『何もかもが嫌になる日』というものがある。
朝、起きて顔を洗うために洗面台の前に立った。
鏡の中には寝ぼけた顔をした、ボサボサの髪の女が一人。

その瞬間確信した。

嗚呼、今日はダメだ、と。

何がダメとか、どうしたら良いとか、そんな理屈を抜きにして本当に『今日』という日は『ダメ』だと悟った。
どうしようもなく全てが嫌で、なにもかもどうでも良くて、ふとした瞬間泣きたくなる程の絶望感を感じる日。

出しっぱなしだった水道の水が、ゴボゴボと音を立てて排水溝に呑み込まれる。
そんな様すら酷く滑稽で、非日常に見えて、息苦しくなる程不愉快だった。



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学校に着く頃には無気力感はピークに達していて、なんとか十代目を教室まで送り届けてから、即行で応接室の扉を開いた。
こんな気分のまま教室に居れば、自分が何時キレるか判らない。
そうしたらまた、十代目に悲しい顔をさせてしまう。
自分の所為で十代目を煩わせたら、今日の俺は本当に自殺でもし兼ねない程凹むだろう。
だから、誰にも会わなくて済むこの部屋は、今日のような日の俺の逃げ場だった。


少々建て付けの悪い音と共に開いた空間に、わずかに目を見張った。
閑散とした室内は本当に誰も居ない。
いつも、いつでも、当たり前のように居る黒い学ランの不在に眉が寄る。

どうして居ないんだ、こんな日に。
いつも居る癖に、どうして、『今日』は。

ぐらぐらと地面が揺れて目眩がする。
やっぱり今日は日常が壊れる日だ。

嗚呼、イヤすぎて吐き気がする。
折角八つ当たりしに来てやったのに、と居もしない奴に毒吐く自分がイヤすぎる。

ふて腐れてソファーにダイブした。
粗雑な振る舞いに呆れた様に息を吐く部屋の主を幻視して、また胃がひっくり返った様な嘔吐感と、世界で一人ぼっちになってしまったような孤独感が交互に押し寄せる。

全てを無視したくて目を閉じた。

抱き潰したクッションから部屋の主の匂いがして、息が詰まって死んじゃえれば良いのにと、涙が滲みそうになる両目を押し付けて呟いた。



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ふと自分を包む奴の香りが濃くなった気がして、ぼんやりと目を開いた。
最悪だった気分は幾分か落ち着いて、それでもまだ訳の判らないもやもやとした不安が胃を硬くする。
小さく舌打ちして寝返りを打つと、いつの間にか掛けられていた間服のセーターがずるりと肩から落ちた。
首を回して辺りを見ても、相変わらず応接室に人の気配はなし。
代わりにテーブルの上、『寝るなら保健室』と走り書きされた簡素なメモが視界に留まる。
少し筆圧の強い癖の無い字はは奴のものだ。
もう一度舌打ちをしてから、セーターを羽織って立ち上がる。

誰が保健室なんか行くかと毒吐いて、メモをくしゃくしゃに丸めて、一瞬逡巡してからポケットに突っ込んで応接室を出た。

保健室には自称保護者の優しい大人がいる。
だから行かない。

こんな日は『好きな人』と『優しい人』には会いたくなかった。




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