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雲♀獄

ひどく綺麗なものだと思った。
夏の日差しを存分に浴びて煌めく銀色も、日に焼ける事を知らない白磁の肌も、吹き出した汗を掻き上げる仕種さえも。
僕なんかが触れてはいけないものだと、そんな風に思ってしまう。

彼女を神聖視している訳では無いし、一旦口を開けば粗暴な口調で悪態を吐く問題児だと知っているけれど。そもそも彼女という存在に近付きたいという感情こそが、僕の中のイレギュラーなのだ。

そんな風に誰かに依存することなんか無いと思っていたし、変わりたくもなかったのに。


「雲雀、何考えてんだ?」
「ん?」
「眉間に皺」


僕の眉間を指先で突く獄寺と視線を合わせて少しだけ微笑むと、純度100%の笑顔が返ってきた。

あ、かわいい。

眉間の皺はいつもの事か、なんて憎まれ口は余計だけど。


「君の事を考えてた」
「へぇ」
「信じてないね」
「お前は嘘つきだからな」


眉間に皺を寄せながら考えられても嬉しくないと、頬を膨らませて見せる。

彼女のこんな幼い姿を見られる人間はほんの一握り。
肉親にすら殆ど見せた事の無い表情を垣間見る度、僅かな優越感が胸の底で蠢く。

ゆるりと上がる口角が、言葉よりも雄弁に僕を語るのだ。
おもむろに頭を撫でれば、くすくすと楽しそうな笑い声。
緩いなぁなんて、平和惚けした思考が過ぎった。

「お前でも悩むことなんかあるんだな」

柔らかく彼女の指が僕の眉間を撫でる。
その仕種がどうしようもなく僕の何かを掻き立てた。
頭に置いていた手を伸ばして、彼女の髪先に触れる。

僕はいつからこんなにも臆病になったのか。

本当はいつも恐れているのだ。

人を殴り付けるこの手で彼女に触れることは、なにかとんでもない罪悪なのではないかと思う。

触れる度に齎される葛藤は、酷く苦しいのだけれど、
いともたやすく君が僕に触れるから。

そんな風に僕が思っていると、君は気付いているのだろうか?

少し腰を屈めて、座る僕を見下ろす彼女を上目遣いに見遣れば、「この角度は新鮮だ」とまた微笑みを深くした。

その余裕がなんだか悔しくて、髪に触れていた手を首の後ろに回して引き寄せる。
導かれるように腕の中に収まった獄寺は、少し驚いた様に瞬きを繰り返した。

こんな些細な接触すら、僕は本当に恐れているのだ。

「前より、肩、薄くなったね」
「夏だからな」
「ちゃんと食べてる?」
「お前に叱られない程度には」
「そう」

きつく、つよく、きつく。

抱きしめる腕はまだ迷いしか生み出さないのに。
腕の中の彼女は、もう僕との調度良い距離を見定めているように思う。

「ねぇ」
「ん?」

僕はいつか、君を壊すかもしれない

「なんでもない」
「んだよ、それ」

緩く、柔らかく、獄寺の織り成す甘く和やかな空気が好きで、嫌いだ。

僕は酷く歪んでいる癖に、

歪んでいるからこそ。

きれいな君を求めていながら、

底知れぬ恐怖に慄きながら、

君を汚すことを夢に見ている。






純情モラトリアム





きっとこれは執行猶予。
僕が決断する前の、限られた、許された時間。

雲♀獄



ぐずぐずと背中に頭を預けて獄寺が泣くから、どうしたものか、どうしたら正解か、頭の片隅で考えながら手は勝手に報告書の頁をめくった。
文字の上を上滑りする視線は、情報として文章を解さない。
ただの記号の羅列となった冊子を無為にめくりながら、一体どれくらいそうしている事か。


