追い風。それは流れに流されるだけ。だから参考記録。自分の意思なんか介在してないの。


廃れた情報でも、いま追い風のなかで物事が進んでいる匂いくらいは感じているだろう。だが、考えることをやめた人間は反対ありきの論調が光っている。それはもうLEDにすら及ばない。光の渦に消されてしまう。

淘汰されたいのであれば別だが、もう少し中を見なくてはいけないのでは。私達は、私達自身について知らなすぎる。脳が死にたいと思っても、脳以外はおそらく死にたいと思っていない。死にたいといきを吐くときでさえ、私達は酸素を取り込んでいる。そこに心を駐車できるか。そこなんです。


軽やかに跳ねながら、部屋で生を謳歌してみてくれ。きっと未来は手先で私達を可愛がる。