 だが素直にそうも言えぬのが、素直に褒める事をしないのが、高杉が高杉たる所以であった(晋助ッ)。


「ああ……確かにな。だがまた峰打ちか、テメェは。今度こそ峰打ちで済まさねえんじゃなかったか?俺だったら確実に斬ってるがなァ」

 足元に転がる巨体を蹴付き、はっと嘲笑う。そんな高杉からバツが悪そうに目を背け、新八はもごもごと口籠もった。

「いや、まあそれはそうですけどね。でもここからさっさと僕らが退散すれば、それでいい話じゃないですか。だからさっさと行きましょう、こいつらが目を覚まさないうちに」
「良くねえよ。現に……」
「っ!」

 高杉がまたも言い掛けたところで、先ほど新八の剣柄が腹にジャストミートした天人の手がピクピクと動く。まだ完全には気絶していないその様子に、新八がさっと緊張を漲らせた刹那、今度は高杉の剣が真上から敵の心臓を刺し貫いた。

 ぐはっとおかしな呼吸音を立てて、今度こそ完全に敵は死んだ。見る間に広がっていく巨体の下の血だまりが、もうピクリとも動かなくなった腕が、地を掻きむしった形のままで事切れた指先が、それを静かに物語っていた。


「……ほらな。テメェの力じゃ、いくら峰打ちをかまそうともこんな巨体のバケモンには数秒も通じねえ。人間とは違ェんだよ」

 敵の身体から剣を引き抜き、片膝をついた高杉が呟く。それに新八は少し黙った後で、小さく口にした。

「でも、人間も天人も中身はそうも変わんないでしょうが。天人から見たら、人間だってどっかの星の天人な訳だし。見た目の違いはあるけど」
「あん?テメェはまたそんな甘ェ道理を……」

 だけど、今度の高杉は新八の考えに言及することはしなかった。
 いや──正確にはできなかったのだ。片膝をついていた身体を起こしかけたところで、ぐらりとその全身が傾いだのだから。

「た、高杉さん!忘れてた!そこ、足場が崩れ掛けてます!」

 大きな身体の天人が二名も打ち倒されたせいか、切り立った斜面の崖はいよいよその重みに耐えきれなくなったらしい。ガラララ……と不吉な音を立てて足元の地面が徐々に粉々になっていくのを爪先が知覚する。急速に軽くなっていく身体の不穏は、流血のせいだけではない。
 このままでは落ちる。高杉は思うが、思うだけでどうもできない。血を流し過ぎたのか、いつものように俊敏に身体が弾まない。

 だから今度こそは、新八がいくら叫んでもどうしようもなかった。どうしようもない筈だった。


「だめですっ!高杉さんは死んじゃだめだ!」

 だけれど、落ちる事を覚悟した高杉の片腕を、咄嗟に伸びてきた新八の両手が強く引っ張った。そのまま全身全霊をかけた新八の力でもって空に投げ出され、高杉は後方の茂みに頭から突っ込む。

 そして急ぎ顔を上げた瞬間、高杉は見たのだ。


「──あ」

 高杉を引っ張り上げた反動で、高杉の代わりに切り立った崖の上に立たされた新八が、次にはもう視界の端から消えていく姿を。

「新八!」

 高杉の声を聞き届けた新八の身体は、とっくにバランスを崩し、既に崖から落ち始めていた。ガラガラと崩れ落ちていく斜面の崩落音に混じり、ドドドと爆ぜる川の水音がどんどんと近くなる。
 びゅうびゅうと風を切る頬が痛いような風圧。



(嘘。嘘だ。僕……このまま死ぬのか?)

 落ちていく刹那、新八はふと考える。せっかく敵に勝ったのに、自然災害の崩落で死ぬなんて。これでは試合に勝って勝負に負けたも同義ではないか。
 だけど、今の新八の後悔はそこだけじゃない。ぶわっと涙が浮かんでは、落ちる重力に従って真上に消え流れていく。


(言っておけば良かったんだ。さっさと言えば良かったんだ。好きだって……あなたが好きなんですって、高杉さんに)




──嫌だ!まだ死にたくない!!





 衝撃を感じた身体の負荷に耐えきれず、すべての意識が弾け飛ぶその一瞬まで、新八はただそれだけを懸命に考えていた。