「…ごめん」
「なにが」


何に対する謝罪か、獄寺が久しぶりに啜り上げる以外の音を発した事に安堵して言葉を拾う。
自分が他人の感情の機微に疎い事は百も承知で、だからどんな小さなサインも見逃すまいと全神経を彼女が次に発するであろう言葉に傾けた。

『ちょっと背中貸せ』

小一時間程前にふらりと応接室を訪れた獄寺は、挨拶もそこそこにいきなり雲雀の背中にもたれ掛かってきた。
べつに初めての事ではない。
彼女は自分の中に限界まで感情を溜め込んで、決壊しそうになると此処に来る。
上手く言葉にできない感情の渦に呑まれた時、唯なにも問わずに好きに泣かせてくれる場所は此処だけなのだと、以前呟いたのを覚えている。

(問わない、は違うか)

問えないだけだと胸の内で嘆息して、雲雀は首を反らして背後を見遣った。
微かに揺れる銀髪を撫でたいと思うのは過ぎた好意だろうか。
背中くらい幾らでも貸すと上手く伝えられない自分がもどかしい。
叶うならいますぐ振り返って、その華奢な肩を抱きしめたいとさえ思う。


(君はそんな事、望みゃしないんだろうけど)


獄寺の中の自分の位置は一体どのくらいなのか。
友人か、知り合いの上級生か。
抱き枕より高い地位では在りたいが、おそらく彼女の中に占める『雲雀恭弥』の割合は高くないのだろう。
自分が泣き場所に選ばれたのは、単に『他人に興味が無い』と彼女の中で認識されているからだろう。
それは大半が正解で、ひとつだけ大きく違う。
『他人』に興味は無いが、『君』には関心があるのだと言ってしまえば、彼女は泣き場所を変えてしまうだろうか?

獄寺は雲雀にどうして泣いているか、何が悲しいか一切言わない。
それは結局、雲雀に弱さを暴け出している訳でも、頼っている訳でも無いと同義だ。
結局全部自分で背負い込む癖に、中途半端に縋られても何も出来ない。


「君にとって、僕は何?」
「…ぇ?」
「泣き場所が欲しいだけなら、一人になれる所を探せば良い。なんで君はわざわざ僕なんかの背中に張り付くの」
「…迷惑、なのは知ってる、けど」
「違う。君は何にも判ってない」


迷惑だとかそんな事ではない。
迷惑なら初めから、泣き場所なんか提供しはしないのだ。
その逆だから、戸惑っている。
どんな理由であれ、獄寺の依り処となれるならそれで良いと、彼女が感情をコントロール出来ないほど追い詰められるのを望んでしまう。

そんな己の劣情を自覚した時、最低だと唾棄したい気分だった。

最悪な自分に嫌気が差すのに、彼女が扉を開くのを待ってしまうのも確かに雲雀自身なのだ。


「理由とか、そんな事は聞かない」

(きっと聞いても理解できる気はしないから)

「でも、泣くならせめてこっちで泣いて」


くるりと体を反転させて、正面から向き合った。
虚を突かれた様に見開かれ大きな瞳の中に、雲雀の濃い影が映り込む。
泣き腫らした目元をそっと一撫でしてから、両腕を広げた。


「どうする?僕はこれでも忙しいんだけど」


困惑した様に見開かれる目には、今だ涙の膜が張っている。
全てを一人で抱え込もうとするくせに、誰かに縋りたくて仕方が無い彼女の弱みに付け込むのは、果たして卑怯者の行いだろうか?


