飛んでいくのは邪念か否か。風に乗り、悪意は空へと帰っていく。はてさて、漂う風は洗われたあとの体だろうか。


金子光晴のくらげの歌という詩がある。くらげだって辛い。疲れている。気楽に漂ってるわけではない。彼はそういったことを書いている。鮫、蛾といったものを主題に書くつらさに抗い、時代にも抗った人だと思う。魚は、新鮮さが命。彼の詩は、美しいものをとじ込めるのがうまい。言葉の蓋をしめるのがはやい。自然はいつだってきれいで汚いのは私達だ。


唐突に「汚い」という語彙を使ってしまうのは寒さと選挙のせいだ。多分。言葉の暴力による喧嘩ばかり。お互い救いようもない。蜘蛛の糸すらおりてこないだろうに。自分で作った糸にすがった姿は滑稽だ。そう、私達は笑うしかない。汚いの根拠はそんなもの。



今日はよくよく間違える。行き場を失った血が騒いでいるらしい。