ペンギンハイウェイで、世界の果ては内側にあるかもしれないと言っていた。折り畳まれた世界の内側に、果てはあると。なるほどと思ったりした。


だけど、世界の果ては内側というよりは内面にある気がする。気がするというよりも、むしろ確信に近い。どこまででも、たとえ冥王星や宇宙のずっと奥にいったとしても、最後は自分の内面に道は帰ってくるんだと思う。ははあ、終わりは始まりであるということは、まさにそういうことなんだろうか。

世界へ。


ねえ、世界は。せかいと口にだすだけで、一瞬目の前の水平線が永遠になる。
からだの隅々の熱を絞り出して、腕がゆっくりと果てまでのびていく。
その泳ぎ方を覚えていくことが、大人になるということだと老人は言った。
今日も見えない。明日も見えない。
気がついたときにはもう岸は見えなくて、頭の重さに委ねて海の底へと沈んでいった。
鰯の向こう側に小惑星が煌めき、這う蟹や読み聞かせをする貝たちの声が子守唄になって、まどろみ、灰へと一直線。

きっと、プランクトンは世界の果てを知っていて、笑いながらぼくたちを見ている。