広げた腕に手が伸ばされたら、とりあえず力いっぱい抱きしめてみようか。
それからの事は、獄寺が泣き止んでから考えればいい。



End

雲獄


ただ一人の為に働く思考。

君の心を、
暴きたい。

この感情の名前を、僕は知らない。

唯、何よりも愛おしいけれど。





■雨の檻



夏の夕立はいつも突然だ。
激しい雨音に当分は帰れないなと、傘を持って来なかった今朝の自分を呪う。
エアコンをフル稼働させても、一度吹き出して乾いた汗は不快なべたつきを残すばかりだった。
先程からぺたりと窓に張り付いた銀髪を片目で見遣る。
不愉快そうにしかめられた眉間の皺が、水鏡とかした窓に映っていた。


激しさを増すばかりの雨に遮断され、外部の音は殆ど聞こえない。
まるで、世界からこの狭い空間だけ切り離されてしまったかの様に感じた。


「…雲雀」
「なに?」
「じろじろ見んな」


執務机に片肘ついて、硝子越し。
他に見るものが無いからとぼんやりと眺めていた獄寺と、かちりと視線が合った。


「俺なんか見ても面白くねぇだろ」
「面白いかどうかは、君が判断することじゃない」


雨粒とけぶる街を眺めて移ろう視線と、普段ならざる無機質で硬質な横顔は珍しくて。
貴重なその表情を網膜に焼き付けようと、僕の意志とは無関係に視線が追いかけているのだ。


「でも、まぁ面白いよ」
「失礼な奴」


呆れた様に吐き出す声は、それでも出会った頃よりは随分と柔らかい。

錯覚、してしまいそうになる。

測りかねる僕らの距離は、僕が思うほど遠くはないのでは無いかと。


「お前の視線、なんかむず痒い」
「なにそれ」
「無駄に甘ったるいからさ、なんか…困る」


俺、なんか勘違いしちまいそう。


振り向かないまま、少し俯いた彼が囁いた。
それは決して幻聴なんかでは無い証拠に、銀髪の隙間から覗く耳がほんのりと朱を帯びている。


窓を打つ雨音。
どんよりと空を覆う雲。
薄暗い校内。
群れていない君。
硝子越しの視線。


嗚呼、白昼夢かと納得した。
だって僕に都合が良すぎるのだ。
世界から隔離するように降る雨も、傘を忘れた僕も、雨宿りと称して此処に訪れた君も。

僕が作り出した夢ならば、僕にとって甘く優しいのも頷ける。


「獄寺」
「…んだよ」
「あまりに都合が良いから、僕は夢と現実の区別が曖昧になってしまいそうだ」
「…意味解んねぇ」

暑さで沸いたかよと吐き捨てて、硝子越しの視線がずれる。
代わりに射抜くような直接的な視線をぶつけられて、我知らず口角が吊り上がった。

やっぱり硝子越しでは現実感が無い。
硝子越しにはにかむ君は、確かにとても僕に甘い夢を与えるけれど、やっぱりそれは虚像であって君では無いのだ。
直線的な視線で射抜く、現実の君に及びはしない。
でももう惑わされてはやれないのだ。
僕は現実に回帰した。
おそらく、君も。
…視線が交わった瞬間に、互いの夢を断ち切ったのだから。


「雨宿りはおわりだよ。もう群れへ帰りな」
「言われなくても、そろそろ頃合いだ」


ちらりと壁に掛かった時計に視線を走らせてから、獄寺は踵を返して扉に手を掛けた。
いつの間にか弱くなった雨音の合間から、終業を告げるチャイムがやけに耳につく。
補習の終わる頃合いかと、肺の中に溜め込んだ空気をため息と共に追い出した。
獄寺が此処にいる最大にして唯一の理由。
彼は待っていただけなのだ。
敬愛する『十代目』とやらの赤点補習の終了を。


「また、雨が降ったら…来る、かも」
「ああ」


焦燥にも似たこの気持ちは何なのだろう。
雲が世界を支配する一時だけ、獄寺はふらりと僕の元を訪れる。
どんな意図があっての事か、そもそも意味など最初から有りはしないのか。
一時の衝動によって動けない僕らは、その時間をも持て余す。
凝り固まった意地とプライドを棄てて誰かを求められるほど、僕らはまだ大人になれてはいないのだ。


End


きっと一番判りやすくて、難解な。
単純で愚かしい僕と君と雨と世界。

中/日

中/日

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